高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
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伊藤雅史VS佐々木豊
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原崇浩VS佐々木豊
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長沢明
ミヤケマイ
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坂本佳子
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池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

内山徹
'Round About

第33回 自然体で絵に向かい合う
−悩み、彷徨った先に辿り着いた心の風景− 内山 徹

長野駅から車で善光寺を抜け、長野市内を一望できる地附山の麓にある画廊 カンヴァス城山で、日本画家 内山徹の個展、トークショー、日本画教室が開かれた。地元 湘南で海を描き続け、神奈川、東京を中心に活動しているイメージが強い内山さんが、意外にも今回、長野での個展と聞き、近況などいろいろお話を伺いに長野へ飛びました。

※画像はクリックすると拡大画像をひらきます。   
●今回、長野で個展を開くと聞いて、ちょっと意外な感じがしたのですが。

 今まで松本や駒ヶ根とか、結構長野県で個展はやっています。長野が好きで、こちらに来る機会が多いです。子供の頃遊びに来たことが何度かあります。まあ、海を見つめ直す為の対比として山を見に来てる感じですね。長野に来ると思うんですけど、風景の中に水平線がないんです。どっちを向いても山の稜線で凸凹してる。それが何故だか不思議で面白い。僕の実家は神奈川県の茅ヶ崎の海の近くに古くから住んでいて、生まれた時から毎日南側は水平線なので、海を身近に感じて過ごしてきました。北には大山があり、東は東京方面、西は小田原というシンプルな東西南北の環境で育ちましたから、山に囲まれると方向感覚がおかしくなりますね。
 以前、山を描きに行った時、夕暮で日が沈んでいく時の山の色が紫だったり、ピンクになったり、その色の変わりようがとてもドラマチックで、色彩の交響曲みたいな感じを受けました。海より山の方が変化に富んでいる感じがしました。
 
カンヴァス城山 中村さんと
 又、風景として海は広がっていく感覚で、山は迫ってくる感覚があります。山に来ると神経が研ぎ澄まされていく感じがします。でも山はあくまで海との対比として僕の中にあります。
 カンヴァス城山さんで個展をやらせていただくのは、本当に偶然です。僕が講師をしている日本画教室の生徒さんが、こちらの中村社長とたまたま知り合いで、その生徒さんに紹介してもらったんです。
 
  ●画家になろうと思ったのはいつですか。

 子供の頃の僕は、無口でおとなしい子供でした。でも、何かあるとよく絵を描いていました。小学生の時の記憶と言えば、絵を描いていたことしかなくて、それも自分の思うように描けなかった記憶です。小学二年生の時、運動会の鈴割りの絵を描いていて、空の色が自分のイメージの色に塗れなくて、何度も塗り直したような記憶が鮮明に残っているんです。
 中学生の時、美術の時間で版画を作りました。僕は作業がとても遅かったんですが、その時の先生が、僕が納得して仕上げるまで、やらせてくれたんです。他の生徒が次の課題を作っていても、そのまま家に持ち帰ったりして作り続けました。結局完成まで半年かかったのですが、先生に完成した版画を見せたら、とても喜んでくれました。それから美術の道に進もうかなと思うようになりました。
 
 
  ●東京芸大では、何故日本画を専攻したんですか。

 実は、美術大学を目指して予備校で勉強するまで、画家や美術史の知識は教科書に載っていることぐらいしか知らなかったんです。予備校生になってから古本屋で画集を買い始めて、物凄い量の絵を見るようになると、初めて世界にはいろいろ画家がいて、さまざまな時代背景があることがわかりました。その頃は日本の絵画より西洋の絵の方に興味がありました。
 最初はイラストレーターになろうとしていたんです。当時ポップアートとかスーパーリアリズムなどが流行っていて、予備校でデザイン科を志望していたこともあります。でも実際やり始めると僕には合わない様に思えました。油絵をやろうと思ったこともあって道具を揃えてみたのですが、これも油絵具を塗った感じが体質に合わなくてやめました。結局、自分の体質に合った水彩絵具から始まる日本画を選んだ感じです。
 日本画をやり始めてわかったのですが、画面に自分が引いた線が残ることが辛かった。日本画は油絵みたいに描いて消してという繰り返しに向いていなくて、それをすると汚くなってしまうのです。下絵の描線をしつこく考えて描かないといけないので。何枚も描かないと画家の考えた線描から彩色へのプロセスが積み上がっていかない。何枚も描いているうちに削ぎ落として来たものが沢山あるんです。それは日本画の透明感にもなっていて、やはり澄んだイメージが好きな僕には日本画の方が合っているのかもしれません。
 
