高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛
もぐら庵の一期一印
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
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西村亨
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久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
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秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

絹谷幸二
'Round About

第70回 山口 晃 VS 佐々木 豊

世界堂創業70周年記念特別企画講演会<連続対談>の第3弾として行われた、佐々木豊vs山口 晃対談。山口 晃は、大和絵風構図の中に過去と現代を交錯させながら、ときにおかしくアイロニカルに現代社会を断截して見せる。その卓越した線描表現は多くのファンを魅了している。題して、「ちょんまげを六本木ヒルズに住まわせるアイデア王に聞く」の模様を、久しぶりに佐々木豊氏のWEB版「ホンネでファイト」仕立てでお送りします。

※画像はクリックすると拡大画像をひらきます。 
 
   
佐々木:佐々木豊です、よろしく。びっくりしました、人気があるとは思っていましたけど、満席でまさかこれほどまでとは思っていませんでした。僕は1993年に『泥棒美術学校』という本を出しました。新しくできた明星大学美術科に呼ばれた時、そこで出会う学生向けに書いた本なんですね。93年というと、山口晃さんが画学生生活真っ盛りの頃ということが分かりました。これからは映像の反乱する時代である。既成の映像、過去の絵画や、医学書などで目にする人体内部の図像など、これからどんどん現れては消えていく映像も、表現者にとっては、セザンヌにおける林檎と同じ関係の題材になるであろうと。正に僕が書いた内容をそのまま実現して成功を収め、若くして名声を得た新人類美術家が現れた、今日は僕自身がとても楽しみです。本日は申し訳ないけど、僕が勝手に聞きたい事だけを聞いていきます。  
  佐々木:アリアス像を描いた石膏デッサンですね。山口晃・会田誠二人展の冒頭に展示されていました。普通こんなの美術館での展覧会に出さないけど、なんで出したんですか?
山 口:いえ、この程度の人間が描いているんだということをですね。

佐々木:こんなに上手く描けるぞ、という?
山 口:いやいや、そうではなく。最初は僕もそう思って出そうと。記憶の中ではもっと上手なものとしてあったのですが、久しぶりに見ましたら酷い事になっていまして、だったらむしろこういう人間が凝りもせずに絵を描いているんだぞ、ということで個展に出そうと思いまして。
 
  佐々木:履歴を拝見すると、予備校の後に受験に失敗して多摩美に1年間行かれていますよね?それでまた芸大に?何故あなたは芸大に拘るの?
山 口:私はなんだかモヤモヤとしておりましたので、芸大に受からなかったっていう気でこの先いくよりは、受けて、そういう事を気にせずに絵を描きたいなと思いまして。これが最後と思って受けましたら運良く受かったもので。あとは学費がですね、多摩美に1年行くより芸大に4年行った方が安い位だったものですから、そういう意味からも受け直してみようと思いまして。

佐々木:奈良美智も武蔵美から愛知芸大に行っているよね。そういうお金の理由からならとっても分かるね。僕も私学の入学金なんてとても払える状態じゃなかったから。では、画学生時代、多摩美と芸大時代にどういう勉強をされたか聞きたい。これが1年の時の合評会に出して、散々な酷評を受けたという。
山 口:あ、はい、あまりいい評価頂けなかった。

佐々木:なるほど。これは前田青邨が下敷きになっている・・・。
山 口:そうですね。青邨の『洞窟の頼朝』という大きな絵がありまして、甲冑がとても美しげで、あんなものをやってみたいなと思いまして、こんな風になってしまったんですが。
 
  佐々木:この一週間ほとんど10時間以上山口さんの情報を勉強して頭に入っているんだけど、線のドローイングは95年、大学院の頃、先ほどの「洞窟の頼朝」は1年の頃で、その間余り絵が見当たらないけど、なんでないの?
山 口:勝手に描けと言われると落書きばかりで仕上がらないものですから。仕上がったものはだいたい課題で描いたもので、そういうのは習作として修めるには足らないと思って、塗りつぶしたりしていましたので。本当に絵の具も使わない様な鉛筆ばっかりだった様な気がします。

