高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
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金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
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川邉耕一氏
'Round About

第31回 川邉耕一

抽象的な平面絵画は、ややもすると現代の先端の表現形式の中では、とっくに時代の審判を受けた消滅した表現形式だと言われかねない。しかし、絵画とはそもそも人間をとりまくあらゆる事象の抽象化から出発している。川邉耕一はその抽象表現において、ことさら線・面の表情にこだわって制作している。つまり、川邉の創作は正攻法で絵画の本道を歩んでいるともいえる。

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線と面の発見
●現在のスタイルは学生時代からではないと思いますが、その当時はどんなスタイルで描かれていたのですか?
川邉:大学院修了直後は半抽象的な絵で、抽象ですか、と聞く人が多かったのですが、僕自身は具象のつもりで描いていました。
●具体的な物あるいは形態が、ある程度しっかりある作品だったのですか?
川邉:形態はしっかりありました。単なる“かたまり”というイメージですが、人物のイメージをかたまりにしたもので、その不思議めいた形をしたかたまりが、机の上や椅子の上に載っていたりするのです。そんなイメージで空間構成をしていました。
その後、もっと線を重視していこうと考えて、これもやはり具象のつもりで、たとえばアパートの壁を取り払った時に中の人間が動いている様子を、軌跡として針金のような線で表そうということで描いていました。今よりもっとドローイング性が強い微妙な画面空間作りと言うか、微妙な色が混ざり合っているものの上にドローイング調の線があるというような作品に変わっていきました。

●九州産業大から筑波大大学院に進まれましたが、そのころの絵のスタイルに大きな変化はなかったのですか?
川邉:大学卒業当時はもっと具体的な人物像というか群像で表していました。その人間像がかなり崩れてきたところで大学院に行き、そこではその人物像をさらに崩してかたまり感のあるものにしていきました。
 
   
●そのあと当時の西ドイツのフライブルクに留学されたのですね?
川邉:筑波を出て1年経ってからです。ちょうど1989年、ベルリンの壁が崩れる直前に帰って来ました。ドイツでは現代美術をいろいろ見て、感じたことを直接キャンバスにぶちまけるというような作品だったのですが、その当時も線は重要なものでした。
●その後はどういう方向性で自分の絵を発表していこうとお考えでしたか?
川邉:その当時は新制作展に出品し、同時に個展、コンクールなど、とにかく発表する機会を自分で作ろうと、いろいろなところに出品していました。
 
●今の表現に近くなったのはいつ頃からですか?
川邉:2002年から3年にかけてアメリカに行ってからです。アメリカでは大学のスタジオを借りて朝から晩まで制作しながら、とにかく今までの自分を捨て去ることができるかという気持ちで制作に没頭しました。まず、それまでの表現を描いていきながら、同時にそこからいろいろなものを省いていこうという考えによりました。そうしていく中で、自分の絵は線と面の構成によって、テーマを絞って作っていこうと考えるようになりました。
●フィラデルフィアのペンシルバニア大学に行ったことで、過去のスタイルを一変してみようということになったのですね?
川邉:それが大きなきっかけになりました。それと、その大学でお世話になった中里斉先生との出会いにも大きなものがあります。先生の考えを折々に聞かせていただいたことが、それ以前の自分の考えを要約してみるのに役立ったなと、後になって思います。先生の作品もシンプルに作られていて、面白い線が出てきているんです。
 
プラスの線マイナスの線
●抽象と一口に言っても、多様な表現スタイルがありますが、川邉さんの線はちまちま塗り、あるいは引いていくタイプの線ではなく、一気呵成に思えるのですが。
川邉:線にもいろいろな種類があって、描くスピードで表情も変ります。ですから何気なく素早く描いた線もあれば、たどたどしくなぞったり、時間をかけて引くものもあり、事実、本当にいろいろな線を作ろうとしています。普通、線は画面の上に描くということでプラスされるのですが、僕が描いている線はいわばマイナスの線なんです。つまり抜き取っているんです。そういう線の中からも、線であるポジとその周囲のネガとなる背景との関係を意識しようとしているのです。

 
   
