高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
日野之彦
小滝雅道
遠藤彰子VS佐々木豊
長谷川健司・中野亘
松本哲男
やなぎみわVS佐々木豊
清野圭一
Jean Claude WOUTERS ジャン・クロード・ウーターズ
長尾和典VS鷹見明彦
わたなべゆうVS佐々木豊
カジ・ギャスディン・吉武研司
千住博VS佐々木豊
山本容子VS佐々木豊
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
北川宏人
伊藤雅史VS佐々木豊
岡村桂三郎×河嶋淳司
原崇浩VS佐々木豊
泉谷淑夫
間島秀徳
町田久美VS佐々木豊
園家誠二
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

'Round About

第22回 Jean Claude WOUTERS
(ジャン・クロード・ウーターズ)
「Portrait シリーズ」と名づけられた、ベルギー生まれのアーティスト、ジャン・クロード・ウーターズの写真作品。作品は被写体となる人物のためだけにつくられるという点が、普通の写真と根本的に異なる。「日本には、作品に共感を抱く人が多いような気がします」と考え開かれた個展の会期中に、インタビューを行った。
※画像はクリックすると拡大画像をひらきます。   
   
  かつての肖像画家が、王族貴族のために肖像画を描いたように、注文に応じてアーティストは撮影を行い、作品は最終的にネガと共に被写体となった人物に収められるいう。被写体からは、国籍、性別、人種など、人が他者を判別するための記号が霧散している。画面には、所属から解放された「人間」が、白からごく淡いグレーの間の階調の中で、辛うじて像を結ぶ。被写体自身ですら、おそらく自分であることを忘れてしまうような「何か」を作家は抽象する。しばし視線を投じたところで、きっと見過ごしてしまうであろうアーティストが写しだした何かは、「見つめる」よりは、ひたすら「馴染む」という行為によって、鑑賞者の感覚へと浸透していく。  
  ●ウーターズさんは、日本という場で個展を開くことについて、どのような思いがあるのでしょうか?

私の作品はこれまでも時折、日本的だと評されてきました。極限までシンプルにすることによって作品を研ぎ澄ましていくような面で禅美術と共通するところがあるからかもしれません。欧米ではものごとを分類してから理解しようとする傾向がありますから時に分類から外れたものを排除することがあります。ある意味私の作品は欧米の分類からははみ出ているのかもしれません。その点で私の作品を日本から世界に向けて発信することは、非常に興味深いことだと思います。

●25年ほど前に来日して住んでいたことがあると伺いました。日本文化が、何か作品に影響を与えているということはあるのでしょうか?

日本については、欧米と異なる魅力を感じています。たとえば、京都などには、伝統と現代的な要素が混在しています。ものと「スピリチュアル」な接し方をするのも日本人の特徴ではないかと思います。バッグから灰皿まで、ものにある種の敬いの念を抱いているように思うのです。他にも禅の考え方をはじめ、歌麿、溝口健二の「雨月物語」、寺山修司や暗黒舞踏などにも親しみを感じています。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」についてもとてもすばらしい文章だと思います。ただ、作品に直接の影響はないように思います。


 
   
   
  ●ウーターズさんの作品が持つ余白や、淡いモノトーンの画面が生み出す清潔さから、漠然と禅の要素を感じ取れるような気はします。

「Portrait」は、何かを描写しようとしたわけではありません。何かが消失した跡でもありません。被写体となった人の帯びた光が、現れたのだといえるのかもしれません。撮影のとき、被写体となる人には、光が差し込む窓を背にして立ってもらいます。その日が晴れているか、雨なのかで、光の量は変わってきます。しかし、私は光を調節して一様な作品をつくろうとはしません。その日の条件をただ受け入れて、撮影するのです。作品をつくりだすのは60%くらいは私なのかもしれません。しかし、残りの40%については、自分以外のものごとに進んで委ねたいと考えているのです。

●委ねるという行為が、作品に何をもたらすのでしょうか?

私は以前、ダンサーとしてパフォーマンスを行っていました。公演の際、舞台の上で努めることがあるのですが、それは自分の存在感を消していくということなのです。理解しにくいかもしれませんが、それによって、私自身の全てを出し切ることができるのです。同じことが「Portrait」についても言えると思うのです。撮影をするとき、被写体となる人に目を閉じてもらい、曲を流します。室内での音の響きから、空間を感じてもらうように促します。そして背後の空間に自身の過去を、正面の空間に自身の未来を意識してもらうのです。そうすると、被写体の肉体はいま現在にあり、いわばターニングポイントに位置しているのです。その意識の中、人生でかなえたいことを念じつつ、私の目を見つめてもいます。そこで私は、ただシャッターを押すのです。光の調子や、被写体のあり方によって、作品は変わっていくのです。
 
 