佐々木:今、山口さんはとても大切な事を言っている。奈良美智がね、合評会の時に大作の中にあって、落書きのようなドローイングしか並べないんで、テンポがかくっと違っちゃう。だけどその落書きを並べた個展を初めてやったら、全部売れちゃったということを画廊の人から聞きました。女学生がこづかいで買って行くんですね。ドローイングにそういう魅力があったんですよ。僕も本の中でよく言うんだけど、気張った本画なんかよりも落書きをいっぱい、ドローイングをいっぱい描けとね。それが大作家になる、修業時代の特徴だと思いますね。
 
  佐々木:この絵は大和絵様式の先駆けですよね、油絵の具?。100号くらいですか?
山 口:油絵の具のみです。30号が2枚だった様な、縦で。

佐々木:これが原点の様な気がしますが、ご自分ではどうですか?
山 口:そうですね、今よりは油絵の具の性質みたいなものに向き合って描いて、のちのちどんどん薄くなっていくんですけども、油絵で大和絵を、っていう。
 
  佐々木:ここで、当時の美大生の傾向とあなたの位置関係を知りたい。僕は80年代の初めに東京芸大と愛知芸大の講師だったんだけど、その時は、インスタレーションがはやりだした頃でした。優秀な学生ほど絵をやめてインスタレーションに行ってしまうと、芸大教官の大沼映夫氏がなげいていたのを憶えています。
山 口:美少女を描いて風がそよいでいる絵を描く人間はいましたけど。モデルさんを重い感じで描く様な学生はひとりもいませんでした。

佐々木:どうですか、インスタレーションばやりの時代の波の上で、先頭を切ってサーフィンしているような、かっこいい人達がいたでしょ?
山 口:憧れの目で見ておりました。私は、例えば荒川修作の絵を見てもその思いやコンセプトよりも、ペラ1枚になった時の図像的な美しさにほれぼれしてしまうんですね。だからあっちは無理だなと。
 
  佐々木:半年くらい前に名古屋市美術館から会報が送られてきてました。そこに、こう書かれていました。「90年代までに流行ったインスタレーションは見るかげもなく、懐かしい感すらある。物語性(ルビ/ナラティブ)のあるドローイングとか、絵の全盛である」、時代は逆転したわけですよね。僕の学生時代は抽象全盛で、物語性は毛嫌いされていましたから。今や物語り絵のあなたがスーパースターになって、あの時の格好良かった連中が忘れられようとしている。
山 口:えっ?、私はあまりそういう実感がございませんで。その、反響がないようなところで描いておりますので。

佐々木:描き方を知りたいですね。最初にアイディアとイメージがある。その次に図起こしがある、それからペン入れがある、そして最後に彩色とどこかに書いていましたね。非常に明快。最初のアイディアの時に、僕だったらエロ写真とか見るんです。何にもないところで発想するんですか?それとも何か下敷きがあるんですか?
山 口:例えば、洛中洛外図とか、あるいは全然違う工場の写真だったりとか、ポットが机に置かれてる写真とか、要するに、その図像をそのまま描くというより、それを見た時に何か疼く様なものを感じ取って、それを細かく細かく再現していくという。ただ、ある段階から後は、むしろ見ない様にしております。
 
 
 
佐々木:ある段階っていうのは、細部の描写に入ったくらい?
山 口:どれくらいでしょう、実際に描きつけていく時にはむしろ見なくて。見ますと、何かその図を超えるものができない様な気がして、見ないと元の図が持っているイメージが自分で肥大化していくんですね。もっと凄かった、こんなんじゃ足りないって。ところが図があると、それを引き写せばいいやってそれで終わってしまうものですから、むしろそのものが持っているであろう、与えてくれる胸の疼きみたいなものを再現しようとしている。結果的に、描き上がった時に元の図を見ますと、自分ではわりと上手くいっているって思う事が多いものですから。

佐々木:この六本木ヒルズ描いた絵は、航空写真なんか見ているんでしょ?、あなたの絵は鳥の視点から見下ろした建物の絵が多いけど、ヘリコプターで撮った写真とか。
山 口:いえ、あんまり使わないです。
 
  山 口:そういう風にパースを取る為ではなくて、むしろ屋上の様子とかですね、地上からでは見えないものの資料としては使いますけど、街の様子を修めようとする為に航空写真は使わないです。逆に使うと描けない。航空写真はパースが必ずつくものですから、それで絵にすると狂うのです。むしろパースがつかないものとして、地図ですね、地図を使って道割りして、ぺたっとした平面の地図。