ステレオタイプという視点
諏訪
:日本人に対するステレオタイプなイメージを題材に制作を始めたばかりです。とりあえず試したのが、合掌する人と、真直ぐで長い黒髪。現在は捕鯨のイメージを。
やなぎ
:これは銛なんですね。
諏訪
:ええ、自分で銛の現物を作りました(笑)。
やなぎ
:実際にモデルさんがいて、この格好をやっている?
諏訪
:そう。眼前の現実を描写しては行くのですが、"Stereotype"の人工的シチュエーションは、むしろやなぎさんのセットアップ写真の手法に近い。写実というのは存在論の話だから、コンセプトありきというのはその本道から外れるわけですが、少し斜めに違うことをやろうとしています。
やなぎ
:ステレオタイプというシリーズ名に興味がありました。どんなコンセプトなんですか?
諏訪
:前提として、私が写実画家として認知されていることがあります。つまり事実のみを描いていると思われていること。そこを逆手にとって、写真=真実という古典的価値の無力化のプロセスのように、実際の光景と虚構の情報を混線させようと思っています。
やなぎ
:その考えは、作品といっしょに言語化されるんですか。
諏訪
:現在は作品のみで考えています。言語的要素はタイトル程度。
やなぎ
:現代美術の作家には、あきらかにアイロニカルな意味をこめて、初めからそういう意図で描いている人がいますけども、そうではない作品と交ぜこんでいくのはリスクを伴いますよね。
諏訪
:この概念の示すものが一般の最大公約数的思い込みであり、それ自体は特に面白い発想は含まれないので、ストレートな絵画として扱うのが恐い部分もあります。
やなぎ
:そこはコンセプチャルアートとは違う。一応、途中までそういう手順がありながら、やはり描き始めてからの熱意のほうがボリュームは大きい感じがしますね。
諏訪
:確かに広義の意味でのコンセプチャルアートのやり口を踏襲していますが、絵画ならではの時間の使い方とも両立したい訳です。特に描写系絵画の場合は他の新しいメディアのような即時性が乏しいですから。そこがコンセプトの部分と折り合いの悪いところです。どっちを取るかといわれると微妙ですが、描写につきまとう手作業の苦難の時間を端折りたくないというのがあります。
やなぎ
:ちなみに私自身、この通りの合掌している写真を撮られたことありますよ(笑)。
諏訪
:(笑)。 海外では日本人と見るとけっこうな頻度でこう挨拶されますね。
やなぎ
:なんの関係もないんですよ。フランスで展覧会をしたとき、地元の新聞からインタビューを受けたんですね。それで作品の話をしている最中に偶然、伏し目がちに手を合わせたらしいんですよ。その写真が、次の日の新聞の文化面にすごく大きく載ったんです。作品写真は一切載らずに。キャプションでは、ゴダールの映画にある、ピストルを向けられて懇願しているシーンと重なったとか、わけのわからないことを書かれました。
諏訪
:日本人の作家が海外に出ると、西欧人の見たわかりやすい日本人像を要求されるところがあるし、始末の悪い事に日本人自身が「お前らの見たいのはこれだろ」と、戦略としてそんな陳腐なイメージを積極的に提供するケースも多い。サムライとか(笑)。
やなぎ
:そうですね。
諏訪
:ステレオタイプというのは物事の重み付けの過程で、個々の詳細に分け入らずむしろ省く手続きだと思うんですけど、ディテールを描いてなんぼのスタイルの画家が、わざわざその誤解された状態を緻密に膨大な労力と時間を費やして描き、最終的にまとまった数の作品を見回したときに、日本人はおろか何人にも当てはまらないヘンな全体像が生まれればいいなと思っています。今度の『複眼リアリスト』ではそのシリーズ開始の数点を御見せできるはずです。
モデルとの距離感
諏訪
:モデルさんとはどういうやりとりをしているんですか? 特にマイグランドマザーズシリーズについて聞いてみたい。
やなぎ
:そうですね。ジャパニーズビューティーシリーズをなさっていて、モデルとのコミュニケーションは似たところがあると思います。私は、一般公募なので、たとえば年齢で言えば、中学校一年生の女の子もいれば、四十代の男性もいるんですよね。
諏訪
:幅広い!私の"JAPANESE BEAUTY"では最初から一定の条件、来歴、境遇の人のバリエーションを決め、当てはまる人を探して回りました。本気で捜せば見つかるものです。一方"SLEEPERS"というシリーズでは、描写対象の寝姿を描写するというシンプルなコンセプトですが、ありがたい事に度胸のある、主に女性がだんだん自薦してきてくれるようになりました。基本的にプロは使わない。
やなぎ
:私もプロを使ったことはないですね。
諏訪
:それはどうして? 実は最もよく聞かれることなんですが、一度同じ質問を他人にしてみたかった(笑)。
やなぎ
:だってぜんぜん面白くないので。例えば、フェアリーテールというシリーズでは、子どものモデルを探すのに苦労しました。モデル事務所に行けば、いくらでも子どものモデルがいますけど、もう五歳にして笑顔を覚えている(笑)。
諏訪
:出来上がっているつまらなさですね。杉本彩の裸のそれに通じる。容姿は完璧に保証されているけど。
やなぎ
:記号的なあり方を本人が自覚するとね。
諏訪
:脱いでもフル装備というか。堂々とされすぎると(笑)。何らかのコンプレックスを抱えていたり、異常緊張してびくびくしていたりとか、脱いだときに凄く暗さがある方が興味を持てる。
やなぎ
:暗さね。一番エロチックですよね。理想的なパターンでしょう?(笑)
諏訪
:グランドマザーズのときはテキストはどうやっているんですか?"JAPANESE BEAUTY"では、テキストを書くときには自分の存在があまりテキストに滲み出ないように考えていたんです。
やなぎ
:インタビューしたものを最終的に私がまとめています。
やなぎみわ「My Grandmothers/ TSUMUGI」
H 1200 x W 1600 mm 2007年
© Miwa Yanagi
やなぎみわ「My Grandmothers/ KWANYI」
H 1000 x W 1000 mm 2007年
© Miwa Yanagi
諏訪
:やなぎさんの構想なり作品の全体像に符合するように誘導しているんですか?文体に統合感が。
やなぎ
:すごく入っていますよ、独断と偏見が(笑)。だいたいモデル選びからして入っているわけですから。
諏訪
:それはそうですね。客観ぶっても、独断はいかなるスタイルでも混入します。
やなぎ
:グランドマザーズは完全にフィクションですから。私とモデルが共有する祖母を作るというプロジェクトなので。でも、テキストはけっこうモデルが注文を言いますね。
諏訪
:本当に(笑)。
やなぎ
:私の場合、一応、前半はコラボレーションだと言ってあるので、こんな服がいいとか、こんな髪型がいいとか言われますけど、撮影が終わると作品にはあまり口を出せない。でも、テキストについては、校正や英訳してくる人もいる。
諏訪
:凄いですね、人材豊富(笑)。モデルとの心理的距離はやなぎさんのありかたの方が近いかもしれない。私の場合こちらは彼女たちが書いた文章に100%文句を言いませんから。「対象へのよりかかり」もいいとこだけど反面、観察に徹する事で意識的に断絶を設定しているのかもしれません。
やなぎ
:でも、モデルさんにポーズは要求されるわけですよね。
諏訪
:そういう場合もあります。
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