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Nさんへ。
昔から「敗軍の将兵を語らず」などといいますが、長野市長選に惜敗したTさんの挨拶は、饒舌でありながらどこかに含蓄と謙虚さをひめた見事なものでした。
「天才的な画家だった野田英夫さんと、一市民の私の人生とをくらべるのは気がひけますけれども、人間はけっきょく、自分一人では生きてゆけない生きモノなんじゃないでしょうか。帰米二世という宿命を背負っていた野田さんもまた、祖国日本に帰ったことによって、しみじみとそのことを思い知ったのだと思います。私もその点では野田さんと同じでした。今回一大決心をして、長野の市長選挙に出させていただいたことで、私はH会長はじめ多くの郷土の仲間たちの愛情を知ることができました。それは私自身に対する愛情というより、こんなにも多くの人たちが郷土の平穏と安息を願い、少しでも郷土に暮らす人々が幸福であるようにと願っているのだという、その事実を知った歓びであるような気がしているのです」
私はTさんの話をききながら、野田英夫の代表作の一つである「帰路」を思いうかべていました。
一九三五年秋、野田英夫が初めて日本に帰ってきたときに二科展に出品して話題をよんだ「帰路」は、野田がのこした作品のうちでもかなりの大作にあたるもので、現在では東京国立近代美術館に常設展示されています。画面の中央にハンチング帽をかぶり、オンボロのジャンパーをまとった浮浪者ふうの一人の男が描かれ、その周りには荒れ果てた土地や枯れかかった街路樹の風景がひろがっています。そして、憂うつそうに腕を組み、重たげな革靴をはいて歩く男の足もとには、崩れた壁と瓦礫、壊れた椅子、ちぎれたカーテン、廃屋、疲れた痩せ馬の姿などがこまごまと描きこまれ、何だか画面いっぱいに孤独と絶望の影がうかびあがってくるようなかんじの絵なのです。
野田英夫ファンなら、この「帰路」の真ん中を歩いている浮浪者ふうの男が、野田英夫自身であることを疑う人はいないでしょう。そう、その絶望的な画面の中央を歩くハンチング帽の男こそが、アメリカから帰ってまもなかった「帰米二世」であり「故郷喪失者」だった野田英夫その人なのです。前々年に最愛の白人女性ルースと結婚し、徐々にアメリカ画壇でも頭角をあらわしつつあった一九三五年前後は、ある意味で野田英夫の人生にとっては最も充実していた時期のはずなのですが、この「帰路」という絵に描かれた野田英夫の、何ともいえぬ重苦しさをたたえた表情からは、そうしたふんいきはこれっぽっちも伝わってきません。そこにあるのは「自分はいったい何者なのか」「自分はいったいどこへ帰るべき人間なのか」という、ほとんど叫びといってもいい問いを自らに発している画家の姿なのです。
しかし、眼をこらしてみるとこの「帰路」という絵の奥には、そうした表層的な寂寥感、孤独感とはべつの、何かもう一つのあたたかい光が存在しているような気がしてきます。暗く重い画面の遠くにある、見る者の心にしみこんでくるような淡い光。それはある種の「希望」であり、「理想」でもあるといっていい光の存在です。画面全体を覆う濃緑色、茶褐色、それら重々しい色彩の奥から仄かに差しこんでくる一条の希望の光明とでもいったらいいでしょうか。
この「帰路」の絵の奥から差しこんでくる「希望」の光、「理想」の光について、その日の集会でTさんがこんなふうにのべられていたので紹介しておきましょう。
「野田英夫さんという画家が、多くの作品のなかで語っているように、この世の中にはけっして絶望ばかりでなく、どこかに希望の光がみちているということを、私も今回の市長選で学びました。この世の中には、自分が考えている理想を共有し、自分がもとめている価値観を共有する人々がたくさんいる。そのことを知っただけでも私は勇気百倍なのです。おそらく野田英夫という絵描きさんも、何年ぶりかで祖国の土をふみしめたとき、同じ思いをもったのだと確信します。絵については私はまったくの門外漢ですが、たしか野田さんはあの一回目の帰国をきっかけにして、それまでのアメリカ中心の制作生活を日本中心にされたようにおききしています。私には、そんな野田さんの気持ちがよくわかるのです」
そして、最後にTさんはこういったのでした。
「私も野田さんと同じように、もう一度勉強し直してこの郷土のお役に立てるようにがんばりたいと思います。今回の選挙で私をささえてくださった人たちの期待に応えられるように、いつかもう一度市政にかかわるチャンスに挑戦したいと思っています」
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