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Nさんへ。
話は変わりますが、じつは先日、H市美術館で開催中の「二十歳の原点」という展覧会をみてきました。そう、近頃新聞やテレビなどでさかんに取り上げられている、あの評判の展覧会に行ってきたのです。
思わせぶりにH市などと書きましたけれど、おそらく同じ神奈川県内にお住まいのNさんもよくご存知の美術館と思いますし、今回の展覧会にもきっと関心をおもちのことと思います。H市美術館には小生が昔から仲良くしているH学芸員がおり、今回の「二十歳の原点」展もHさんが企画した展覧会でした。
「二十歳」──この年齢はだれにとっても人生のエポックというか、人間形成のスタートラインというか、非常に意味のある年齢であることはたしかでしょう。ましてそれが、「画家」という生業をもつ表現者であれば尚更のこと、二十歳のときにその画家が何をどう描いていたかは、画家がその後どういう歩みをとげたか、どんな仕事をのこしたかを示唆する重要なヒントになるのですから。
今回の「二十歳の原点」展は、まさしくそんな画家たちの「二十歳」に照準を合わせた展覧会で、カタログの冒頭にはこんな文章がしるされています。
「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。
──これは高野悦子「二十歳の原点」のなかの言葉です。「二十歳の原点」は、一九六九(昭和四十四)年一月二日の著者二十歳の誕生日から半年後に自ら命を絶つまでの日々に綴られた日記をまとめたもので、学園紛争という時代を背景に一人の女子大生が自己の確立と現代社会の狭間で真剣に格闘した魂の記録でもありました。
「画家たちの二十歳の原点」は、明治から平成までの一世紀を上回るそれぞれの時代の画家五十四名の作品と言葉を「二十歳」という同じ地平に並べたものです。
(略)
しかしながら、それぞれの時代にそれぞれの「二十歳」という季節があり、十代の最終章としての象徴的な時期には、孤独感と己の未熟さに苛まれ、社会という世界に対峙しながら自己を確立する悩みと喜びがあったにちがいありません。そして、真剣に生きて制作していたことには変わりはないはずです。
この一世紀の間に日本は近代国家としての道を突き進みましたが、その結果として物質的豊かさと表面的平和は、「生きること」へのリアリティーの変化をもたらしました。混沌とした現代社会に向けて、この画家たちの姿を通じて「生きること」を改めて考える一助として、美術が関われる可能性が提示できたならば幸甚です。
なかなか意欲にあふれた「開会宣言」というか、展覧会の趣旨を書きつくした文章ではないでしょうか。私も青春時代、高野悦子の「二十歳の原点」や、当時の若者を席巻した原口統三の「二十歳のエチュード」などに読み耽った思い出をもっていますので、この文章にある「自己の確立」とか「現代社会の狭間」とかいう言葉には、何となく胸が高ぶる思いがするのです。
もちろん、この展覧会に出品されているのは、画家たちが二十歳のときに制作した作品だけではなく、いわゆる画家たちの「青春期」にあたる十代から二十代前半に描かれた作品です。しかも、その出品作家たちは非常に多岐にわたり、明治中期の西洋画の黎明期から大正、昭和にかけて活動した黒田清輝や安井曾太郎、坂本繁二郎、あるいは大正昭和期の画壇に大きな足跡をのこした萬鉄五郎や岸田劉生、中村彝、そして私がとする大正期の夭折画家村山槐多や関根正二……キラ星のごときスター画家がズラリとをならべています。
そして、この展覧会がもっているもう一つの特徴は、出品されている作品にそれぞれの画家の「言葉」が添えられていることで、それが展覧会の深みを増すのにじつに大切な役割を果たしているのです。
本来、表面的な絵画表現に「言葉」が添えられると、絵画じたいの力を弱める危険性が生じるといわれているのですが、この展覧会で紹介されている画家の独白、日頃作画について抱いている感想や述懐は、かれらの作品(あるいは作画姿勢)を理解することに大いに役立っています。出品作品が「二十歳の原点」をしめすものであるとすれば、かれらが発した言葉もまた偽らざる「二十歳の真情」であるといっていいのです。
私は今回の展覧会で、そんな画家たちの作品と独白にふれ、あらためてこの画家たちの「漂泊」はこの時期にはじまっていたのだな、と思ったものでした。
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