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Nさんへ。
私は思い出すのです。
たしかNさんが現在の画風を確立された代表作は、日本洋画壇の登竜門として知られるY賞を受賞した「遠い夢」という作品でしたね。
シルバー・ホワイトと淡いグレイ・オヴ・グレイが重なり合った蠱惑的な画肌に、朱いトンガリ帽子をかぶった少女と小さな白い犬、それに無数のピンク色の花びらと、色とりどりの羽をひろげる蝶の乱舞……それらがまるで宇宙遊泳でもしているようにうかんでいる幻想的な作品でしたが、それは何か、私たちが常日頃から胸の奥に仕舞いこんでいる、秘密の楽園を描いたような幽しいふんいきを醸し出していたものでした。
今でもおぼえているのですが、ある評論家はこの作品について
「とてもY賞の対象になるような水準の絵ではない」
といい
「こんなシャガールの、少女マンガにでも出てきそうな陳腐な絵が評価されるのは、現代の画壇がいかにコマーシャリズムに毒されているかの証拠だろう」
とまで断じたものでした。
しかし、それにもめげず(?)、Nさんはその後「淡い夢」「青い夢」「見えない夢」「なつかしい夢」──今ではいわゆる「Nメルヘン」とよばれて愛好者に支持されている、「夢」シリーズを次々に発表していったのでした。あたかもそれは、Nさんが長年追いもとめていた──あらゆる世の中のしがらみや束縛から解き放たれた自由な世界にむかって、Nさん自身が喜々と抜き手をきって泳ぎはじめたみたいに。
そして、その後、ヨーロッパのビエンナーレ展で連続して最高賞を受賞、日本芸術院賞をはじめ、国内においても数多くの賞を受賞したことは、Nさんファンならだれでも知るところでしょう。そうした輝かしい受賞歴をふりかえれば、当初Nさんの作品を「通俗的だ」とか「劇画じゃあるまいし」とか批判してきた評論家たちに対して、Nさんはグウのネも出ないほどの勝利をおさめたともいえるのです。
最近、故郷五所川原のN家の菩提寺に完成させた天井画「ねぶた」は、そんなNさんが到達した画境の頂点をきわめた作品に思われました。
前の手紙で、私はあの天井画にNさんの絶えざる望郷の念と、亡き父上への鎮魂の思いをみたといったのですが、今思うとそれは、たんなる「望郷」とか「鎮魂」とかいう言葉ではあらわせない、Nさんが得た「自己解放」の歓びにあふれていたことに気付かされます。煌々とそそがれるライトアップのもと、はげしくゆれる巨大な張り子、あとをつづく灯明と囃子たちの隊列、「ラッセー」「ラッセー」と掛け声とともに飛びはねるハネト……あの「ねぶた」の狂騒は、何ど思い出しても心が高ぶるのですが、それはまさしく、Nさんが三十余年の画業をつうじてようやく辿りついた、一種の桃源郷といってもいい作品の世界だったのかもしれません。
今でも思い出すのですが、あの天井画制作を放映したときのテレビのナレーションは、こんなふうなことをいっていましたっけ。
「画家Nにとってこの天井画は、たんなる菩提寺への奉納画という意味をこえ、自らの人生に対するひそかな決意をつげる作品だったのではないか」「今回の画家Nの帰郷は、そんなN自身の心の原郷に今一ど立ちもどる旅だったのではないか」
たしかにあれば、最近のテレビのナレーションでは出色ともいえる出来ばえのもので、Nさんの天井画の本質をとらえたコメントだったと思います。
しかしながら、ただ一つ欠けていた指摘があったとすれば、それは作品の底にひめられたNさんの平和へのい、ゆるぎない「平和希求」の信念についてだったでしょう。何があっても「戦争」だけはいけない。人間は人間を憎んではいけない。敵にしてはいけない。人間はだれでも平等に愛情を分かち合い、たがいに生きる歓びを享受し、弱者も強者も手を取り合って生きてゆくべき生きものなのだから……。
東北青森に伝承される「ねぶた」を菩提寺の天井に描くことで、Nさんが何より郷里の人々に伝えたかったのは、そうした「生命賛歌」「人間平等」の思いだったにちがいないのです。
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