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Nさんへ。
ともかく、故郷青森五所川原の古刹の天井画の制作に取り組まれているNさんの姿は、そんな私のような一所不在の、六十路をすぎて今なお足元定まらぬ生き方をしている男の眼には、たとえようもなくまぶしくうつったものでした。そしてそれは同時に、あらためて私に「人間にとって故郷とは何か」という大きなテーマをつきつけてくれた姿でもあったのです。
「故郷とは何か」──つまり人間にとっての出生地、自らの生命をこの世に送り出してくれた肉親の存在、それがいかに大切でかけがえのないものであるかを再認識させられたといってもいいのでしょう。
Nさんはテレビのインタビューにこたえて、今回の菩提寺の天井画は、亡き父上にささげる鎮魂の作品だといっておられました。長いあいだ故郷を離れて画道に専念してこられたNさんは、何十年ぶりかで帰郷した五所川原の古刹から依頼されたその仕事を、いわばご自身の生命の源泉に対する感謝と敬意の結晶にしようと思い立たれたわけです。私の心には、そんなNさんが故郷というものに抱く、または父上に抱く初々しい愛情がまっすぐに伝わってきました。そしてそうした故郷の風土の存在が、これまでの画家Nさんの仕事にどれだけ大きな力をあたえてきたかということも教えられたのです。
世の中には、「もう二どと故郷の土はふみたくない」だとか、「金輪際親の顔などみたくない」などという人がいます。もちろん人それぞれ、自分の出自に対してふくざつな感情を抱いているのは当然のことでしょう。千人の人間には千人ぶんの故郷観、肉親観があって当然です。故郷を愛し親を愛する権利があるのと同じように、人間だれにも故郷に背をむけ親にそむく自由があたえられているといってもいいのです。
しかし、私のような浮遊人間の眼からみれば、そうした故郷に対する思い、親に対する思いもまた、故郷をもち親をもっている人間にだけあたえられた幸福であろうと思うのです。自らの生を育んだ故郷の存在があればこそ、初めて故郷を憎むことができるのであり、自らの生を送り出した親の存在があればこそ、その親を否定して生きることができるのです。逆をいえば、この世に親がいなければ、この世に故郷がなければ、それを憎むことも否定することもできないというわけです。
ですから、テレビで天井画に筆を入れているNさんの姿には、まさしく「人間が故郷をもち親をもつこと」の至福のかぎりがしめされていたといえるでしょう。
たしか制作中の天井画は、東北地方の名祭事である「ねぶた」をテーマにした絵だそうですね。「ねぶた」といえば、東北各地で行われる陰暦七月七日の伝統的祭事で、竹や木や紙を使って武者人形、悪鬼、鳥獣、歴史上の人物などを描いた巨大な張り子をつくり、そのなかに灯をともして屋台や台車にのせて町じゅうを練りあるくという、日本の祭事のなかでもとりわけ勇壮さとスケールの大きさを誇る行事ときいていますが、Nさんは今回、故郷の菩提寺におさめる天井画のテーマにそのお祭りをえらばれたとのこと。その着想にも感服いたしました。
私も何年か前の夏、たまたま青森県内の美術館での講演によばれたのを機会に、かねてから一ど観てみたいと思っていた「ねぶた」を拝見したことがあるのですが、それはそれは胸のおどるエキサイティングな祭でした。うねるように上下にゆさぶられ左右にゆれる巨大な張り子の、妖麗とも華麗ともつかない灯明と囃子たちの隊列、その後ろをついてゆく「ハネト」とよばれる群衆が発する、「ラッセーラ」「ラッセーラ」という独特の掛け声。沿道にはそんな祭の熱気に浮かれ、掛け声に唱和する人々があふれ、文字通り「飛び跳ね」ながらすすむハネトたちの狂喜乱舞の迫力には、ただただ圧倒されて帰ってまいりました。しかも、Nさんの故郷五所川原の「ねぶた」は、一般でしられる青森や弘前のとはちがって(弘前のは「ねぷた」というのだそうですね)、高さ二十メートルにもおよぶ巨大張り子が四連も練りあるくという、奥津軽独特の「」だそうですから、今回のNさんの天井画に並々ならぬ霊気がやどることはまちがいないでしょう。
テレビの最後のナレーションは、こんなふうにしめくくられていましたっけ。
「画家Nにとってこの天井画は、たんなる菩提寺への奉納画という意味をこえ、自らの人生に対するひそかな決意をつげる作品であったにちがいない。Nは故郷に伝承される名祭ねぶたを描くことで、これからN自身が生きてゆかねばならない画家としての人生そのものを自覚したかのようでもある。今回の画家Nの帰郷は、そんなN自身の心の原郷に今一ど立ちもどる旅だったといえるのではなかろうか」と。
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