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高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛



 Nさんへ。
 今朝、美術館の坂道を自動車で登ってきましたら、眼前にせまる独鈷山の樹々が、朱色、黄色、薄緑色にひかって、まるで秋末の紅葉のじゅうたんがパッチワークのようにみえました。今年の夏はかくべつの酷暑だったので、急に冷えこんだ秋ぐちの気温差から、落葉の美しさがおおいに期待されたのですが、例年にくらべると今一つその色彩にはバラツキがあるようです。でも、ここ上田市の西の郊外にひろがる塩田盆地は、今や紅葉真っ盛りのシーズンをむかえているといっていいのでしょう。
 ことに「信濃デッサン館」の前庭からのぞむ独鈷山の眺めは最高で、欅並木の参道からみえる前山寺の山門や本堂のカヤブキ屋根の周辺が、燃えるような紅葉につつまれている景色は圧巻です。
 たまたま私が出勤してきましたら、何人か顔見知りのリピーター来館者の中年女性が待ちうけていて、
 「いつも、この季節には東京からお邪魔するんですよ」
 といって
 「こういうときには、美術館の絵と紅葉を二つ味わえますから」
 ちょっぴり得意気な顔をされるのです。
 たしかに小生の美術館の来館者のなかには、作品の鑑賞半分、塩田平の四季折々の風景の鑑賞が半分といった人たちが多いようです。わが美術館からは、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬の、それぞれ異なったフェロモンが発散されている、といったところでしょうか。
 そして、最近何となく考えるのは、かくいう小生自身もまた、この塩田盆地の自然に心を癒やし、人生の平穏をもとめてやってきた旅人の一人ではないかということです。
 もちろん私がここ信州上田に「信濃デッサン館」を建設したのは、愛する詩人画家村山槐多の青春期の放浪先がここであったということがおおいに関係しているのですが、同時にこの土地のもつ自然風土の豊かさ、美しさが、私を一世一代の美術館建設にふみ切らせたといってもいいのです。
 そう、わが「信濃デッサン館」は、村山槐多や関根正二、松本峻介といった夭折画家たちの絵の魅力ばかりではなく、東信州塩田平の自然に背を押されて誕生した美術館ということができるでしょう。
 人間は自らの心身が疲れたとき、ほとんど本能的に樹々の緑や澄んだ青空をもとめて旅をする生きモノのようです。
 私の場合もそうでした。
 太平洋戦争開戦三週間前の、昭和十六年の十一月に生まれ、戦中戦後の食糧難期、混乱期のなかで幼少時代をすごし、物心つく頃からは高度経済成長の荒波を一身にうけて生きてきた半生。繁盛した水商売で稼いだ小銭をモトに、槐多や正二たちの遺作の収集に血道をあげ、ついには上田に「信濃デッサン館」までつくるにいたったのは、そうした時代の流れに翻弄された人生のを洗い、心身の疲労を少しでもやわらげたいという欲求からでした。戦後日本の経済繁栄のなかで、何はともあれ結婚して二人の子をもち、人並みの幸せな家庭生活を築きながら、いっぽうで私は、ホトホトそんな自分の半生に疲れ果てていたのです。そのの日々から一刻も早く救われたい、そこから解放されたいという願いが、この信州の山里に美術館を建設するという、イチかバチかの(?)行動につながったのです。
 ちょっと気恥ずかしいのですが、小生が一九七九年六月末に「信濃デッサン館」を開館したとき、その記念カタログの巻頭にかかげた自作の詩は、次のようなものでした。

 山上の丘
 やさし絵たちの
 頬うづめ 耳すませ
 己が寂寥をかたらぬか

 かわける子らの 水汲むように
 野づらをはしる 孤犬のように
 かくもはげしき青春に
 己が悔悟をかたらぬか

 ひとりあるきの某日
 ここが家路だときめたのは
 自らの嘘をさばく
 一滴の生、一羽の鴉をみたからだ

 いやはや、これこそ若気の至りというか、今読むと冷や汗が出てくるような血気盛んな詩なのですが、それでもこれが当時三十五歳だった小生の、偽らざる心境の告白だったといえるでしょう。
窪島誠一郎
略歴
1941年東京生まれ。印刷工、酒場経営などを経て1964年東京世田谷に小劇場の草分け「キッド・アイラック・ホール」を設立。1979年長野県上田市に夭折画家の素描を展示する「信濃デッサン館」を創設、1997年隣接地に戦没画学生慰霊美術館「無言館」を開設。
著書に生父水上勉との再会を綴った「父への手紙」(筑摩書房)、「信濃デッサン館」|〜|V(平凡社)、「漂泊・日系画家野田英夫の生涯」(新潮社)、「無言館ものがたり」(第46回産経児童出版文化賞受賞・講談社)、「鼎と槐多」(第14回地方出版文化功労賞受賞・信濃毎日新聞社)、「無言館ノオト」「石榴と銃」(集英社)、「無言館への旅」「高間筆子幻景」(白水社)など多数。「無言館」の活動により第53回菊池寛賞を受賞。

信濃デッサン館
〒386-1436 長野県上田市東前山300
TEL:0268-38-6599 FAX:0268-38-8263
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:12月〜6月毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休館)
入館料:一般 800円(700円)小・中学生 400円(350円)※( )内は団体20名以上

昭和54年6月、東京在住の著述家・窪島誠一郎が20数年にわたる素描コレクションの一部をもとに、私財を投じてつくりあげた小美術館。収蔵される村山槐多、関根正二、戸張孤雁、靉光、松本竣介、吉岡憲、広幡憲、古茂田守介、野田英夫らはいづれも「夭折の画家」とよばれる孤高の道を歩んだ薄命の画家たちで、 現存する遺作品は極めて少なく、とくに槐多、正二のデッサンの集積は貴重。 槐多は17歳ごろ、正二は16歳の春に、それぞれこの信濃路、長野近郊あたりを流連彷徨している。

無言館
〒386-1213 上田市大字古安曽字山王山3462
TEL:0268-37-1650 FAX:0268-37-1651
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:12月〜6月毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日休館)
鑑賞料:お一人 1000円
入館について:団体(20名様以上)での入館をご希望の方は必ず事前予約を。

「無言館」は太平洋戦争で志半ばで戦死した画学生の遺作を展示する美術館。

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