高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
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'Round About
第2回 和のサイケデリック模様 山田 泰
一見すると純日本画のような油絵。その静かに広がる自然風景は
実は、果てしのなく深い意識風景でした。この4月に開催された
なびす画廊での個展とアトリエに伺って、どこかミステリアスな
山田泰さんにその世界を覗かせていただきました。



   

なびす画廊個展風景
 
●山田さんの描く自然は、奥に力を秘めた感じですが、一見とても静かですね。

山田:僕は前にドンドン出てくる言葉の多い絵が好きではないんです。派手な色とか線が多いとか、主張の強い絵を描きたくないんです。作品が静寂な感じで、極端な話、白い画面に少し染みがあるものだと人は覗き込むじゃないですか。それは、その作品を集中して見ていることだと思うんです。僕の絵もそんな感じで、枝や葉っぱの裏には何があるのかなと思って見てもらえると、より楽しいと思います。描いている僕もそう思いながら描いています。
 
「気脈」57×116cm
●今回の個展では、木の枝と波がモチーフですね。その解説をしていただけますか。

山田:木の枝がモチーフの絵は今までも描いてきましたが、これは花が咲き終わって葉が吹き出している頃の桜の枝です。画面の点々は、硬い筆に油彩を含ませて、指で弾いてできたものです。その上に枝の輪郭が残るように枝以外の空間を塗りつぶして
いきました。僕は絵の描き方と自然に対する考え方が、一致してると自分では思っています。枝でも波でも自然のものは、気候とか風土に合わせて自分の形を決めています。それは決して自分本位の形ではないのです。僕はそこに神々しい感動を覚えます。人の頭の中で作る形は、自然の懐の深いとこから出てくる形と比べれば限られたものだと思うんです。植物の形とか見ていると、その周りの自然界との絶妙な距離感があるじゃないですか。この絵でも枝によって空間が切り取られている。空間もまた枝を形作っている。そういう意味で「気脈」とタイトルを付けました。この絵の描き方も同じで、枝を描いたり空間を重ねたりして、枝と空間の輪郭線が決まっていきました。そういう意味で自分では、考え方と描き方は一致してると思います。
 
「揺曳」162×162
●こちらの作品「揺曳」でも勿論そのコンセプトは同じなんですね。

山田:同じです。実は、今回の個展で初めて波がモチーフの作品を発表しました。いつか波の作品を描こうと今までずっと三浦海岸とか千葉県とか、いろいろ歩き廻って記録は取っていたんです。でも、なかなか形に出来ないでいました。波の絵も一見すると、波のパターンだけを切り取って描いているだけに見えますが、奥行きを描かなくてもパターンの形だけで海面の変化に富むうねりを表現したかったのです。今はとにかく、自分が吸い込まれるような波の泡粒の模様に出会いたいのです。現場に行ってみないとわからないので、 結構
大変なんですが、この次ぎの個展は波を主なモチーフとして、もっと大きいパノラマの作品を発表したいです。
 
●山田さんはデザイナーとしてお仕事をされていますが、もともと画家志望だったのですか。

山田:今まで特に画家になろうとこだわっていたことはないです。絵を意識して描き始めたのは小学生の頃で、油絵が描きたくて、自分で学校で使う水彩絵具に糊を混ぜて、絵具が盛り上がって固まるように周りの自然を描いていました。中学生になると、独りで早朝に井の頭公園とかに行って、イーゼルを立ててキャンバスに油彩で風景を描いていました。将来は何か描い
たり、作ったりする仕事はしたいとは思っていましたが、画家はやっぱり漠然となれたらいいなという感じでした。今でも自分が画家だとは意識していません。デザインの仕事に関しても、小学校の時から歌集や遠足のしおりの製作をまかされたりと、そのまま大人になっても続いている感じですね
 
●では、そんな山田さんが作品を作り、個展を開く意味は。

山田:僕はデザイナーとして仕事をしつつも海外へ長い旅をしたりして、自然や人間を見詰め、そしてずっと独学で絵を描いてきました。僕にとって旅や散歩は大切です。海外へは、なるべく予測不可能な国に行って、そこで自分はどうなるのか、試しに行った感じです。インドへも居られるだけ居ようと思って行ったのですが、始めは考えの違いから頭にくることが多かったり、2日に1度は下痢したりで大変でした。でも、インドで一日中歩き廻って街を眺めてたり、そこに集まる世界中のバックパッカーとの付き合いで、貴重な超現実的体験が出来ました。
 その後ネパールに入りました。そこはとても居心地がよくて、あっという間に2ヶ月ぐらいたったある日、突然、雲が消えて目の前にヒマラヤ山脈が 立ちはだかったのです。コレだっと思いました。僕はその存在感に圧倒され、畏敬を感じずにはいられませんでした。そしてこの時、旅の終わりを感じました。この感動は簡単に言ってしまうと、自然の造形美に対するものなのですけれど、ただそれを描写するだけでは、この感動は再現出来ない。そのためには、特に心の動く部分を純粋に抽出しなければならないと思いました。
 僕はこれを意識風景と呼ぶことにしました。ものを見た時の普通の感じ方プラス何か頭の中で増幅された感覚で見た風景みたいなもの。頭の中でスパークした感覚、つまりサイケデリック的な感覚がそこには介在しているんだと思います。西洋人だとサイケデリックは、細胞のような模様みたいにギラギラした人間的なものになるけど、日本人はもっと風景、自然に向かうのではないかと僕は思うのです。それを僕は追求したいのです。
 僕はどこにでもある風景を意識風景に変えて、そこからサイケな部分、模様を取り出して画面に表現したいのです。まだ試行錯誤の段階ですが、いずれはそんな作品達が家の一角に置いてもらい、生活の隙間に自然に収まってくれたら嬉しいのです。でも本当は製作している自分が一番楽しいのですが。

 
(2005.4.14 なびす画廊、4.19 アトリエにて取材)
  

 

山田 泰 略歴
1965 東京都生まれ
1999 個展(なびす画廊)
2001 個展(なびす画廊)
2002 VOCA展、個展(なびす画廊)
2003 山田 泰+チャ・ミョンヒ展(ギャルリーカンディード)
2003 個展(ギャラリーアートポイント)
〜2004 所蔵秀作展(北海道立釧路芸術館)
2005 個展(なびす画廊)