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Nさんへ。
祖父水上覚治の建築した福井県おおい町にある古民家が、思いがけず築後百年近くにもなってから、隣国台湾の地に移築されることになっただなんて、考えてみればふしぎな話です。しかも、それを実現したのが、阪神大震災と台湾地震という大凶事によって生まれた両国のボランティア・グループだったというのですから、今どきこんなことがあるのか、といった気持ちになって当然でしょう。
もちろん、この出来ごとは台湾の新聞でも大きく報じられていて、ことに古民家の棟梁水上覚治氏が、台湾でもいくつかの著作が翻訳されている有名作家の水上勉の実父であるということがわかってからは、なおさら今回の移築実現に対する讃辞が高まった感じでした。
そして、この古民家の台湾淡水鎮への移築は、その後思ってもみなかった方向にすすむことになります。
何と、その古民家の内部に作家水上勉の記念室をつくろうということになり、その計画に原籍が台北で神戸生まれの、生前水上勉とも親交があった作家の陳舜臣氏が賛同、同じ古民家に陳さんの記念室も併設してはどうかということになったのです。
先ほどの「毎日新聞」の報道の少し前に、地元「神戸新聞」では、その間のいきさつを「大地震の被災地交流が縁――古民家台湾に移築」という見出しでくわしく記事にしていました。
古民家は福井県おおい町にあった木造平屋(約二一〇平方メートル)で、一九一五年に作家の水上勉氏の父(いずれも故人)が建てた。
父は大工の棟梁。移築事業は、水上さんの長女、蕗子さんや、神戸生まれで原籍が台北県の作家、陳舜臣さんらも支援してきた。
「一滴水記念館」と名付けられた白壁の民家は、畳やいろりなど内装も終わり、水上さん、陳さんの書籍をそろえた文庫を設置。庭などの整備工事中で、今月九月中旬に完成する予定に。
移築事業を推進したのは、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の街づくり支援団体「まち・コミュニケーション」。約二五〇〇人が死亡した一九九九年の台湾中部大地震の後、被災者の心のケアのため、同団体のボランティアが何度も被災地を訪問。古民家が高齢者に安らぎを与える集合場所となったことにヒントを得たメンバーの呼び掛けで、二〇〇四年には神戸に兵庫県内の古民家を移築して集合所をつくった。
これを機に、おおい町の古民家を神戸側に提供する話が持ち上がり、同年、解体を開始。台湾の被災地関係者の呼び掛けで、建築を学ぶ台湾人学生らが参加したことから、「被災地のきずな」として古民家が台湾側に贈られたという。
ついでに紹介しておくと、台湾の「文化新聞」でも、「日本百年老宅、移築到淡水」という大きな見出しでこのニュースを報道しました。
為了撫慰九二一地震的傷痛,日本福井縣民將一棟九十五年歴史的木造古宅轉贈給台湾,在淡水以古老工法重築,命名為「一滴水記念館」………這棟木造古宅興建於大正四年(一九一五年),是日本文壇享有盛名的小説家水上勉之父在福井縣大飯町所建,他創辧的「一滴文庫」就在這座古宅的果俵旁邊,據説蓋房子的檜木,可能來自台灣………
まあ、そんな具合に、日本でも台湾でもこのニュースは、多くの人々に「古民家」というものの文化的な存在意義、ひいてはそれを建築した大工棟梁、いわゆる「宮大工」の仕事の重要性をあらためて認識させたといってもいいのでしょう。
そう、私もこの話をきいて、「宮大工」という仕事のもつ「歴史」や「伝統」との関わりを、もう一ど考え直す機会をあたえられたのでした。そして、ひとくちに「古民家」といっても、それはそこに暮らしていた人間、家族の「記憶」の集合体であり、かれらが「生きていた場所」を確認する重要な証拠の一つなのであり、「宮大工」はその「記憶」を次の時代に伝える大切な役目を果たす職人なのではないか、と考えたのでした。
とうけとられるとイヤなのですが、わが祖父水上覚治が約百年前につくった福井地方の一民家が台湾に移築され、その息子である作家の水上勉の文学がそこに展示される。しかもその事業が今を生きる日本、台湾の若者たちの手で成し遂げられた、という今回のニュースは、まさしく「宮大工」の仕事が見事に自らの職分を果たした実例といえるのではないでしょうか。 |
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