高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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日野之彦
小滝雅道
遠藤彰子VS佐々木豊
長谷川健司・中野亘
松本哲男
やなぎみわVS佐々木豊
清野圭一
Jean Claude WOUTERS ジャン・クロード・ウーターズ
長尾和典VS鷹見明彦
わたなべゆうVS佐々木豊
カジ・ギャスディン・吉武研司
千住博VS佐々木豊
山本容子VS佐々木豊
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治



'Round About
第18回 長谷川健司・中野 亘
「交差する視線」
高校時代、席を並べた同級生二人が、共にアーティストの道を進むことになった。ジャンルの違う二人がそれぞれの作品を見つめ、時を経ながら互いが自らの作家としての在りようをたしかめ合ってきた。今回は二つの個展の合間の対談を通し、さらなる創作への意欲を確認しあった。

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  中野:19年前に最初の二人展を、2回目は1999年に京都で開いて来ました。
長谷川:東京で3回目をやろうとしたんだけど、会場が見つからない、だったら二つの個展をぶつけ合おう、となった。それまでの経緯として、お互いの見続けている方向が同一の感があったので、前回の二人展では、「交差する視線」をテーマに展覧会を開きました。
中野:今回は「交差する視線」というテーマは全然意識しなかったんだけど、設置を終えてそのテーマがはっきりしたということはありました。意識していたわけじゃないけど。年を重ねるごとに、線と点の重なり具合が見えてきたというのはありましたね。
長谷川:最初の点は、同じ高校の一年生の時、中野の「な」、僕(長谷川)の「は」で名簿順で並んだら、ちょうど僕の前に中野が座っていた。それで肩をたたいて、なんとなく話す内に妙に馬が合い、9月生まれで、誕生日が一日違いということもあってか、美に対する考え方とか、物事に対する順序が似ていて、その時お互いが今このようになるとはまったく予想もしていなかったけれど、安心して前に進んで行ける、それこそ伴走者のような存在になるかなという、直感はあったかも知れない。あっ、僕の方が一日若いんです。
中野:そう考えると僕は長谷川より後発組かもしれない。僕には、高校の時から今まで、絵を描いていることが長谷川の属性である、という視点があった。そこをずっと見続けていたので、絵描きとしての長谷川健司が、僕がこういう職業に就くに至った伏線みたいな影響はあると思う。
長谷川:うん、ぼくが絵を描き続けている上で、誰かが見続けてくれているのは、大きな推進力だよね。その意味で、中野亘は高校時代も含めて同じベクトルを持った第一の人だと思います。
 
   
  長谷川:もともと僕はものを造っていさえすれば幸せな、そういう人間にあこがれていた。そしてそのようにしてきた。関東と関西、まるで遠距離恋愛みたいだけど、会うたびに中野が作家性のある作品を造ってきた。最初は京都の窯元に弟子入りして、職人的な仕事に就くのかなと思っていたら、いつのまにか独立して、食器作りに専念するのかなと思ったら、次にはまた別の形でもってきて、ああ、この人はもう作家活動をしているんだと。驚きというか改めてというか、いつのまに作家になっちゃったの?
中野:僕のなかではここに至る過程は必然的なものだと思っているんだ。土や音や人に導かれながらね。一般的に「焼き物」って限定して考えがちなんだよね。なんとなく器から離れられない宿命がある。そこで器って一体何だろうな、と関わり出した時から思っていた。ただ、その頃を振り返ると、知らず知らず器として捉えていない自分を感じるのね。つねに形というのだけの響きだったり、それが器とか器ではないとか関係の無い話だった。そこに形が有るか、無いかが問題であって。僕は確かに両輪として器も造っているけれど、造形作家だとかそういうのはかなり飛び越えちゃっていて、二つがかけ離れているとは思っていないな。その点では絵画一筋の長谷川を僕のためのスケールとして活用させていただいてます。
長谷川:しいていえば二人の違うところは、あなたは他者との関わりの中で自身をどんどん膨らまして、ちょっと転がって行く感じ、僕は自分が敷いた線路の上をひたすら進んで行く感じ、といったところがあるかも知れない。
中野:そうね、そんなところがあるね。
長谷川:結局、僕は絵を描くことしかできないからね。
 
   
   
   
   
  中野:長谷川の絵を観るとき、一番目がいくのは、肌合い。長谷川の絵の肌合いにものすごく惹かれるの。触れてみたくなるような肌なんだよね。それは、今回の私のひたすら石で磨いた土肌というのとかなり沿っていると思う。隣どうしで個展をやってみて対比ができて気がついたというかな、その視覚体験を自分の土肌に投影させようという裏の検証というのがある。
長谷川:肌合いっていう単語を使えば、僕もここ何年かで絵肌に対する感触は変わってきている。それはどうしてかというと、趣味で陶芸に手を出しちゃったんですね。そうしたら、今までつるっとした肌合いが好きだったのに、それとは違う肌合いを求めていることに気が付いちゃった。土を扱ってる時には、土の肌合いを気にしている自分がいて、その目線で今一度、絵具という物質がもっている材質感をきちっと見せることを、もう一つのテーマとして絞っている。中野作品の肌合いをチェックしてみて、自分がこだわってきた肌合いのきっかけを与えてくれたのは、あなたかも知れないし、あなたが僕の絵の肌合いに興味を持っていた事とうまく交差してきたかなという感はあった。僕らはお互いを見つめているのではなくて、見つめている方向がたぶん一緒なんだよね。それが、平行線ではなくて時間が経てば経つほど接近はするんだけど、どこかでブレながら、場合によっては交差する。これが気持ちいいんで、だからライバルじゃないし、ライバルいらないし。