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Nさんへ。
ま、そういうわけで、私は今回のH市美術館でひらかれた「画家たちの二十歳の原点」展にいたく感動して帰ってきたのですが、ただ一つ不満だったのは、物故画家にまじってあれだけ多くの現存画家、すなわち現在の画壇で活躍している現役の画家がとりあげられているのに、そこにどういうわけかNさんの名がなかったことでした。
そう、今回の展覧会には、野見山暁治、森村泰昌、会田誠、草間彌生……キラ星のごとき現存画家の若き頃の作品が出品されているのに、なぜかNさんの二十歳時の作品は出品されていなかったのです。展覧会がすばらしいものであっただけに、私はそのことに何となく物足りないものを感じて帰ってきたのでした。
それはたぶん私だけの感想ではなく、今回の「二十歳の原点」展を訪れた人たちなら、大半の人が抱く思いだったのではないでしょうか。
その証拠に、展覧会の会期中に某新聞の学芸欄に載った批評記事のなかには、「出品画家のなかにNがいなかったのはいささか片手落ちの感が否めない」といった文章がありましたし、私も親しくしている美大教授も「IとかYとかいう流行画家が出ていたんだからNの作品がないのは不自然」などとのべていました。何といってもNさんは、今や日本の美術界を代表する売れっ子画家であるわけですから、そのNさんが二十歳当時にどんな絵を描いていたか、その当時どんな発言をしていたかは、多くのファンの関心を惹きつけることでもあったわけです。
で、私はそのことを担当のH学芸員にたずねてみたのでした。
つまり、「二十歳の原点」にNさんの作品を出さなかったのには何かわけがあるのですか、と問うてみたのです。
すると、H学芸員は
「いやいや、ごもっともな質問です。きっとクボシマさんも、そのことには疑問をもたれていると思っていました。じつは、当館としてもNさんにはぜひ作品を出してもらいたいとお願いしたのですが、どうしてもNさんが固辞されて、とうとう不出品ということになってしまったのです」
そうこたえられたのでした。
つまり、Nさん自身が美術館の出品要請を断ったというのです。
「それはどういう理由からだったのですか?」
「Nさんがいうには、もともと自分の手もとには二十歳当時の作品は一点ものこっていない。美大時代の習作は何点かのこっているが、あれはとても作品とよべるものではない。折角だけれど、今回の展覧会は辞退させてもらう、の一点張りでした」
「なるほど」
肯きながらも、私はちょっとふしぎな気持ちがしました。
なぜなら、私は以前に何かの展覧会にNさんが二十何歳かで描いた絵を出されていたのをおぼえていたからです。
あれはたしか、芸大の資料館かどこかでひらかれた展覧会だったと思うのですが、Nさんが一浪して入学した芸大図案科の卒業時に描いた作品でした。画面いっぱいにいくつもの西洋人形が配されていて、一見少女漫画を思わせるようなメルヘンチックな水彩画でしたが、その色づかいといい、構成の巧みさといい、現在のNさんの画風を彷彿とさせる作品で、私はひそかに「やはりこの画家はタダモノではないな」と感じ入ったものでした。また、その他にも何点か、本格的に画壇デビューする前に描かれた小品が、そこには出品されていたという記憶があります。俗に「三つ児のタマシイ百まで」などという言葉がありますが、文字通りそのNさんの青春期の作品には、現在のNさんの作品の特徴をはっきりと予感させるものがあったといっていいのです。
ですから、私はNさんが「二十歳の原点」への出品を拒んだのには、何かべつの理由があるのではないかと思いました。「手もとに若い頃の作品はない」というのは表面上の言い訳で、本当は別に何か考えがあって、Nさんは展覧会への出品を断られたのではないだろうか。
H学芸員もそれに同感で
「Nさんご自身はこの展覧会に非常に興味をもたれていて、会期中に二ども足を運ばれています。つまり、展覧会の趣旨に不賛成だったわけではなく、あくまでもご自身の作品だけは出品しないというスタンスだったのです。きっとそこには、Nさんだけがもっている何らかの哲学があったと想像しているんですが……」
そういって首をかしげておられました。
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