●線を抜き取っているというのは、たとえば赤の下地が塗ってあって、その上にホワイトを一度塗り重ねて、それを一気に削り取るということですね。その線の中に削り取られた色彩が残ったり、または、完全に下の赤地が表れたりとかということですね?
川邉:そうです。そこはもう計算してやっていることではなく偶然です。
●もちろん、色も線も面の構成にしても全体のバランスを考えながらされていると思うのですが、一番神経を使うところ、集中するところもやはり線ですか?
川邉:制作自体では線なのですが、制作に入る前のアイデアの段階では構成です。
●大体の具体的な構図は予め決めてから取りかかるのですか?
川邉:はい、構図は予め完全に決めています。小さな色画用紙の上に線を描いて、またその上にも色画用紙を貼り付けたりして構成しながら完全な下図を作り、それをもとに引き伸ばしていくという方法をとっています。
●でも、いざ制作に入ると、その時々の体の動きやちょっとした力の加減によって生まれてくる線や微妙な色の剥れ方など、コントロールできない偶然性も出てくるでしょうね?
川邉:それはもう計算しきれませんから多少はありますね。
 
 
抽象作品の可能性
●川邉さんの作品は、表現のスタイルとしては抽象になるのでしょうが、抽象はある意味ではその表現スタイルが極端を言うと、もう行き着いている、逆説的に言うと無限にあるともいえるのですが、いかがでしょう?
川邉:抽象にもさまざまな表現がある中で、“絵画要素は線と面との関係性にある”とシンプルに絞って表現していこうと考えています。本来作家が持っている感性や考えを表す線の表現は、作家の数だけあると思っていますから。現代美術の中でのさまざまな表現の中にあっても針の穴ほどの可能性がそこにあるのではないかと思えるのです。結局のところ、自分自身がどういう線を作り、面を作り、それらをどう関わらせていくかというところで絵を作る。そこのところでチャレンジできる可能性を感じるから描いていけるのではないかと思っています。
 
  ●もう一つ、タイトルのつけ方は作品とどうつながっているのですか?画中に漢字や平仮名、ある種の象形文字などが実は構図の中に潜められているというようなことがあるのでしょうか?
川邉:作品には全部、文字が入っています。本当はそういうものは自分の中に収めておいてタイトルに入れなくてもいいし、誰もまさか文字が入っているとは感じないと思うのですが。線を使う、面を使うと考えた時に、今まで自由な線をたくさん入れていたのですが、余りにも自由すぎてしまって、“何でもよし”となってしまった。逆に自分自身を縛りつけるものともなったわけです。ですから線を使う場合に、何かもとにある形を自由な発想で出していき、“何でもよし”となってしまった時に再びその形に戻れるようなものがあればいいということで平仮名を使うことにしました。平仮名は僕の中では最もモチーフにならない存在だったのですが、小さい頃から慣れ親しんでいますし、形が単純なので、その中からもっと自分なりの形が生み出せるような気がするのです。今は平仮名を全作品に使っています。
 
 
 
●文字の形が組みこまれていることはわかりましたが、その色や形の中に何か意味はこめられているのでしょうか?
川邉:意味だけは入れないようにしています。ただ、使った平仮名の数が多くなるとタイトルを作る時、平仮名の組み合わせで遊ぶところがあります。それは単なる遊びで、タイトルからこういうイメージを持って下さいというようなメッセージは何もありません。ですからノンタイトルでもいいのですが、線が浮遊して見えたらいいということで今回「Floating」という主題と、それにこういう線を使うもととなった平仮名がありますよという解説に使うためにタイトルをつけました。
 
