高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
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小林孝亘
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吉武研司
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伊藤雅史VS佐々木豊
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長沢明
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三瀬夏之介
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秋山祐徳太子
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マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
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中堀慎治



'Round About

第62回 佐藤俊介

1967年金沢市生まれの佐藤俊介は、現在出身校でもある金沢美術工芸大の准教授として、後輩の指導にもあたる期待の俊英日本画家である。現代における日本画とは、コンピュータという情報機器を創作に生かすにはどのようにすれば良いのかなど、時々刻々変容する環境を繊細な感覚で捉えて作品に反映させようと模索しているようだ。

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●最初に絵に興味をもたれたのはいつ頃でしょうか?
佐藤:子供の頃からです。絵の他には、あまり出来ることがなかったので。

●同年代の人の中では上手だった方ですか?
佐藤:上手く綺麗に描くということに対してはそんなに意識はしてなかったのですが、なぜみんな綺麗に描けるのかなと思っていました。例えば写生大会で建物を描けば、瓦なんかを綺麗に描いたりしますよね、カラフルに。でも、なぜ自分はそんな風に描けないんだろうと思ってたんです。実際に瓦を見たら、そんなに綺麗じゃないんですよね。一枚一枚色が違ったり、汚れてたりとかする。そう思いながら描いてくと、画面の方はどんどん汚くなるんですよ。汚いなって思ったりした作品なのに褒められたりしてましたね。褒められる事があまりないので嬉しかったですよ。なぜそれがいいのかという自覚はなかったけど。

●コンクールに出して賞を貰った経験はありますか?
佐藤:特に印象深いものはないのですが、そんな感じで校内の展覧会ではいつも賞を貰ってました。

●中学・高校に行かれて美術部に入ったとか?
佐藤:高校の時は美術部でしたね。半ば騙されたみたいにして入ったのですが。

●騙された、と言いますと?
佐藤:中学まで剣道をしていたのですが、どうしても当時の僕にはかっこよく思えなかったんですよ。当時、バレーとかバスケットが華やかに見えてて、僕は背が高かったので高校では、バレーかバスケをしようと思っていました。ところが高校に入った1日目に美術の授業があって描いてたら、先生に「お前、放課後、美術室に来なさい」って言われて。その日はバレー部に体験に行く予定だったけどまぁいいかって行ったんです。そしたら先輩に「ここに名前書いて」って言われて、1年何組佐藤って書いたら美術部に入った事になっちゃってて、明日から来なさいって。
 
●それは後から考えたら自分に合っていた?
佐藤:そうですね、何かを表現したいっていうのは思っていたので。大体。中学3年生くらいになると受験勉強しますけど、僕は勉強好きじゃないからしない。だから、成績悪くて先生に呼ばれて「どうするの?勉強してないの?皆してるからしなさい」って。でも友達に聞くと「していないよ」と言うので僕はそれを真に受けて何もしてなかった。多分皆していたと思いますけど。堪り兼ねた先生に「佐藤、将来はどうするの?」って聞かれる。音楽が好きだったので、好きって言っても弾けるとか歌えるとか成績がいいとかじゃなくて、好きなだけなんだけど。僕はミュージシャンになりますって言ったんですよ。「佐藤君、」って先生が頭抱えて、そりゃ無理だよと。音楽の成績を眺めて、楽譜も読めないし。じゃ何ができるかなと思って、絵を描きますと。絵を描くんなら、ちゃんと普通高校に行って、大学に行きなさいと。そうかぁって漠然と思ってた直ぐ後に、美術部に入った。
 
   
●具体的に画家の道に進もうかなっていうのはその辺で決まったのですか、高校の美術部に入って?
佐藤:今もそうですけど、将来設計とかしっかりした子供じゃなく、自分のしたい事をぼんやりと考えてるだけの人間なんで。当時は、絵で食べてなんとかっていうよりは、どういう絵を描いていこうかなって、そんな事しか考えてなかったんです。

●例えば日本画とか洋画とかの区別は、その頃はありましたか?
佐藤:絵を描く事は決めてたけど、現代の日本画って所謂日本的なモチーフじゃなかったり教科書で習う古画と全然違ったりとかする。じゃ例えば墨や岩絵具で描けば外国の人が描いても日本画になるのか?とか、漠然とした思いがあって。そんな調子で、絵だけじゃなくて世の中の「日本的」といわれるものに懐疑心を持っていました。だったら大学で日本画の教育を受けたら絵の上だけでもその「日本的」ということに線引きが出来るのではないかな?と思って日本画を選びました。当時影響を受けてたのは日本画じゃなくて、キタイやホックニー、ベーコンとかなのかな?他にも当時はニューペインティング全盛でそれらは音楽と結びついていて、僕は凄くかっこいいと思って影響を受けてたんです。