  ●内山さんは、やはり海をテーマとしてずっと意識していたのですか。

 そうですね。大学院生の頃に化石シリーズを描いて、そこにはアンモナイトや魚やイルカの化石も登場してきます。その当時、化石や剥製が大好きで、よく博物館に通っていたんです。そこで化石を見ているうちに、何万年も前に生きていた生物の証としての存在にロマンを感じたり、絶滅していった種族の儚に不安を抱える自分とを重ね合わせたりしながら、絶滅したほ乳類の化石を描いていました。化石は自分の絵のテーマとして見つけた感じはしたのですが、ある日、化石の絵を描いていて、その途中で突然絵を塗りつぶしてしまったことがあったんです。それから抽象的な作品に傾いていった感じです。その頃自分のテーマ探しに悩んでいて、自分の作品を壊し続けていけば段々進化していけるかなと考えたのです。
 大学を卒業すると、画家として焦る気持ちが大きくありました。周りの皆は、芸大出身ばかりだし、絵が巧いし、大きい賞を取っている友達もいましたから。そこで、何か想像力豊かな新しい絵画を作ろうと思って、同世代の仲間と大作グループ展「起・展」を立ち上げて活動していました。
   その頃の僕は絵の流行を追いかけている感じがありました。画面に板を張ってみたり、いろいろなことをしましたが、絵が彫刻のようになってきて、自分で違和感を感じましたし、その作品はあまり現代的なものではないと思いました。そんな中、展覧会の会期前に突然旅に出掛けて、スケッチをしていたりしていました。でもその時、自分の中の風景に対する思いを強く感じました。僕は風景を描き続けていくんだろうなと。そこで流行は流行として、自分はもっと素直な自分の世界を表現していけばいいんだと考えられるようになって、少しずつ自然体で絵に向き合えるようになっていきました。そして、僕の心の中には海がありました。
 海をテーマに描いて10年になりました。海は抽象シリーズの手のストロークを使って描いていた波の形から生まれました。それは実際に海をスケッチしてから始まるのではなくて、頭の中にある海のイメージを描いて、そこに実際の海の波の描写を当てはめていく感じです。それはただ風景を描くという作業とは違って、平面的な表現になりやすい日本画の画面に、深い空間的な奥行きを表現したいという目的がありました。それが僕の海の絵の特徴として、遠方の海の色が濃かったり、手前をぼかしたりする表現に現れているのかもしれません。
 
 
  ●海だけでなく、イタリアの風景や花の作品も発表されてますよね。

 今まで何回かイタリアを旅して廻ってるのですが、それは大学の授業でフレスコ画の実習を受けていたことがきっかけでルネサンスに興味を持ったのと、日本の風土の良さを再認識するためです。ちょっと日常から逃げ出したいというのもあるのですが(笑)。イタリアの風景画はその時に描きためたものです。イタリアの街はそれぞれ独立した都市国家としての伝統と文化が強烈にあって、日本とは明らかに違う思想と美意識が生まれる風土を持っています。イタリアの風土は勿論美しいのですが、やっぱり僕は日本の方が好きだというところに落ち着きます。いつもそれを感じ続けていたいと思っています。
 花の絵では、色彩の面白さを生かしていきたい。色を沢山使ってみたいというのがありました。そうして、これらの今まで絵画表現として試行錯誤して来たものがミクストされて何かひとつの作品になっていけばいいと思っています。
  ●なんだか海から進化したテーマがまだ生まれそうですが、では最後に一言。

 自分のやりたいことを理解してくれる人がいることは、本当にありがたいことです。だから最近は、なるべく理解されやすい表現で自分の世界を描いていこうと思っています。そして、なるべく多くの人に絵を家に飾ってもらって、その楽しさを味わってもらいたいのです。今は自分の内面的なものをそんなに絵の全面に押し出さなくてもいいのではないかと思っています。作品の表面的な部分は、限りなく綺麗でいいように思います。そこに自分の思いがどれだけ込められているかを理解してくれる人がいたら、それでいいのかなと思っています。
 
(2007年 4月28日 カンヴァス城山にて取材)  
  
内山 徹(うちやま とおる)
1964 神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。
1988 創画展入選。
1990 東京芸術大学院美術研究科日本画(加山又造教室)
1990 修了。
1995 新宿「グリーンヒル八ヶ岳」屏風画(六曲一双)制作。
1998 横浜「ベイシェラトンホテル&タワーズ」ラウンジ壁画
1990 (1200号)制作。
2000 個展 銀座森田画廊
神奈川、東京を中心に多数個展を開催。

現在 無所属
   神奈川県大磯町にアトリエ

内山徹 日本画展
カンヴァス城山 長野市上松3-1870-1 TEL 026-235-0933
4/25〜5/7[会期終了]