群れとしての50、60年代と、個あるいは孤に向かう70年代の狭間が純粋無垢な多感期であった。美術界に押し寄せた時代全体の逃れようもない大きな波は、即応する質ではない深沢軍治に残酷なまでの屈折を強制した。このすさまじい美術状況との距離がもたらした根深いコンプレックスはしこりとなって、現在までも続くという。その呪縛がここへ来てようやく解け始めたらしい。その第一歩の心境を、140余作を没にし16作に絞ったという個展会場できいた。