●こういう人に影響を受けて日本画家に成ったのは、少ない?
佐藤:当時の新しい文化にとても影響を受けてたのですが、そのまますんなりいくのも受け入れるのも面白くないと。そういう人はいっぱいいるし、みんなと同じものを情報として入れて、同じ様にというのが何か嫌だった。あるコースに乗っていく様な感じで。現代美術って当時は凄く好きだったのですが、「現代美術」って開き直って言っちゃうと面白くない様なところがあって。

●その後大学に進まれるわけですが、どなたが先生ですか?
佐藤:誰にも師事してない、意識してです。当時大学では日展系が強くて、学生は全員日展に出すみたいな感じでした。それが何となく嫌でしたが単純に反発するのはもっと嫌だった。
 
   
●卒業後は?
佐藤:そういうのが僕はどうなのかと思っていて、好き勝手な事をしてたんで、先生もいい風には思ってなく扱いにくかったと思うんですけど。大学院出たらもの凄くすっきりして、そういうのからおさらばだと。門下や研究会みたいなところに入らなかったし先輩の後をなぞる様な事もしたくなかったんです。「日本画じゃなくてもいいし、絵を描かなくてもいいし、好きな事をしよう」と思ったのですが、でもやっぱり絵は描きたい。そんなわけで描いてたらある時、黒い色が欲しくなった。何かいいのはないかと試してみると、墨が一番良かった。一番好みだった。墨を木とかキャンバスとか色んなものに塗るんですけど、紙が一番合うし綺麗なんです。やっぱり墨には紙かぁって。そうやっていくと、ものの見方でもあまりダイナミックな感じじゃなくて俯瞰した様な、一歩引いて見るストイックな感じが自分の中に好みとしてあって、そういう感じで好きにやってたらとても日本画的なものになっていた。考えてみれば日本画って元々そういうものなんですよね、どちらかと言えば図的なというか、象徴的というか。そういうことに、ある日はっと気づいてそれからずっと描いてる感じです。
 
   
●精神性の強い作品が多い?
佐藤:そうなのかもしれません。家内も描いてるんですけど、彼女を見てるといろんな色を上手に使って色感がいいし。花見ても、あっ綺麗って言っていい線をサラサラ描くんですよ。子供見ても可愛いなって。それが何とも綺麗な花になったり子供のいい表情になったりとか、本当に口で説明するより早く上手に描くんで感心します。同級生なんですけどこんなにも違う。そういうの見ると、ああこれが絵描きさんなんだなって思うんですけど、僕は違うなと。僕はできれば、全部人に任せたいくらいなんですけど、じゃなくてやっぱりこれはこうしてってやっていくと、誰にも手伝わせられないというか、自分のものになってしまうんです。絵描きさんってまた違うのかなって思ったり、でもそういう絵描きがいてもいいのかなって思ったり。絵のスタイルとか全然執着も無いし、ころころ変わるし。僕の表現したいのはそういうことじゃないのかもしれません。

●それはころころ変わって当然ですよね。最初の画法と現在と変わってきてますか?
佐藤:凄く変わってるのもあると思います。
 
   
●現在、どこか所属されてますか?
佐藤:日展です。でも今は学生も団体展に対してあまり執着もないみたいです。こちらも特に何処其処に出しなさいといった指導もしていないし、いろいろなところで自由に発表してますね。その傾向は僕の学生時代くらいからかもしれません。

●今佐藤さんが制作してるものは過去の蓄積や繋がり?
佐藤:はい。そういうものだと思ってやってますけど。だんだん歳をとってくるとよく分からなかった親父の行動が分かってきたりとか、亡くなったじいちゃんが、人間としてどういう人間だったのかなとかね、なんとなくそういうのが俯瞰出来るようになりますよね。
他にも、今コンピューターって絵描きさんでも使いますよね?だいたい下図を作ったり、もちろん表現そのものに使ったり。僕もそういう使い方は今もしていますが、大学入って直ぐくらいの頃は世の中にパソコンってほとんどなかったんですよ。何とかして手に入れて、何をしたかったかっていうと、当時のパソコンは絵をひとつ描くにしても、制約がもの凄く多かったんですよ。さすがにカラーにはなってましたけど。絵の場合は思った事を無意識のうちに慣れで描いちゃうんですが、そういう不自由なコンピューターを使って描こうとすると、一旦自分のやりたい事を考え直さなくちゃいけないんですよ。左手で描くみたいな、人に命令して描いてもらうみたいなもんで。コンピューターと対話しながらって感じ。それが面白くて当時やってた事が今にも繋がってたりします。
 