 
時代をこえたものをめざして
●絵画も含め、表現方法が多種多様化したこの時代にあって、ある評論家が「ファインアートの最後の砦はマチエールだ」という言い方をしていましたが、川邉さんの場合はマチエールへの意識はどうですか?
川邉:微妙な絵肌の感覚というのは描いていく中で作られていって、それが心地よいと感じることはありますね。
●その時々の線を描く時に自然に生まれてくる絵具の面のマチエールを素直に出していくという方法なのでしょうか。マチエール作りを余りこつこつ考えすぎてしまうとかえって不自由になってしまいますよね。
川邉:できるだけとらわれないようにしたいという思いは持っています。いろいろなスタイルや表現方法は今後も出てくるでしょう。50年代後半から60年代にかけて、平面絵画を描くことが否定された時代もあったようですが、そこを通ってもまだ平面絵画は作られているわけです。いつも新しい表現とは一体どういうことなのかと考えるのですが、はっと驚くような表現は今後も出てくるかもしれませんが、僕としては、前にも述べたように僕自身が出せる線、僕自身が描ける空間とはどういうものなのかを追求していく中で、はっとさせるような絵をつくっていきたいと考えています。そういうふうに考えていく中で日本の美術、特に水墨画や琳派の作品に興味が向くんです。ああいうものは時代を超えています。スタイルだけではなく、時代を超えたものというのは今後も作っていくことができるのじゃないかという希望を持って、これからも制作していきたいと考えています。
 
(2007.3.17 ギャラリー・アート・ポイント(銀座)個展会場にて取材)  
  

 

川邉耕一(かわべこういち)
1963 和歌山県出身
1986 九州産業大学芸術学部美術学科卒業
1986 (ブロンズ賞、卒業制作買い上げ賞、学長賞)
1988  筑波大学大学院修士課程芸術研究科美術専攻修了
1989 Staatliche Akademie der Bildenden Kunste
1989 KARLSRUHEへ留学(ドイツ: Prof. Peter Dreher教室)
1997−98 ホルベインスカラシップ奨学生
2002−03 文化庁派遣芸術家在外研修(University of
2002−03 Pennsylvania The Graduate School of Fine Arts,
2002−03 U.S.A.)
 

 

【個展】
1986・90 ア−ト・スペ−ス獏/福岡
1989 クリエイテイブハウス・アクアク/つくば
1993 シロタ画廊/東京
1994・95 真木・田村画廊/東京
1995・98 ギャラリ−・ウエスト/浜松 
1995 淡路町画廊/東京
1996・97・99 ギャラリ−Q/東京
1997 JTア−トギャラリ−/福岡
1998 ボッシュセンタ−/横浜
1998 浜岡カントリ−カルチヤ−フロア/静岡
2003 University of Pennsylvania Morgan Building Print Office Gallery /Philadelphia,U.S.A.
2003 University of Pennsylvania Addamas Gallery/Philadelphia,U.S.A.
2003 HIRANO ART GALLERY/浜松
2003・05・07 Gallery Art Point/東京
2005 日仏会館/東京

【グル−プ展】
1987 二人展『勝手』 蔵本秀彦(版画)/埼玉県立近代美術館・埼玉
1988 第17回日本国際美術展/東京都美術館、京都市美術館
1994 第11回現代日本絵画展【TYSテレビ山口賞】/宇部市文化会館・山口
1994 第17回エンバ美術コンク−ル【新人賞】/エンバ中国近代美術館・兵庫
1994 氷上町立植野記念美術館・兵庫
1995 二人展 渡邉浩二(彫刻)/ギャラリ−DEPO 103・富士市
1997・98・03・04 ・06 CAF(Contemporary Art Festival)/埼玉県立近代美術館・埼玉
1997・98・99・00・04 Aspect in Crew ||「三元素」小澤基弘、渡辺晃一、新井経
1997・98・99・00・04 /あかね画廊・東京
1998 第13回現代日本絵画展【佳作賞】/宇部市文化会館・山口
2000 −生− 加藤英人・田中圭一・平松賢太郎/梅田グランドギャラリ−・大阪
2001 インタ−プレイ2001 小澤基弘、渡辺晃一、野沢二郎、山中宣明
2001 /埼玉県立近代美術館・埼玉
2001 二人展 蜂谷充志/マインシュロス ギャラリ−・浜松
1995-96,98-2000 現代日本美術展(95、98、00 賞候補)/東京都美術館、京都市美術館
2005 第13回吉原治良賞美術コンク−ル展【優秀賞】/大阪府立現代美術センタ−・大阪
  2005現代ア−トへのいざない ||(平野美術館企画)/平野美術館・浜松
2005 浜松ゆかりの作家展(平野美術館企画)/平野美術館・浜松