高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
日野之彦
小滝雅道
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やなぎみわVS佐々木豊
清野圭一
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'Round About

第15回 日野之彦

ここ数年、ブリーフ姿の男の子の作品などを描いている日野之彦さん。昨年2005年度のVOCA賞を受賞し一躍注目をあつめました。それから約1年ほどたち、受賞後最初の個展をガレリア・グラフィカで開催した日野さんに、現在の状況や今後の予定についてお話をうかがってきました。

 

●昨年VOCA賞を受賞してから何か変化はありましたか?学校で美術を教えていると以前うかがいましたが、そちらのほうも特にかわりはありませんか?

日野:周りは変わったと思います。自分ではあまり変わらないかな、と。高校で美術の臨時講師をしているんですが、それは今年の4月で契約が終了します。少子化で生徒数が減って、先生も減らさなければならなくて。音楽と美術の選択科目だったんですが、芸術は音楽のみでいいということで…4月から無職になります。

●音楽のみでいいというのも乱暴なような。授業はどんなふうにしているんですか?

 
日野:最初はさぐりさぐりだったんですけど…日本画とか油絵とか、外で風景描かせたりとか、基本的なことを。

●それは、ある程度自分の裁量で決められるんですか?授業でなにをするかどうかは。

日野:それは全然僕の自由でした。先生は僕一人だから、ほんとに何をやってもいいかんじだから、逆にこわいですね。普通は美術の教師が何人かいるから、話し合って決めたりとか、教育大を出たような先生がいると、まずはこれをやって、とか基本があるかと思うんですけど、そういうものもないので。

●美術教育に関わりたいという考えは前からあったんですか?

日野:そういうわけではないんです。以前アルバイトをしながら絵だけ描こうと思ってやっていて、でも一枚も売れなくて。3年くらい東京でそういう生活をして、そのときインドに旅行したんですよ。短期で3ヶ月間くらい。そのときに考え方が変わったっていうか…ちゃんとした仕事がいいなとか…日本っていい国だな〜とか…日本にちゃんと貢献できる仕事をしたいな、とか。特に教育とか。それで、講師をやり始めたんです、旅行から帰ってきてから。

●生活が全然変わりますよね。

日野:全然変わりました。アルバイトをしながらかつかつのお金でやっているときより、ちゃんと働きながらのほうが、時間は減るけど安定して描けたかな。ちゃんと俺は働いてるんだとかいうような…。

●4月からは講師という職から離れるわけですが、今後作家活動だけで生活していくという可能性についてはどうですか?今回の個展は全作品売約済みですが。

日野:今回はそうでしたけど、その後はわからないです。親にも、お笑い芸人と一緒でブームはすぐ去っちゃうんだからだめだよと、ちゃんと働きなさいと。今売れたからって、絵で一生食べていけるわけじゃないよ、と言われます。一生絵だけで生活していくのはどうかなと思うし、いずれはまた教育にからむような仕事はしたいです。

●さて、VOCA賞はいってみれば現代美術の賞ですが、一方で公募展に出品を続けていていわゆるオーソドックスな画壇の世界にもいらっしゃいますよね。もう何度も質問されたと思いますが、なぜ公募展に出品しているんでしょうか?今後も出し続けるんでしょうか?

日野: 嫌いじゃないんですよ、公募展の空気が。絵の好きな人が集まって頑張って描いて、みんなで日本の美術の底辺をささえてる熱い感じが。学生の頃では現代美術は絵を描いてちゃもうだめっていうイメージを勝手に持ってて。でも自分がやりたいのは絵だし。そういう自分の居場所として今もそうですけど団体は居心地がいい。ジャンルとかについてまわりではいろいろ言いますけど、あまり自分ではそういうことを考えずに描きたいし、描こうかなというだけですね。

●影響を受けている作家はいますか?

日野:今は特にはいないです。公募展に出しはじめたころは、公募展の上のほうの先生の影響はありました。大学を卒業するころに、自分の絵を描かなきゃと思って、描きたいように描いてみたんですけど、出来上がってみたら、下手だけどなんかいいな、と。今の感じはそこからきてるんですけど。

●そのあたりから軸の部分は動いていないわけですね。作品がまさに今のスタイルになったのが大学院修了後の個展のあとということで、もう3、4年くらいになりますが、今回のモチーフは女の子でした。今後もっと変えていこうというのは意識的にありますか?

