高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
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束芋VS佐々木豊
吉武研司
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'Round About

第10回 絹谷幸太

いささか過剰に表現すれば「鉱物万物起源論」のような壮大なイメージをもつ彫刻家・絹谷幸太氏。自らが素材としてノミを入れる石に、生命の源に通じる壮大なイメージを感じ取っています。果たして「初めに天と地を創造された」のは神でなく、鉱物だったのでしょうか?
※画像はクリックすると拡大画像をひらきます。   
   
  ●ブラジル留学から帰国して2回目の個展ということですが?

1年間、文化庁の平成15年度新進芸術家海外留学制度で、ブラジルに留学しました。渡航前は友人や先生に「お前は何故ブラジルなんかに行くんだ?」と言われ、行った現地では「あなたはなんでブラジルに来たの?」と聞かれました。留学前に、左足の大きな手術がありました。制作中に左足首の靱帯を2本切ってしまい、70針縫うことになりました。ギブスが外れたばかりのところを、スーツケースすら押せない状態でブラジルに渡りました。Tシャツとスケッチブックしか持って行けなかった。

●普通だったら、躊躇してしまうところですね。

僕は今までのように彫刻を制作できるとは思っていませんでした。
 
 

研修中2ヶ月半はリハビリに通いました。知り合いは誰一人いないし、広いブラジルで石をどう探し、どこで買ったらいいか分からない。アトリエも無く、買ってもどこにどうやって運んだらいいのかも分からない。初めはそんな状態でした。しかし、迷っていると「どうしたいんだ?」「どこへ行きたいんだ?」と、友人が友人を紹介してくれ、友達がどんどん増えていきました。すごく優しいんですね。最後には、二人展や個展も開くことができました。本当にいろいろな人々に助けて頂いたことがとても励みになりました。

 
   
 

●地球の反対側、気質のまったく異なるブラジルに行って、どのようなことを感じましたか?

ブラジルは素晴らしい国ですが、発展途上の国で、さまざまな問題を抱えています。先住民であるインディオを含め、世界6大陸から100を超える民族が集まり形成しています。宗教や哲学ものの認識や考え方が違う人達が隣り合わせで生活をしています。それを一つに束ねることは大変に難しいことだと実感しました。しかし、とても素敵なことだと想ったんです。僕が彫刻に使っている素材は石です。その石も様々な鉱物が融合し、あらゆる色彩を産みだし、一つの岩石を創りあげている。ブラジルとのある種の共通点を見つけたんです。

●そこから今回の個展のテーマ「愛・生命・石」に結びついてきたようですね。

おそらく石の中には我々現代人が、未来へ飛躍するためのさまざまな「秘密」というか、手ほどきのようなものが記されているのではないかと私は考えています。美術の分野だけではなく、より大きな領域の中で、鉱物に印された秘密を解明してゆけば、将来の展望が開けるのではないかと感じたのです。彫刻家として、作品だけでなく、言語を通しても発言していきたいと想いました。それがこの度の「愛・生命・石」というテーマに結びついたのだと思います。

 
   
 

 
  ●「秘密」とは謎めいていますが(笑)、どのように作品の中で生かされてきたのかをぜひ知りたいですね。

例えば、真ん中に赤い石があって、周りに9つの石を配置した作品があります。古代大陸(いまの中国)では、9という数字は数の中で最大で、宇宙を表現する数なんです。また、青という色(石の色の1つに使った)も、宇宙を表現する色として使われてきました。この作品で、できる
 
 

ことなら世界6大陸の石を使ってみたいと想ったんです。ただ、タイトルがなかなか決められなかった。どうしようか、どうしようかと最後の最後まで・・・・。画廊に運び入れ、セッティングしても・・・・。初日、ようやく心が決まったんです。「友情の握手を贈る」というタイトルにしました。その思想は、石から学んだことです。特に現代の日本に必要なことだと感じたからでしょう。

●インスタレーションは初めてということですが、石の形を作り上げる以外の作業が加わります。難しさはありませんでしたか?

構想の段階で時間がかかりました。実制作に入ってからも、遠くから眺め、なるべく客観的になるよう心掛けました。完成後も気に入らなくて、もう一度作り直しました。画廊に搬入するトラックが来ても暫く待ってもらいました。完成できなかったら出品しないつもりでいました。奇跡的に完成しましたけれども。

 
  ●他の作品についても教えてください。

「夏の白い雲」という作品があります。昨年、教えをいただいた土谷武先生と柳原義達先生が亡くなりました。そうした悲しい経緯があり、制作中、作品の二つの柱が両先生に見えてきてしまい、胸が苦しくなり、涙が溢れてきたんです。紙ヤスリで磨くのも、本当に涙で磨きました。タイトルは直接的なものネガティブなものは良くないと思い、「夏の白い雲」としました。天や宇宙に向かって、僕の感謝の気持ちを先生に届けたいと思いました。いつも「自分、自分」と思っていますけれど、先生にいろいろなことを教えていただいた。そういうことが改めて想起されました。

●石は、絵と異なって塗り直しが効きません。間違えば、もう修正が効かなくなることもある。そのような点から、石を「不自由」に感じたことはありませんか?

