高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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クラウディア・デモンテ
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増田常徳VS佐々木豊
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'Round About

第64回 林アメリー

林アメリーは、1963年にオートクチュールの裁断・縫製指導者として来日した。仕事の傍ら、1983年独学でキルトを始め、布によるアッサンブラージュなどを試みて四半世紀以上になる。そして、ここ数年は、タブローとしてのキルト作家として第一線で活躍している。

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●来日前のアメリーさんについて教えて下さい。
アメリーフランス・オートヴィエンヌ県の田舎で、兄三人、姉の5人きょうだいの末っ子として生まれ育ちました。私は、戦前生まれですし、末っ子だったので、着る物はいつも姉の着古しのお下がりばかりを着せられていました。ですから、姉が新しい服を着ていることにやきもちを焼いて、「いつか絶対に自分で新しい服を着るぞ!」と思うようになっていました。
 
 当時は、母親が子供の服を作るのが当たり前という時代で、母も私たちの洋服を作ってくれていました。その母の傍らで、見よう見まねで人形の洋服を作ったりするような洋服や洋裁が好きな子どもでした。
 そして、洋裁好きが高じて、パリに出て洋裁学校に入りました。卒業試験の翌日には、幸運にもクリスチャン・ディオール・アトリエに入社して1950年から10年間働きました。6年目に24歳でアトリエ副主任になった時は、とても嬉しかったのを覚えています。その後、ディオールが亡くなり、8年目からイヴ・サンローランが主任デザイナーとなり、彼のもと、2年間勤めました。その後、1959年にギ・ラロッシュ・アトリエ主任として移籍しました。1963年、日本橋三越本店と契約したギ・ラロッシュ氏の作品であるオートクチュールの裁断・縫製技術を直接指導監督するため、ギ・ラロッシュ氏と一緒に来日することになりました。
 
●オートクチュールとはどんなものですか。
アメリーまず、オートクチュールは、新しいドレスを作りたいという注文主に、前以てデザイナーがデザインしたそのシーズン最新のドレスを制作し、デザイナーの店内のサロンでプレゼンテーション・ショウを最初に行います。高級既製服のプレタポルテが、いくつか作られたサイズの中から選んで着てもらうのに対し、オートクチュールは、注文を受けたお客様の体型に合わせて、デザインされたドレスのイメージ、スタイルをほとんど変えないように手づくりで作ることをいいます。ドレスのイメージ、スタイルを変えないように作るためには、お客様の体型に合わせて、何度も仮縫いをすることになって、とても時間がかかります。
 昔も今もオートクチュールは最高級の手作りの洋服です。そして、その当時は、世界的にオートクチュールが盛んな時期でしたし、日本のハイクラスな方々の、ワンピースやコート、スーツなどのオリジナル見本を作る仕事で忙しかったですね。ファッションショー前ともなると、何百着もの見本となるドレスの制作指揮をしていました。来日して4年間は、毎日夜9時過ぎまで残業しておりました。三越本店のフィッティングルームとアトリエが離れていて、技術上の意思の疎通を欠くことと、移動時間が無駄でしたので、三越の中にアトリエを設けて貰いました。

 
●その後一旦帰国されますが。再来日してからのことを教えて下さい。
アメリー毎年の契約更新が延びて、4年間になり、1967年夏、後任者に託して、一旦パリに戻りました。そして、4ヶ月後、三越から再契約の依頼があり、1968年はじめ、2年間という契約で、再来日しました。そして、そのときのウェルカムバック・パーティで、イタリア帰りの夫(建築家・林寛治氏)に出会って、2年の交際後に結婚しました。それからずっと日本に住んでいます。
 
●日本に住むことに不安はありませんでしたか?
アメリー全然ありませんでしたね。初来日したときは、日本の何もかもが珍しくて、その中でも特に日本のアートや着物、工芸品が好きなりました。仕事が忙しかったせいか、全然寂しさを感じることもありませんでした。再来日してからも、三越時代に仲良くなった友だちが大勢いましたから、不安は全然なかったんですよ。私は、何かを行動に移すとき、問題や心配事について思い悩むよりは、とにかく前向きにやってみようと考えるほうです。問題が起きたり、不安になったりするのは、どこにいても同じだと思いますから。とにかく、どこにいようが健康でありさえすれば良いと思っております。それに、私には日本食が合っていたのか、日本に来てからとても元気になりました。日本食が大好きですし、例えばウナギの蒲焼は、フランスのウナギよりも美味しいと思っています。自宅でも見よう見真似でよく日本食も作っております。家族はどう思っているかわかりませんが。
 
   
   
●アジアの工芸品や着物がお好きとか。
アメリー三越在職中、年2度のコレクションの都度、日仏を往復しました。日本のお客様にマッチする新作モデルを選択することも私の責任でしたから。その間、東南アジアにも旅行して強く魅かれるものがありました。カンボジア、パキスタン、ブータン、中国などアジアの色々な所に旅行して、たくさんの布や民族衣装、そして工芸品を見てきました。買って来たものは、見える所に飾ったり、使ったりもしています。特に少数民族の衣装や小物が好きで、少しばかりコレクションしています。
 でも、日本の伝統工芸品と着物は世界一だと思っています。お気に入りの陶磁器の絵皿には、一枚一枚に着物地を使ったお手製のカバーをしたり、クッションとなるようなものを作って間に挟んだりして大切に使っています。日本の着物の文様は、植物や動物、水の流れなどの自然も取り入れたりしていて、その幅広さに魅力を感じますね。友人・知人から頂いた大正時代の着物の色と文様も素晴らしいものが多いです。それらの帯は、キルトだけではなく、クッションやテーブルセンターとしてリビングのアクセントになっています。
 日本の着物を触っていると、ほんとうに幸せを感じるんです。よく「キルトは肩が凝るでしょう?」と聞かれることがありますけれど、そんなことは全くありません。かえって、着物に触れながらキルトを縫っていると、嫌なことも忘れてリラックスできるくらいですね。

