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≪前頁より続き≫
ここで問題を一つ。山本山式の書畫家の人名を日支各一人擧げよ。(出来ても御褒美は出ないよ)
さらにまた冀北はどうだ。下の字は上の字の一部である。これに類する者はどうも他に思ひつかない。加賀、成城といふのがあるがこれは本體の字ではない。
清の阮元がある時學童に口對を課した。ちと餘計な説明をすると、書面でなく、口頭で對句を答へることを口對、また對對子といふ。支那では古くから對句を作ることを幼時から訓練され、何かにつけて應對を求められた。たとへば青山と言へば、緑水と應へるやうに。だから、ある先生が學童に月圓と題を出したら、學童が風扁と對した。先生解せず、その意を問ふと、學童は風はどんな小さな隙間からも吹きこむのだから扁(ひらた)いにちがひないと言ったといふ笑話がある。さて話のもとにもどって、阮元先生學童に對して「伊尹」と出句した。學童すかさず「老師」と對した。阮元先生解せず、さらに「伊尹」と重ねて問ふに、學童平然として「老師」と應へる。そこで阮元先生恍然として覺った。學童の老師とは己のこと、つまり「阮元」である。學童は師の名を呼ぶわけにゆかないので「老師」と言ったのであった。伊尹は伊の中に尹があり、阮元は阮の中に元がある。このやうな姓名、私はあちこちさがして、やっと明人に陳東といふ人があるのを見つけた。今は暇がないのでそれ以上さがしていない。
對聯には藏頭、歇後、嵌字、柝字、謎語などの文字の遊戯を利用した者も少なからず見られ、特に對對子には棒腹絶倒の話が盡きない。
さて今回でこの連載はおしまい。なんだか尻切れトンボのやうな終りかたで、ちと氣がひける。ホントウはもっと遊戯的なこと、柝字、字謎、嵌字、歇後、さらに回文や物名の詩などを取上げ、それらの書作品への應用などについて述べてみたかったのだが、それはまた別に機會があれば。と言っても今まで書いたこと、嘘か誠か知れた者ではないぞよ、なにしろ綿貫明恆とは、ワッ、タヌキ、アッ、キツネなんだから。 |
今回で連載終了となります。ご愛読ありがとうございました。
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