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Nさんへ。
何だかTさんの長野市長選挙落選劇の話をしているうちに、日系画家野田英夫の作品論、画家論のほうに何倍も熱が入ってきてしまったかんじですが、それもこれも私たちが今回の失敗にめげず、とにかく前にむかってあるいてゆきたい、希望をうしないたくないという気持ちの表れと理解していただければ幸いです。
そこで、コトのついでにもう一人、私たちに「希望の光」をあたえてくれた松本竣介という画家についてもふれておくことにしましょうか。先日「信濃デッサン館」をお訪ねいただいたとき、Nさんは野田英夫の作品が展示されているコーナーに、ずいぶん長く佇まれていたとおききしているのですが、その野田作品のならぶ壁の向かいがわに、松本竣介のデッサンが何点か飾られていたのをご記憶のことと思います。
いうまでもなく、松本竣介といえば透明感あふれると、都会に生きる庶民を描いた独特の画風で戦前の洋画壇を席巻し、終戦後まもなく気管支喘息で三十六歳二ヶ月の生涯をとじた薄命の画家ですが、私たち絵画愛好家から「シュンスケ」とよばれ親しまれているこの画家は、さしずめ数ある「夭折画家」のうちでもスター格にあたる存在ともいえるでしょう。わが美術館の竣介作品のコレクションは、点数においてはそれほど多くないのですが、例の有名な油彩画「ニコライ聖堂」の下絵ともみられるデッサンの秀作が、野田英夫の絵のコーナーの片隅にかけられています。
たぶん夕暮れ時の風景なのでしょう、乳色にかすんでいる薄暮の石塀のむこうに、置き物でもおいたようなニコライ聖堂がうかび、石塀ぞいの鋪道にぽつんと配されている一人の点景人物。これは松本竣介が生前好んでモチイフにしていた東京お茶の水のニコライ聖堂を、鉛筆だけで仕上げたモノトーンの作品なのですが、その画面には油彩画以上の静謐感、孤独感がみなぎり、見る者の身体の芯をキュンとさせるような叙情性にみちています。一見してそこには、竣介が終生追いもとめた人間の孤独と、その孤独を押しつつんでいる大都会の底知れぬ静けさが描かれているのです。
しかし、私はこの「シュンスケ」の絵の底にも、野田英夫の絵にあるのと同じような「希望の光」を見い出します。「シュンスケ」の「希望の光」が、ほんの少し野田の絵と違うのは、野田の描く「希望」にくらべてちょっぴり能動的、積極的であるという点かもしれません。野田の「希望」が「明日はきっと良いことがある」というなものだったとしたら、「シュンスケ」のそれは「たとえ良いことがなくても生きてゆかねばならぬ」という、人間にあたえられた一つの使命ともいうべき「生」への情熱であるともいえましょうか。
この「ニコライ聖堂」とかぎらないのですが、私は松本竣介の作品の前に立つたびに八木重吉という、一九二七年に二十九歳で死んだ詩人の詩を思い出します。
あたらしくあゆもう
きのうのうたはわすれよう
しかしながら
きのうのうたとおなじように
きょうもうたうことをおそれはすまい
もう一つ、八木重吉の詩で思い出すのは、こんな一節です。
死なねばならぬ
人間は
生きねばならない
生きねば
ならない──
とにかく
生きねばならない
そうです。
松本竣介の絵には、野田の絵以上に「人間は生きてゆかねばならないのだ」という強固な意志があるのです。「もどりできない」という覚悟があるのです。それはひるがえれば、「人間は生きることを放棄するわけにはゆかない」ということでもあるのでしょう。
ご承知の通り、松本竣介は二科展に出品された野田英夫の作品に大きな影響をうけ、あの代表作ともいわれる「都会」や「街」に取り入れられたストリート・シーンの画法は、そっくり野田英夫から得たものだともいわれています。アメリカから帰った野田英夫が、日本の洋画壇におよぼした最大の功績は、松本竣介という「第二の野田英夫」を誕生させたことではないかという評論家もいるくらいです。しかし、私はこの二人の画家を一番色濃くむすびつけていたのは、その作品が見る者の心に喚起させる「生きることをあきらめてはならない」という、あふれるような生命力であったような気がするのですが、どうでしょうか。
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