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中野:19年前に最初の二人展を、2回目は1999年に京都で開いて来ました。
長谷川:東京で3回目をやろうとしたんだけど、会場が見つからない、だったら二つの個展をぶつけ合おう、となった。それまでの経緯として、お互いの見続けている方向が同一の感があったので、前回の二人展では、「交差する視線」をテーマに展覧会を開きました。
中野:今回は「交差する視線」というテーマは全然意識しなかったんだけど、設置を終えてそのテーマがはっきりしたということはありました。意識していたわけじゃないけど。年を重ねるごとに、線と点の重なり具合が見えてきたというのはありましたね。
長谷川:最初の点は、同じ高校の一年生の時、中野の「な」、僕(長谷川)の「は」で名簿順で並んだら、ちょうど僕の前に中野が座っていた。それで肩をたたいて、なんとなく話す内に妙に馬が合い、9月生まれで、誕生日が一日違いということもあってか、美に対する考え方とか、物事に対する順序が似ていて、その時お互いが今このようになるとはまったく予想もしていなかったけれど、安心して前に進んで行ける、それこそ伴走者のような存在になるかなという、直感はあったかも知れない。あっ、僕の方が一日若いんです。
中野:そう考えると僕は長谷川より後発組かもしれない。僕には、高校の時から今まで、絵を描いていることが長谷川の属性である、という視点があった。そこをずっと見続けていたので、絵描きとしての長谷川健司が、僕がこういう職業に就くに至った伏線みたいな影響はあると思う。
長谷川:うん、ぼくが絵を描き続けている上で、誰かが見続けてくれているのは、大きな推進力だよね。その意味で、中野亘は高校時代も含めて同じベクトルを持った第一の人だと思います。 |
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