●そのキルトを始めたのはいつ頃ですか?
アメリーまず、結婚した翌年に三越を辞めました。それでも、特に私に洋服を作って欲しいというお客様がいらしたので、夫の仕事を手伝う傍ら、2000年頃までデザインを任されてオーダーの服を作っておりました。キルトに興味を持ったのは、1983年に東京で開催された『シーボルトコレクション』展に行ったことがきっかけでした。展示されていた藍色のアイヌの着物の素晴らしさに感動して「私も作りたい!」と思いました。自己流で始めてみると、縫っていることがとても楽しくて、仕事の合間の喜びとなりました。展覧会をするなんてことは、全く意識もしていませんでした。
 最初に作ったものは、『シーボルトコレクション』展で感動したアイヌの着物へのオマージュとなるタペストリーです。アイヌ柄に沖縄の芭蕉布を使った面白いタペストリーができました。義母の古い着物、端切れが残されていたので、それも利用しました。
 
   
●では、今までのキルトの展覧会などの活動について教えて下さい。
アメリー2003年、友人の紹介で三越のキルトのグループ展に誘って頂いたのが初めてのグループ展への出展になります。その時は、作品を10点ほど展示して頂きました。そして、同年、これも多くの友人のお力添えで大倉山記念館で初個展を開催しました。
 3,000人もの方が来てくれて大好評でした。それをきっかけに、友達に古くなった着物をいっぱい頂くようになりました。その後、2005年山形県・金山町、2007年東京・成城の緑蔭館ギャラリー、西武百貨店など合計3回開催しました。その間にキルトの本を出版することになったり、NHKテレビの『おしゃれ工房』に出演したりしました。そして、一昨年から「東京国際キルトフェスティバル」に招待作家として展示させて頂きました。この「東京国際キルトフェスティバル」は、世界一の規模ともいえるキルトの祭典で、これ目当てに外国から観光客が訪れるほど人気が高いそうです。

●キルトのテーマとされていることはなんですか?
アメリー着物を触りながら、着物の色や紋様から得るインスピレーションをそのままテーマとしています。賑やかで元気いっぱいの作品になっていることが多いと思います。
 
   
   
●使用している布と作品を制作時間について教えて下さい。
アメリーほとんど日本の着物を使っています。義母が残した古着や友人、皆さんの口コミで多くの方々から頂いた着物や、自分が以前、洋服づくりで使った端切れの布地を使っています。制作にかかる時間は、大きなタペストリーだと、だいたい3ヶ月位かかります。同じ大きさでも、表と裏があるタペストリーは、5ヶ月位かかりますでしょうか。制作にあたって、ラフスケッチをおおまかにはしますが、どちらかというと目の前にした布からインスピレーションを得て、どういう風に布をあてていくかを考えます。今までの経験と感でじかに縫っています。頭の中に構図が出来て、それを縫っていくという感じでしょうか。

●そのキルトを始めたのはいつ頃ですか?
アメリーまず、今の私のメインの仕事は家事なんですね。そして、我が家は、台所などの家事をする場所が2階にあって、私のキルトの作業場が頭のつかえる屋根裏にあります。そこには頂いた帯や布を保管する箪笥もあり、ミシンやアイロンなど、キルトを縫うのに必要なものが全部揃っています。それで、家事の合間に時間が出来ると、屋根裏に駆け上がっては縫っております。
 
   
●制作にあたって影響や刺激を受けるものはありますか?
アメリーとにかく日本の着物からインスピレーションを受けています。例えば、緑の絣模様の着物を見たときには、葉っぱが何枚かある構図が浮かんできたりして。常に着物の色と紋様を見たり触ったりすることが刺激となってアイディアがひらめいてくるんです。

●日本橋三越で5月に個展を開催するそうですが。
アメリー5月5日から10日まで本館の7階で開催します。テーマは『布で綴るフランスと日本』です。過去の作品6点を含む、計30点を展示する予定です。大きなキルト作品の他に、洋服、スカーフ、お皿のカバーなどの生活雑貨用品など、新しいものから古いものまでをミックスして展示する予定です。色々な作品が展示されますし、キルト作品はリバーシブルキルトで表と裏が違いますから、これらを皆様に楽しんで見て頂けたら嬉しいですね。
 
   
(2009.3.18東京品川の自宅にて/取材:藤田礼子)  
  林アメリー(はやし・あめりー)
1933年フランス生まれ。クリスチャン・ディオール、ギ・ラロッシュなどのアトリエ勤務の後、1963年に来日。本場オートクチュールの技術を戦後の日本ではじめて指導した。その後、日本の着物に魅せられ、古い着物地を組み合わせた芸術性の高い布作品を作り続けている。2003年のキルトの初展覧会以来、「東京国際キルトフェスティバル」や、グループ展、個展など意欲的に活動中。著書に『手縫いの魔法―アメリーのパッチ&キルト』(求龍堂)2005年刊がある。
 
 
●information
「布で綴るフランスと日本」展
(後援:フランス大使館 協力:クロバー株式会社)
2009年5月5日(火)〜10日(日)
日本橋三越本館7階催物会場
東京都中央区日本橋室町1-4-1 tel 03(3241)3311

http://www.mitsukoshi.co.jp/