自由の森学園の壁画の次に、私は埼玉県の上尾市立「原市(はらいち)公民館」の壁画に取り組むことになる。初めての公共施設への壁画だ。この壁画制作の中で、私は新しい人間の造形を生みだしていった。
その機会をつくってくれたのは、当時の上尾市教育委員会社会教育課の山内淳一さんだった。山内さんは社会教育の理想に向かって、埼玉県中で人と人の出会いをつくり、休日も夜も情熱をこめて人間が学び合う場を育んでいた。
私がフリースクール「寺小屋学園」を、十代の仲間と創立した年には、山内さん自身が授業をしてくれた。
そして私が年賀状に、「自由の森学園壁画」の写真を貼り、めざす理想に向かって壁画の道を歩み始めたと、書いた時。山内さんはすぐに、電話をかけてきてくれた。
「エイコさんの壁画を、上尾の市民ギャラリーで展示したらいいと思うんだ!」
上尾市民ギャラリーを私が一週間借りて、壁画展をしよう。それを山内さんが助けてくれることになった。
展示計画を練るために上尾を訪ねると、山内さんは私を社会教育課の部屋に連れて行った。山内さんの机には、「自由の森学園壁画」の写真が飾られている。打ち合わせコーナーに座ると、社会教育課の人たちが、笑顔で共に座ってくれた。
「壁画展ってどんなもの? いつ、開こうか。どんなふうに準備しようか。」
壁画家として出発したばかりの私を、こんなふうに支えてくれる人たち。一人一人の輝きに、私は包まれた。
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壁画展の準備にかかっていた、ある日のこと。社会教育課から電話があった。課長さんからだった。
壁画展のことだと受話器を握った私に、思いがけない、課長さんの言葉。
「今、新しく計画している公民館に、壁画をお願いできますか?」
身体中が熱くなって、うまく答えられない。お礼の言葉を、何度も何度も言った。
すぐに山内さんに連絡すると、「課長から電話がいったでしょ」と笑っている。
その声を聞いたとたん、喜びが広がった。
山内さんと社会教育課の人たちは、きっと多くの人を説得してくれたのだと思う。29歳の私にとって、壁画の道を踏み出す「未来への扉」が開かれた。
1987年3月、上尾市立「原市(はらいち)公民館」の壁画の初めての打ち合わせだ。あの社会教育課の打ち合わせコーナーに座って。机の上に大きく広げられた図面がある。
上尾の人たちは、熱く語った。
「今までにない公民館にしたい」「原市は長い歴史のある町で、独特な風土なんだ」「このまちに生きる人たちが、自分の場所のように感じてもらいたい」
壁画は、玄関ホールの中の「子どもコーナー」につくることになった。大人たちが活動する間、子どもたちが安心して過ごせる場が必要との発想で生まれた「子どもコーナー」。それは建築の中心に位置づけられていた。
打ち合わせの後は、一日中かけて一緒に、原市のまち巡りだ。歴史、自然、文化に出合っていった。
最初の打ち合わせから工事着工を経て、壁画を制作する壁面ができるまでは、9ヶ月の時間がある。私は自分のアトリエの中で「どんな壁画をつくるか」の原画創作に向かった。
アトリエで一人になると、自分の心の内側から、上尾の人たちの熱い思いが湧きあがってくる。その思いの中で、手渡された原市のまちや公民館についてのたくさんの冊子のページをめくっていく。すると、長い歴史を通して人間が一歩一歩、幸せを求めて前に向かって生きたことが見えてくる。アトリエに貼りだした新しい公民館の図面を見つめると、これから生まれる未来への希望が広がり始める。
その時、私は「幸せな未来を願う人間」を描こうと決め、鉛筆を持った。描き始めた人間の形は、「子どもを抱く親の姿」だ。親が子どもの成長を願う姿を描くことで、「幸せな未来を願う人間の内面」を表したかった。
白い紙から人間を生みだすように、少しずつ、目、鼻、口の線を引く。手や足は形を探るように、薄く描く。さらにデッサンを進めようとして、具体的にはっきりと描き込もうとした。
ところが、描けない。
具体的に人間の顔や体を描いてしまうと、「親と子どもが今、ここにいる」という実感が強くなる。すると、「これから」を感じにくくなるからだ。
未来を感じる造形にしたい、深い人間の願いを表したい。
鉛筆を墨のついた筆ペンに持ちかえ、息を止めて、白い紙の上に墨をのせていった。目と鼻は、点と線。僅かな体の線。祈るような手の形。大きく踏みしめる足。
最も単純な黒い線のみで、人間の姿が生まれた。
初めて描いた造形だった。人間の線と線の間には、何も描いていない空白の空間ができている。その空間が、「これから」を感じさせた。
9ヶ月の時間の中で、原画ができあがった。線で描いた親と子どもの姿。そして未来が光で満ちるように、淡い透明な黄色を画面全体に薄く薄く、重ねた絵。
上尾の人たちはその原画を見て、新しい絵が生まれた喜びを、共にしてくれた。そして壁画展は上尾市教育委員会の主催として、「原市(はらいち)公民館」の壁画の原画も展示することが決まった。
原画をもとに実物の壁面に、アクリル絵の具での制作は3ヶ月間。こうして1988年5月、「育ついのち」(9.2m×2.4m)という題名の壁画が完成した。
開館した公民館の中心で、壁画は淡い光を放つように見える。ここに集う子どもたちが、その幸せな光に包まれることを、私は願った。
壁画の中の「手を差しのべる子どもの姿」を見ると、それは上尾の人たちに育まれた私自身と重なる。
「人間が未来に向かって生きることの喜び」を私自身の人生をこめて刻んだ、上尾市立原市公民館の壁画。それは、私の仕事すべての土台となった。
(次回に続く)
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