●偶然性に作品を委ねることで、事実、個々の作品の見え方は少しずつ異なるように思えます。しかし、当然のことですが、共通して見えてくるものもあります。個人的には、「Portrait」を前にすると普段の生活では機能していない感覚が触発されるように思えます。そして、どの作品を観ても、どこか別の世界にいる自分自身を見ているような気がするのです。

別の感想を漏らす方もいます。例えば、先日訪れていただいた50歳前後の男性は、作品を観ながら2年前に亡くなった彼の母親を感じたのだそうです。私はそれを聞いてとても感動しました。ある意味では、私は何もしていないのかもしれません。むしろ鑑賞者の側が、作品を前に何かを行っているのだと言えるのではないでしょうか。

●結局のところ、作品に写されたものは何なのでしょうか? 単にある人物のポートレートなのでしょうか? それとも別のものなのでしょうか?

私の他の作品には、古い本に掲載された写真を撮影して、その上に絵の具を塗り重ねたものなどがあります。しかし、「Portrait」は、これまで手掛けてきた他の作品とは異なっているのです。ダンスをしていたときに舞台の上で行ったように、自分以外のことに身を委ねながら、作品から自我を取り去っていきます。そこで立ち現れてくるものとは、spiritual path (精神世界へと続く道)といえるものではないかと思うのです。
 
   
   
  ●ウーターズさんご自身は、人間として、あるいはアーティストとしてどのようにあろうとしてきたのでしょうか?

簡単です。日本でお寺にお参りに行くとき、私は「あるがままでいたい」と祈ります。今という時に満たされていたい。未来を見据えるでもなく、先に起こるかもしれない何かを案じたり、恐れたりもしたくないのです。恐れることがあるとすれば、私の人生が辿るべき道から外れてしまうということだけなのです。自分には与えられた何らかの役割があるはずですので、それを受け入れようと思うのです。植物の種が、芽吹き、葉をつけて、木になり、実を結ぶような人生でありたいと思います。いま行っているアート活動も、自分の人生そのものなのだと信じています。

●人間のあるがままの姿が、戦争や饑餓、環境破壊を生んでいるとも解釈できます。ウーターズさんを取り囲む世界について、どのようにお考えでしょうか?

お答えするのは難しいです。私も、他の人と同じように戦争や饑餓などが存在することを好ましくは思えません。しかし、世界はブロック塀のようなものだと思います。われわれは、その中のひとつのブロックでしかないのではないでしょうか。谷崎の「陰翳礼讃」では、欧米文化の影響で「陰翳」という文化を失いつつある日本を嘆いています。それは残念なことですが、昔に戻ることがよい選択といえるかどうか。フランスでは、外来語として輸入されてくる英語からフランス語を守ろうとする動きがあります。しかし、誰かが「e-mail」という言葉のフランス語を広めようとしたところで、私を含めた多くの人はそれがどのような言葉か覚えていません。多様であることは大切です。しかし、状況やものごとは変わっていきます。私はそれを受け入れようと思うのです。
 
(2006.7.6 丸の内ギャラリーにて取材)  
  
  【インフォメーション】
ジャン・クロード・ウーターズさんが次回来日した際に、作品の被写体になることを希望している人を募集しています。詳しくは 丸の内ギャラリー TEL:03-5220-6781まで。
 
  
 

■Jean Claude Wouters
 (ジャン・クロード・ウーターズ) 略歴
1956年 ベルギー・ブリュッセル生まれ
1971年 演劇およびクラシックバレーの教育を
1971年 受ける
1974年 ブリュッセルのERG美術学校に学ぶ
1975年 INSASフィルムスクールにて写真を専攻
1976-79年 MUDRAにてクラシックバレエほか、
1976-79年 さまざまな舞台表現を学ぶ。この時
1976-79年 期にモーリス・ベジャールに師事、
1976-79年 現在まで師弟関係が続く。
1981年 日本滞在。筑波大学でパフォーマンス
1981年 「JEAN LA TACHE」を公演
1983-85年 パフォーマンスを主として活動、
1983-85年 シリーズ作品「JAN SIX」をブリュッ
1983-85年 セルで公演
1986年 モーリス・ベジャールと共に来日、
1986年 舞踏団を追ったドキュメンタリー
1986年 「MAURICE BEJART's KABUKI」を制作
1992年 ベアトリス・コルク制作のドキュメン
1992年 タリー作品「VARATION SUR UN THEME
1992年 D'ALTO」の映像を担当、サンフランシス
1992年 コ国際映画祭で金門賞受賞。
1994年 映画「Help for the dying」で助監督
1999年 Portraitシリーズの作成を開始
2001年 200部限定の写真集「WOUTERS-
2001年 JOHANNES WOUTERS」出版
2003年 東京でポートレート作品を撮影
2006年 個展「PORTRAIT 2006」を丸の内ギャ
2006年 ラリーにて開催