   
●作品について具体的に伺いたいのですが、寓意的と云うんですか、底辺に流れているものは?
佐藤:たとえばこれは去年描いた大きい9mくらいある絵なのですが、電車が描いてあって、拡大すると龍みたいになってるんです。随分と昔の話ですが、ある時ふとしたきっかけで駅の跨線橋上で真夜中に電車を待っていました。しゃがんで見ていると遠くに光が見えたので電車がきたと思ったら近くに来てみると貨物列車なんです。貨物列車ってヘッドライトだけ光ってて後は真っ暗な鉄の塊なんですよ。しかももの凄く長い。それがグーッと来て、僕の下をガーッて過ぎていくんです。もの凄く恐くて、龍みたいで。その後20何年間かして一昨年大学に戻ってきて学生の時に描いた落書きを懐かしいなと思って見ていたら、ふっとそれが蘇ってきて、あの時に見た龍は僕にとって何だったのかなと。確認の意味も込めて描いてみようと思った作品です。
 
   
●他の作家と違ったやり方は?
佐藤:誰もそうなんだろうけど、沢山あると思います。例えばコンピューターと日本画表現の融和性について研究しています。単純に下図を使って何とかっていうのもあるけど、他の可能性もあるんだろうなと。学生にアンケートとったり自分なりにいろいろ試行錯誤したりして研究しています。

●今回の藤屋画廊での個展には何点出されますか?
佐藤:大体14,5点です。今回は2回目ですけど、1回目の時は展示するのが初めてだったので、京都で発表したものや、古いものと新しいものが混在していて名刺変わりみたいな展覧会になってばらばらでしたけど、今回は近作が多いので今の自分に近いかなと思います。次へのヒントみたいなものがあるのかな?作品それぞれに共通するテーマは特にこれといってありませんが、制作のその都度で 「いま、自分のなかで起っている事、ざわついている感情は何なのだろう?」 ということを作品に置き換えることで認知出来たらと考えています。

●他に今後展覧会の予定は?
佐藤:毎年、京都の文化芸術会館で5人のグループ展覧会をしてるのですけど、今年は5月12日から18日です、博(BAKU)展。
 
(2009.2.19金沢のアトリエにて取材)  
  佐藤俊介(さとう・しゅんすけ)略歴
1967 金沢市に生まれる
1989 第24回日春展初入選(以降出品)、
1989 第35回全関西美術展読賣TV賞、以降関展賞など6回受賞
1989 第10回瀧冨士美術賞
1990 第22回日展初入選(以降毎年)
1992 金沢美術工芸大学大学院修了 修了制作買上
1993 第28回日春展 奨励賞
1993 第1回「博(BAKU)」展(京都府立文化芸術会館・以降毎年)
1995 第14回臥龍桜日本画大賞展 奨励賞
1996 第31回日春展 日春賞
1996 第1回東京日本画新鋭選抜展出品(同'98、'02出品) 奨励賞
1996 第3回菅盾彦大賞展(同'99、'02出品)
 
1997 第32回日春展 奨励賞
1998 第4回「美の予感」展出品(東京日本橋高島屋他)
2000 「新世紀をひらく美」出品(高島屋)
2003 個展(銀座・藤屋画廊)
2005 第37回日展 特選
2009 特別展「生-歌会始御題によせて」出品(三重・式年遷宮記念神宮美術館)
2009 個展(銀座・藤屋画廊)
その他 受賞、個展、グループ展多数。
現在 金沢美術工芸大学 日本画科 准教授、日展会友、石川県美術文化協会常任評議員
 
 
●information
「佐藤俊介展」
2009年3月31日(火)〜2009年4月5日(日)
藤屋画廊
東京都中央区銀座2-6-5 藤屋ビル2F tel 03-3564-1361


「博(BAKU)展」
2009年5月12日(火)〜2009年5月18日(日)
京都府立文化芸術会館
京都市上京区河原町通広小路下ル tel 075-222-1046

http://www.bungei.jp/index.shtml