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N 君へ
N 君、書き出して、やはり N さんのほうがよかったかなと思っています。今年六十七になった私の半分ちょっとというあなたとの年齢差を考えれば、私から「君」付けでよばれても何のふしぎもないことなのでしょうが、何しろあなたは今をときめく日本洋画壇の超売れっ子画家、といって「 N 画伯」とか「 N 先生」とかよべばあなたが眉をしかめられるのはわかっていますから、ま、せいぜい「 N さん」あたりが一番落ちつきがよいかなと考えているのです。
とにかく、何年も前からあなたが、私の美術館に時々顔をみせてくださっていることを知ったときはびっくりしました。びっくりしたというより、まさか、といった気持ちでした。最初、館員の若い女性から「館長の不在中に○○さんがお見えになっている」ときいたとき、一瞬あなたと同姓の、今ではほとんど一線を退かれているある長老の評論家氏の名を思いうかべたほどなのです。まさかあの、いかにも現代風でメルヘンチックな(こんな表現をしてはさぞご不満でしょうが)作品で画壇を席巻しているあなたが、小生の営むこんな古色蒼然とした時代おくれの美術館に足を運んでくれているだなんて、とても信じられなかったからです。
ご存知の通り、私がここ信州上田の郊外で営んでいる美術館は「信濃デッサン館」と「無言館」の二つで、前者は大正昭和に二十歳、三十歳という若さで夭折した画家たちの遺作をならべている美術館であり、後者は先の太平洋戦争、あるいは日中戦争に出征して戦死した画学生たちの遺作や遺品を展示している美術館です。早いもので、「信濃デッサン館」は今年で開館三十年、「無言館」も十二年目をむかえています。館員の話では、あなたはどちらかというと「無言館」のほうではなく、もっぱら「信濃デッサン館」のほうに通いつめてくださっているとか、どうやら私が感激しているのはそんなところにも因がありそうなのです。
というのは、今や「信濃デッサン館」と「無言館」は、私という同じ設立者が建設した一卵性双生児(?)のような美術館でありながら、置かれている立場には百里もの隔たりがあるからです。
おそらくあなたもおききおよびの通り、「無言館」はその是非はともかく、かの戦争で生命を落とした画学生たちの無念を伝える反戦美術館として大脚光をあび、開館いらい年間十万人余の来館者でにぎわい、東信州きっての人気美術館に成長しているのですが、いっぽう僅か五百メートルほどしか離れていないところにある「信濃デッサン館」は、一時四万人近くあった来館者数が、最近では半分近くに落ちこんでいるという体たらくぶりなのです。すぐそばに大繁盛している美術館があれば、近くの美術館にもそれなりの相乗効果があるだろうと考えるのが自然だと思うのですが、どっこい世の中はそんなに甘くない。自らが分館として建設した「無言館」の出現によって、本館の「信濃デッサン館」が青息吐息の経営状態に追いこまれてしまったというのですから、これこそ「軒下貸して母屋とられる」の類ではないでしょうか。
何より悩ましいのは、いわゆる免税組織である一般財団法人「無言館」の収入を、個人経営のままの「信濃デッサン館」のほうの運営にあてるわけにはゆかないということ。昨秋「無言館」は、これまで飾りきれずにいた画学生の遺作、遺品をならべる第二展示館(「傷ついた画布のドーム」と名付けました)を増設し、文字通り右肩上がりの発展をとげているのですが、いっぽう「信濃デッサン館」といえば相変わらず閑古鳥の鳴く毎日、というのが偽らざる現状なのです。
しかし、だからこそ、あなたの「信濃デッサン館」訪問がこれほどまでに私の心に勇気をあたえてくれたのかもしれません。近頃いささか意気消沈気味の小生の心に、何ともいえない灯台の灯のような希望の光をもたらしてくれたのかもしれません。
最近ある美術雑誌に、あなたの作品がニューヨークのオークションで邦価にして六千万円という高値で落札されたという記事がのっていました。例の、ちょっぴりおすまししたお下げ髪の少女が、上目づかいにこちらをみているというあなたお得意の寓話的な作品で、私もけっして嫌いな絵ではないのですが、それにしても六千万円とはスゴイ!日々ン万円の銀行利息に追われてフウフウいっている私のような零細美術館主には、何とも羨ましいかぎりの高額オファーです。しかも、そこにそえられていたあなたの短いコメントはもっとスゴかった。あれはおそらく、ニューヨークからの電話に鎌倉のアトリエで仕事中だったあなたが出られての言葉だったと思うのですが、、こんふうな一言が雑誌にのせられていたのです。
曰く「あれは作品の値であって、ボクという絵描きの値ではない」。 |
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