 
 

僕は不自由だなぁと解釈したことはありません。よく見に来てくださる方が「大変だね」とおっしゃいます。しかし、僕は大変だと思ったことはないんです。確かに時間はかかります。でも例えば、白い花崗岩は、太陽が上る前は黒みを帯びたグレー色ですが、太陽が上ると桃色やバラ色になり、どんどん色が変化していくんです。これほど自由で可変的な素材は他にはないと思うんですね。

 
  ●普通の人は、石にふれあう機会はほとんどないですから、その感覚は分かりづらいですよね。

作品の空洞の部分に頭を入れて、中で頭を空にすると、多分いろいろな音色が聞こえてくると思うんです(編注:実際にやってみると、貝殻を耳に当てると聞こえるような音が聞こえてきました)。石を彫っていても楽器のような音が鳴り響いてきますよ(編注:石をノックすると木琴のような響きのある音が……)。

●確かに見るだけでは分からない感覚ですね。

目で見るだけではなく、全身で何かを感じたい。例えば、雨
 
 

で作品の上に溜まった水に、天空が映ると、映ったものと石の結晶が違和感なく溶け込み合うんです。石というのは宇宙を転写したんではないかと、そういう馬鹿なことを(笑)考え出すんですね。僕はそれまで青い石を彫ったことは無かったんですけど、ものすごく不思議な感覚になりますよ。空を彫刻しているのではないか、海を彫刻しているのではないかと。削った石の破片が周りに散らばるんですね。青く。それと同じ色の蝶が偶然にも空に舞っていくのを見ると、石が宇宙に帰って行くように思えて、昼間から酔わされちゃんですよ(笑)。

 
   
 

 
 

●そのような壮大な石というものに100年しか生きられない人間が挑むというのは、どのような感覚なのでしょうか?

ブラジルの大地というのは約6億年の歴史があります。僕がよく使う日本の石(稲田花崗岩)は、約6000万年前に冷えて固まったものです。そういうものを目の当たりにすると自分というものがすごくちっぽけな存在なのだと感じさせられます。僕自身あと数十年生きられるかどうかさえ分からないですけれど、僕を生んでくれた両親から、ずっと先祖をたどっていき、DNAという長い物差しで考えてみると、ようやく向き合える気がしているんです。

 
   
 

 
   
 

 
 

●石というものは硬く、冷たいというイメージもありますが、どのように向きあっていくのですか?

例えば、見るといっても、実際はあまり見えないのではないでしょうか。僕は石切場や、石の原風景に行きます。ある程度見たら僕は目を閉じるんです。体全身で石の心をつかみたい・・・・、とてもつかめないのですが、何とか体で感じ取りたい、全身を通して見てみたいと、腹這いになって大地を抱え込もうとしたり、考えつくさまざまなことをするんです。においをかいだり、接吻をしたりもします。

●分からないでもないですが、普通はなかなかそこまでできるものではないですよね……

なぜかと言えば、自分と石は無関係ではないと思うんです。石には香りがあるんです。生命の香りがするんです。頭がおかしいと思われるかもしれませんが、僕は、生命というのは、鉱物から生まれたのではないかと、石から生まれたんではないかと想うことがあるんです。大地から生まれた人という存在は、例えば血液中にはFe(鉄)などが入っていますし、そうしたさまざまな鉱物が、心や脳を動かしているんじゃないかなと思っています。生命の源とつながりがあると思うんですね。だから、石切場の前に立つと、心と心が繋がるような気がして、暫し言葉がなくなるんです。

 
   
 

 
  ●イメージが果てしなく広がっていきますね。

石には本当に真実が詰まっているんです。途切れることなく宇宙までの、つながりが想像できるんです。ところが現代が行っている政治にせよ、経済にせよ、将来への展望がなかなか見えない。そういうことにギャップを感じます。少し悲しくなったりもします。彫刻家は(僕も含めて)作品を作りますけど、ギリシャの彫刻にしても彫刻家という個と作品はほとんど関係ないと思うんです。作品はやはりその時代と深く関わりがある。そういう認識で現代をとらえて、作品を造ってゆきたいと思っています。

 
(2005.9.21 吉井画廊にて取材)
  
 

絹谷幸太 略歴
1973年 東京都生まれ
1992年 文部省海外学術研究・学術調査のため渡欧
1992年 ノルウエー・アルタ遺跡 岩盤線彫画 調査
1995年 ユニオン造形文化財団より助成採用
1995(チリ・イースター島における巨大石彫文明の調査研究)
1995年 第22回岩手町国際石彫シンポジウム招待
1996年 日本大学芸術学部卒業 日本大学芸術学部長賞受賞
1996年 文部省高等学校教科書 美・創造へ1 作品掲載
1998年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了
1998年 ポーラ美術振興財団 平成10年度在外研修助成
1998年 研修地 ドイツ連邦共和国
2002年 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程彫刻専攻
2002年 第5研究室修了
  2002年修了制作 東京藝術大学大学美術館買い上げ
2002年 ・野村賞受賞
2002年 彫刻(美術)博士号取得
2003年 文部科学省中学高等学校学校用美術工芸教材ビデオ
2003年 「こころつくり・こころ伝え」
2003年 文化庁 平成15年度新進芸術家海外留学制度1年派遣
2003年 研修地 ブラジル連邦共和国
2003年 サンパウロ州立大学大学院 post doc修了
2005年 財団法人 清春白樺美術館奨学生
2005年 ラ・リューシュ(蜂の巣)にて創作活動を行なう
2005年 吉井画廊(銀座)にて個展
2005年 「絹谷幸太展−愛・生命・石−」