高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
日野之彦
小滝雅道
遠藤彰子VS佐々木豊
長谷川健司・中野亘
松本哲男
やなぎみわVS佐々木豊
清野圭一
Jean Claude WOUTERS ジャン・クロード・ウーターズ
長尾和典VS鷹見明彦
わたなべゆうVS佐々木豊
カジ・ギャスディン・吉武研司
千住博VS佐々木豊
山本容子VS佐々木豊
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治
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  第13回 岡村桂三郎展 〜挿絵「海女の珠とり」〜

現在、精力的に作品を発表している岡村桂三郎。4年前、観世流能楽師の片山清司が子供向けに書き下ろしたお能の「海士(あま)」の絵本の原画を公開する展覧会が開かれている。同時に近年発表した屏風の大作も併せて見ることが出来る。年末の作品搬入、陳列作業に忙しい合間をぬって岡村桂三郎にインタビューした。


 
  ●佐藤美術館で開催中の展覧会で3階に展示されているのは、色が使われているという意味で、巨大パネルの作品とはやや趣の異なった作品が出品されています。

僕の絵には2種類あって、ひとつはいわゆる自分の中では水墨調と呼ぶ、モノトーンの世界、もうひとつは3階に展示されている色の入った世界です。色の入った世界は「この色よりもこっちの方が合うな」などと、後で考え直して塗り直せるような、修正が利く部分があります。「ここでこの色をこのように見せようかな」と思ったら、「じゃあ隣りにこの色を塗っておこう」という感じです。形が先にあって、後で、「この絵はブルーで見せてみよう」などという場合もあります。

●大きい作品で、色が入っているものはあるのでしょうか?
 
  昔は、150号くらいで創画会に出していましたけど、ほとんどないですね。僕は色については、きれいだな、と思える色を使いたいと思っているところがあります。ただ、きれいだなと感じるときの色の大きさの範囲には、限りがある。大画面にきれいな色が塗ってあっても、あまり好きになれないんでしょうね、きっと。小さい作品の方が、きれいだなと思えるような気がします。  
   
   
  ●大きい作品では、生き物が前面にせり出してきて、見ている側はモチーフそのものと対峙するような関係性が生まれます。一方で、今回展示された「海女の珠とり」の挿絵は、挿絵ということがその理由かもしれませんが、見る側は、少し引いたところに立って、あるいは手に取って、その世界を眺めるような関係になるように思えます。

物語性を描くのも僕のスタイルの一つなんだと思います。むしろ小品では物語性があるものを、描くようにしている部分があります。絵にはもともと、物語という面白さがあったわけです。それを自分の中の要素としてどこかに取っておきたい。描く面白さがあります。絵を描く楽しみという要素は、現代の美術史から完全に落ちている部分だけれども、必要だと思うんです。大きな作品でも、例えば、『白澤』にはストーリー性があります。「想像上の生き物で、目がたくさんあり」などといった、ひとつの歴史的な意味があって、それもひとつのストーリーといえる。そういったものをどこかに入れ込んでいく余裕というか、遊びのようなものが入っていたいと思います。

●大作が並ぶ4階の空間展示は、かなり気を遣われていたようですね。

僕にとって大事なのは、作品がしっかりと見えるように飾ることではないんです。来場する人が展覧会場に入ってきたときに、何を感じるのかが非常に大事なんです。極端に言えば、作品が見えなくてもいいと思っています。

●確かに通常の展覧会に比べて、照明をかなり絞っていらっしゃいます。

作品は作品として見れるものだと思うんですが(笑)、展覧会場を、精神のようなものを感じさせる装置として、来た人にいかに働きかけるのかということを考えています。薄暗い空間で、巨大な画面ですから、ある意味で少し怖いかもしれませんが、でも多分、展覧会場に来ると、落ち着くと思うんです。例えば森の中に入るとちょっと怖いんだけど、落ち着くという感覚があると思います。その感じと同じようなものを再現しようとしているのかなと思います。まずその感じをつくりだしたいということがあって、そこから作品を鑑賞するところに入ってもらえればいいと思っています。できればその場にずっといてもらって、何かを感じていただければいいですね。