日野:ただ自分の描きたいものを描こうかと。この後は男でもいいし女でもいいしパンツでなくてもいいし人じゃなくてもいいとも思ってます。そのとき描きたいものを描こうと。

●女の子になったのは単純にこれまで男の子だったから?

日野:まあ今まで男を描いていて、VOCA展で賞をもらったから、もうちょっと変わってもいいかなという下心っていうか戦略っていうか、まあ戦略ってほどのものでもまったくないんですけど。でも変えてみたかったっていうのもあるんです、タイミングとして。

●モチーフの性別だけじゃなく、これまでのパンツ一枚の男の子の作品とはもう全然別物というか…意識的にそうしたかったんですか?

日野:そういうわけでもなくて、描いてみたらこうなったというかんじです。でもこれまでの、男のちょっと小太りのきもちわるいかんじもいいかなと思います。

●ご自身では描いていてどちらがあってると思いますか?

日野:男のほうかもしれません。自分も男だから。あの感じは好きですね。次は自画像とか描きたいですね。

●日野さんの自画像は楽しみですね。日野さんの作品は描かれた人物の様子からしてインパクトがありますが、見る人はそういったインパクトにだんだん慣れてくると思うんです。そのことについてはどう思っていますか?

日野:自分としては、ある程度慣れてくれた方がいいと思っています。最初は見る側もインパクトだけに目がいくみたいで。わあ、なにこれっていう。VOCA展の時もパンツ一枚の男の子っていうインパクトだけのようなかんじだったので。もっと絵画的な部分、空間のきれいさとか、表情の微妙さとか、いちおう凝ってるんですけど。最初の段階では目がいかないから、ある程度慣れてくれたほうが普通の絵画としての美しさみたいなものを見てもらえるかなと思ってるんです。

●今回の個展で、こうしたかったというのは他にもありますか?

日野:こういうのを描きたいというのは基本的にずっと変わっていないんです。人じゃなくてもいいかもしれないけど、人が今のところ描いてて一番いい。だから人以外のものも描きたくないわけではなくて普通に描くつもりでいるし、でも描いてさえない感じだったら、だめだなと思いますけど。 描いているときはすごく感覚的だから。もちろん、こういうことを、こういうイメージを描きたいっていうのもちゃんとあって、しっかりしていて、ちょっとでもずれると違うってわかるくらいはっきりしたものがあるんですけど、それも言葉ではうまくあらわせない。絵には描けますが。

●今後のご予定は具体的に何かありますか?

日野:まだ次の個展の予定はたってはいません。インドに住もうかなとか考えています。できるかどうかは行ってみてからじゃないとわからないですけど。以前3ヶ月くらいインドに旅行したときから、いずれはインドに住んで絵を描きたいなと思っていたんです。2、3年いられたらいいですが、それが難しければ旅行して帰ってくることになるかもしれません。

●短くとも長くとも、インド滞在が作品にとってよい影響となることを、一美術ファンとして願っています。

  

 

日野之彦(ひのこれひこ)略歴

1976 石川県生まれ
1999 筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース卒業
1999 卒業制作展 芸術専門学群長賞
1999 第6回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき 佳作賞
1999 第53回二紀展 奨励賞
2000 第9回青木繁記念大賞公募展 大賞
2000 第29回現代日本美術展
2001 筑波大学大学院芸術研究科美術専攻洋画分野 修了
2001 個展(銀座スルガ台画廊)
2002 第20回 伊豆美術際絵画公募展 大賞
2002 第6回 春季二紀展 奨励賞
2003 個展(ガレリア・グラフィカbis)
2003 トーキョーワンダーウォール公募2003 トーキョーワンダーウォール賞
2003 第57回二紀展 奨励賞
2004 個展(東京都庁)
2004 第6回 前田寛治大賞展
2004 個展(ガレリア・グラフィカbis)
2005 VOCA展2005 VOCA賞
2005 第24回 損保ジャパン美術財団選抜奨励展
2005 平成17年度 文化庁買い上げ
2005 The 1st Pocheon Asian Art Festival
2006 個展(ガレリア・グラフィカ)

収蔵 筑波大学、石橋財団石橋美術館、伊東市観光会館、第一生命、文化庁

日野之彦webサイト http://www.geocities.jp/kolehikohino/