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Nさんへ。
それにしても、人と人とのつながりなんてわからないものですね。
私の半生をささえてくれていた女性秘書Mさんが亡くなって二年、まさかその遺児であるT青年がM美術大でNさんの教えをうけていただなんて!そしてそのT君が、近年Nさんが一番力を入れていた甲子園球場のモニュメント壁画「生命たち」の助手をつとめていただなんて!
私はふりかえるのです。
そもそも私がNさんに手紙を出そうと思い立ったのは、当代随一の人気画家であるNさんが、意外にも夭折画家や戦没画学生の絵を展示している私の美術館のファンであるときいて、何となく親近感をおぼえたのがきっかけだったのですが、それとは別にもう一つ、Nさんがどこのグループにも属さない、いわゆる「無所属」の画家であることにも惹かれたからでした。Nさんは、人気画家のわりにはあまりマスコミにも登場せず、テレビ等の美術番組に出演されることもめったになく、どちらかといえばその私生活や制作生活はベールにつつまれています。私はそんな「自由人」であり「孤高の人」であるNさんに、日頃自分が考えたり悩んだりしていること、いってみれば一地方美術館主の繰り言をきいてもらいたいと思い立ち、勇気を出して手紙を書きはじめたのです。
しかし内心、こうした行為じたいがNさんに無用の負担をかけているのではないか、ご迷惑をかけているのではないかという畏れを抱いていたことは、これまで何どものべてきた通りです。
ともかく、この文通は私の一方的な思いこみから出発したもので、Nさんからお返事をいただく気持ちなどこれっぽちもなく、たとえNさんが手紙をされたとしても、私はそれでいいと思っていたのです。いや、無視してくださったほうがいいとさえ思っていました。ただただ私は、Nさんが途中で「もうこれ以上手紙を寄越さないでくれ」、「これ以上自分を傷つけないでくれ」と怒り出されるのではないか、それだけが心配だったといってもいいのです。
でも、T君にきいたところによると、Nさんは私の手紙を迷惑がるどころか、毎回とても嬉しそうに読んでくれていたそうですね。
もちろん、「嬉しそうに読んでいた」というのは、私が実際にみた光景ではないので断言するわけにはゆかないのですが、T君は時々Nさんから
「最近、クボシマさんから手紙がとどかないんで、ちょっと淋しいんだ」
とか
「このあいだもらった手紙には、ずいぶんが書いてあったよ」
とかいった報告をうけていたというではありませんか。
私はそれをきいて、心からホッと胸をなでおろしたものでした。ああ良かった、Nさんは私の手紙を迷惑に思っていなかったのだ。私はもうそれだけで大満足、天にものぼる心地でした。
加えて、T君はこんなふうな報告をしてくれました。
「かといってN先生は、クボシマさんの手紙の内容をすべて肯定していたわけではないようですよ。どうしてクボシマさんはこんなにヒネクレた見方をするのかなァ、ぼくはそんなつもりで絵を描いているわけじゃないのになァとか、ブツブツ文句をいっているときもありましたから」
T君はおかしそうにわらい、またこんなことも私に知らせてくれたのです。
「N先生は、あの手紙はN先生にむかって書いているのではなく、N先生の名を借りた架空の画家にむかってかいているんじゃないかといっていました」
「え?それはどういうこと?」
「つまり、クボシマさんは最初はN先生にむかって書いていたんでしょうけど、だんだんN先生ではなくて、クボシマさんの心のなかにあるにむかって自分の思いをぶつけはじめたんじゃないかって・・・・・・」
仮想の画家?──なるほどうまいことをいうな、と私は思いました。
たしかにNさんのいう通りだったのです。
私はNさんに手紙を書いているうちに、いつのまにかNさんを、自分の考えや心情を何でもうけいれてくれる、自分に都合のいい想像上の画家に仕立てあげていたのかもしれないのです。
しかし、Nさんはそれを少しもイヤがらず、むしろこんでうけとめてくださった!一年にもわたって、私の「仮想の画家」役をつとめてくださった! |
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