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Nさんへ。
三十数歳にしてはじめて「人生の出発点」に立つことになった人間の戸惑い、人生半ばにしてはじめて「真実の出自」を知った人間のうろたえを、Nさんには想像してもらえるでしょうか。
私はそれまで(実父母と再会するまで)、自分の正しい生いたちを知ることこそが、「自分とは何者か」を知る手だてだと思っていました。自分がいかなる土地、いかなる親のもとに生まれ、いかなる名の子だったのか、それらをはっきりと知覚し認識することが、自分という人間を知ることなのだと信じていました。
しかし、ちがっていたのです。そういった「戸籍上の真実」を知ることと、本当の「自分」という人間を知ることとはまったくちがうものだったのです。いや、自らの真実の出自(出生の事情)を知ってから、いっそう私の「浮遊」ぶりは混迷をきわめはじめたといっていいかもしれません。私はますます自分という人間がわからなくなったのです。自分はいったい何をしに、何のために生まれてきたのか、それより何より、自分は「生まれてくる」価値があって生まれてきた人間なのか。そうした疑問が、まるでこの(親子再会の)時期を待っていたかのように私の心にドッとふきあがってきたのです。
つまり、こういうことです。
少なくとも三十代半ばまでの私の人生は、靴修理職人の親との貧しい生活からの脱出が最大のテーマでした。朝早くから夜おそくまでシェイカーをふって働いた酒場稼業も、一日も早く一軒家を建てたい、親子三人で三食たべられる生活を築きあげたいという一心からはじめた職業でした。その後の「ホール」や「美術館」の開業は、たしかに私の趣味を生かした転身ではありましたが、それもまた時代の要請をにらんだ私流の見スギ世スギの仕事だったというところもあるのです。しかし、念願の実父母との対面を果たしたとたん、そうした私の「生きる目的」や「生きる理由」は木っ端みじんに吹きとばされてしまいました。もっと正確にいうなら、私がこれまであるいてきた道が、すべて生活環境、いってみれば虚構の半生から生みだされたものだったということに気付かされたのです。
ではこれから、いったい私はこれから何を目指し、何を生き甲斐にして生きてゆけばいいのでしょうか。どこを目指し、どこを人生の到達点としてあるいてゆけばいいのでしょうか。
ふたたび、私のあてどない「自分さがし」がはじまりました。
しかも今度は、巡り会った父親がだれでも知っている有名作家であったという特殊な事情が、重く私にのしかかりました。それまでは曲がりなりにも、自分の手で成し遂げた仕事は(たとえそれが多分に時代にながされたものであったにしても)、私自身の「生きた」として世間に認められていましたが、実父との再会後は、すべてが「有名作家の子ども」の仕事として評価されるようになったのです。一靴修理人の子があゆんできた一本の細い荒れ道が、突然豪華なコンクリートの舗装道路になったとでもいうべきでしょうか。いってみれば、私はそれまでの自分の人生をいったんご破算(?)にして、新たな自分を最初の第一歩からつくりあげなければならなくなったのでした。
たとえば、私が美術館の受付にすわっていると、
「やっぱりお父さんによく似てらっしゃいますねぇ」
とか、
「こういう美術に対する才能もお父さんからうけつがれたものなんでしょうねぇ」
とかいう言葉が来館者の方々から発せられるようになりました。
なかには、
「この美術館はお父さんがお建てになったのですか?」
などという信じられない言葉まで投げかけてくる来館者も登場しました。
そんなことを気にすることはないではないか、これまで自分一人で切り拓いてきた道なのだから、これまで通り堂々と胸を張って生きてゆけばよいではないか。多くの人はそういうかもしれません。でも、人間の心はそんなに強いものではない。昨日まで生きてきた自分の努力や精進を認められてこそ、人間は明日にむかって自信をもって生きてゆけるともいえるのです。その「昨日までの自分」をすべて否定され、何もかもを「親の七光り」「親の威光」のおかげといわれてしまうことの切なさ、やりきれなさ。
どうぞ、おい下さい。
私は有名作家の実父と再会してからというもの、そんなきわめて取るに足らない、まるで小学生か中学生が思い悩むようなことに、日夜ねむれぬ苦しみの日々を送るようになったのですから。
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