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Nさんへ。
それでは、H市美術館の「二十歳の原点」展にならんでいる画家たちの「言葉」、かれらの将来の「漂泊」ぶりを暗示する「独りごと」を、二つ三つ紹介してみましょうか。
まず、大正昭和の洋画壇に「月」や「蝋燭」といった特異なモチイフで世間を席巻した高島野十郎(昭和五十年・八十五歳で没)の「言葉」──。
全宇宙を一握する 是れ写実/全宇宙を一口に飲む 是れ写実/道ばた、ごみだめにころがって居てもはっきりと見える/どんなにうたがって見てもそうとしか見えないものが藝術品/ころがっていれば誰れの目にもとまらないもの うたがえば無くなるもの/額ぶちに入れてかざれば何か意味がつくというようなものは迷心品/批評専門家は多くは迷心に落ち入っている
高島より十年ほど前に生まれ、卓越した「自画像」や「肖像画」をのこした岸田劉生(昭和四年・三十八歳で没)の「言葉」──。
自分はこの自分の孤独を感ずる事の外に、自分の生存を感ずる事の出来ないものである/自分は自分の孤独に祝福と感謝を感じて居る/そうして、自分の孤独によって味う淋しさにも自分は力を感じ祝福を感じて居る/自分にとっては 淋しさも 苦しさも 力も 歓喜も倶に自分のこの孤独が道を切り進む事によって味い得る経験である/自分は淋しい時にも元気な時にも、自分の力をほんとに出して居るのである。
そして、わが「信濃デッサン館」の中心的収蔵画家である関根正二(大正八年・二十歳で没)の述懐──。
俺は精神的に殺された様に思われてならない/そして肉体が生きて居るのだから、苦痛に堪え得られない/気が狂う様だ/頭が離れて、いま最も手近に刃物があったら、俺は肉体を殺すであろう/恐しい事だ/十九歳の俺が今世に、どれだけの事をして居るだろう/人格が何だ/無だ/藝術がどれだけの物か/貧弱な物だ/もっと 力有る物を作らねば俺は死なない/死に得られない/世に生れて無意義な生活と死に云わしたくない/人間で在る以上、もっと自重して、自然を愛さねばならない
いくつ列挙していてもキリがないくらいですが、こうした画家たちの「言葉」には、ある意味画作以上の説得力がひめられているといえるでしょう。そこには、画家にとっての「絵」、画家にとっての「人生」への答えが明快にきざまれているのです。
しかし、それらの「言葉」は画家が人生を模索していた二十歳前後の、いわば人間としての自己形成期に発せられたものであり、それは画家たちが若き日々に抱いていた「理想」、一つの熱い「希望」でもあったのでした。「自分は画家としてこうありたい」、「自分はこう生きたい」──画家たちはあたかも自らにいいきかせるようにこうした「言葉」を吐いたのです。
また、「二十歳の原点」展にはいわゆる物故画家だけではなく、現役で今も活躍している何人かの画家たちも取り上げられていました。たとえば、私に「無言館」建設のきっかけをあたえてくださった野見山暁治氏や、現代の美術界において個性的な歩みをつづけている横尾忠則氏、森村泰昌氏、会田誠氏、草間彌生氏といったツワ者たちの作品も網羅されていたのでした。
そして、もちろんかれらの「言葉」も出品作品のよこに掲げられていたのです。
たとえば、あの、独特のセルフポートレイト作品で知られる日本現代美術の礎森村泰昌氏は
世事に長けるのが悪いとは言わない/だがしばしば本末が転倒するばあいがある/経済的に裕福になったり、著名になったりすることが、まるで当初からの目的であったかのように錯覚することがあると思うのだ
──と、きわめてピュアで初々しい発言をしていますし、今やアイロニィにみちたサブカルチャーの第一人者とうたわれる会田誠氏も、自分の青春時代について
新旧ごちゃまぜ、児童マンガから少女マンガ、ガロ系芸術マンガから三流エロ劇画まで、あたり構わず読み散らしました/お堅い家庭環境や、高校時代“文学青年”を気取ろうとしたこともあって、僕は同世代の人間よりマンガやアニメに親しんで来ませんでした/それが日本で“時代の作者”たらんとしている者にとって決定的な弱点であり、根本的な体質改善こそ自分の急務と信じていたからです。
そんな多少自虐的とさえいえる感想をのべているのです。
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