高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
北川宏人
伊藤雅史VS佐々木豊
岡村桂三郎×河嶋淳司
原崇浩VS佐々木豊
泉谷淑夫
間島秀徳
町田久美VS佐々木豊
園家誠二
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

原 崇浩
'Round About

第40回 原 崇浩 VS 佐々木豊

スペイン・リアリズムのカリスマ、アントニオ・ロペスから直伝を授かった数少ない画家のひとりが原崇浩氏。写真の時代になぜリアリズム絵画か? 佐々木豊氏のホンネの直球を、新鋭原氏はどのように打ち返すか。写実絵画の市場人気を揶揄しつつも、佐々木氏所属の国画会の後輩から、本格派が登場することへの期待も熱く、熱戦の火ぶたが―。

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写実派はスペインを目指す
佐々木:70年代は、写実に凝っている学生は卒業するとウイーン(ウイーン幻想派の本拠)を目指したんだけど、90年代以降はスペインになった。原さんの場合も?
:94年、95年に1ヶ月ずつぐらい西ヨーロッパをぐるっと回って、気に入った町はたくさんあったんですけれど、留学するなら安い所をということでマドリードに決めました。プラド美術館もあり、首都なのに物価が安かったんです。
佐々木:入学したコンプルテンセ大学は入学試験はなかったの?
:コンプルテンセ大学の美術科は、昔ピカソもアントニオ・ロペスも通っていたサンフェルナンド王立アカデミーが前身です。その時はデッサンの先生と油の先生にあたりをつけて、そこに直接作品を持っていきました。
佐々木:それで入れてくれたの?
:ええ。ぼくがまず通うことになったのは絵画技法研究科のようなところでした。面談した先生からは「日本の学生の方が技術的な力はあるので、物足りないかも知れないぞ」と言われましたけど。
佐々木:原さんのデッサンは抜群だからね。もともと石膏デッサンは好きでしょ?
 
:とくに好きではムム(笑)。高校の時、受験のために始めた時はおもしろがって描いていたんですけど。
佐々木:日本の美大を卒業するまで、今のようなリアリズムからブレたことはないの?
:ヴンダーリッヒとか、ギーガーとかシュールレアリズムっぽいこともやりましたけど、そこから外には行かなかったですね。
 
 
ロペスの夏期講習
佐々木:スペインの話に戻ると、次に解剖学教室に入るわけだ。
:初めは席に空きがなくて、「立ってでも描きますから」と談判したら入れてもらえたんです。
佐々木:授業では死体があるわけ?
:いえ、骨格の標本が置いてあって、昔の生徒のデッサンの見本があったり。ホンモノよりそっちのほうが勉強になる。先生は筋肉の仕組みだとか、人間の動きだとかについて教えながら実際のモデルを立たせてデッサンをする。最終的にはデッサンの上に骨格や筋肉を描いていくんです。
佐々木:ロペスの夏期講習に出たんだって?
 
   
:ロペスが夏ごとに、何人か生徒を集めて講習会をやっているという噂は聞いていたんですよ。それでインターネットで探して見つかったんだけど、締切まであと3日ぐらいしかない。それでスペイン人の友人に添削をしてもらいながらロペス宛に、「自分は日本から来たんだけどもうすぐ帰国する。これが最後のチャンスです」みたいなことを手紙に書いて訴えた(笑)。それで通ったんです。
 
  佐々木:講習はどこで?
:マドリードから少し離れた避暑地です。そこでみんなで1週間寝泊まりして。授業料は払うんですけど、食費と宿泊費は主催の財団もちでした。絵画と彫刻があって、絵画は17人。日本人はぼくだけでした。ぼくは男性モデルを1週間ずっと描いたんです。
佐々木:朝から晩までロペスが付きっきり?
:ずーっとしゃべり通してましたね。食事も一緒にするんですけどずっと話をし続けていました。最後は喉がガラガラになるぐらいまで。
 
 
緻密だが細密ではない
佐々木:ロペスは、「リアリズム=細密画ではない」と言ってるけど、これは非常に説得力があるね。
:それは常に言っていました。
佐々木:つまり写真は余分なものでも均等に写り過ぎちゃう。饒舌になってしまって、言葉が3つも4つも出てきてしまう。純粋な絵画性を抽出するには、明度の単純化も、要素の単純化も必要だろうし、いろいろな単純化が必要になってくる。