高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
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'Round About

第9回 横尾忠則 VS 佐々木豊

1960年代〜70年代グラフィックデザイン界の寵児として颯爽と登場し、時代に鮮烈な衝撃波をあたえ同時代を駆け抜けた。そして、1981年突如として『画家宣言』をした後も常にスーパースターであり続けた横尾忠則。「アート・トップ」206号(10月号)の連載企画に先立ち、知己の佐々木豊との対談の一部をネットで配信します。
※画像はクリックすると拡大画像をひらきます。   
  “絵肌作り”じゃ世界は相手にしない?!  
 
ピカソ展で発火―
佐々木:MOMA(ニューヨーク近代美術館)でピカソ展を見て、グラフィックデザイナーから画家宣言をしたのは1980年。会場でショック受けたんでしょうけど、その場でデザインやめて絵描きになろうとか、そんなはっきりした意識は無かったんでしょ。
横尾:はっきりしていた。一種の啓示だね。でもデザインは軌道に乗ってたし、天職だと思ってたんですよ。だけど、昔絵描きになりたかったその残り火が突然、煙を立ててぱっと炎を上げたみたいだった。
佐々木:じゃあ、会場で決意した。
横尾:そう、会場でね。東京へ帰ってすぐドローイングを描きだしたりして。それから毎日描いてたね。
佐々木:それから2年後、南天子画廊で最初の個展を開いた。その時、「個展やるからぜひ見に来てくれ」って電話かかってきたんだ。で、すぐに行った。最初の絵の印象は、ニューヨーク派の感じを受けたね。バスキアとか、ニューペインティングの―。
 
 

横尾:ピカソ展があった80年頃は、ぼくはバスキアをまだ知らなかったし、キーファとかあの辺はまだ誰も出てなかったんだよ。画廊を回るとハイパーリアリズムが、もう下火になりかけてる。何も新しいものが出てなかった。81年にパリにいったら、「バロック81」っていう展覧会やってた。そこにはクレメンテとか、いわゆる80年代の新表現主義の作家が出てた。そういう人たちが世界各地にいて、同時多発的に絵画の復権みたいことをやりはじめた。作家の中の本能的なものがたまたまシンクロニシティを起こしたんじゃないかと思うんだ。
佐々木:あの時にニューペインティングが日本に入ってきたんだけど、それが海外から日本に入ってきた最後の波だったんだよね。あとは凪状態っていうか。
横尾:そうだね。世界が狭くなったから、もう日本もそういう意味での海外の影響を受けなくなったし、独自のものを出すようになった。むしろ、日本とか東洋に対して、向こうから距離を縮めてきたんじゃない?

 
 
奇妙な生き物―
佐々木:変身願望は楽しいんだよね。若い時に見たびっくりしたシーンがひとつある。最初会った時はおどおどしてたね。東京出て1年目ぐらいだから気張ってたんだろうけど。
横尾:こちら関西弁で日本語が通じないんだもの。
佐々木:でも、しばらしてパーティーに誘われてびっくりしたね。あのとつとつとしたおのぼりさんが、もう誰よりも鮮やかにツイストを踊ってるんだよ。
横尾:ははは。

 
 

佐々木:いきなり変身して、あれだけ鮮やかに腰振ってる。それからニューヨークのディスコでも猛烈に上手くて目立ってた。ものすごいおしゃれでピーコックスタイルとかを着こなしている。
横尾:ピーコックスタイルなんて懐かしいこと言いますねえ。よくそんなこと覚えているねえ。
佐々木:あなたは周りに、ちょっと奇妙な発想する、奇妙な生き物っていう感じでショックを与えるんだ。だから、みな映像としても、セリフとしても頭に残るんだよね。ぼくは、影響受ける人間はものすごく鮮明に憶えてる。凡庸な自分と似たような絵描きは全然憶えてないけど。
横尾:ははは。
佐々木:それからサイケ調など変身の連続。アラン=ドロンがいい監督にめぐり会って、次から次へ新しい自分になったように、俳優っていうのはやわらかい粘土なのね。自分が無いようにしてるから、メディアが「こうせい、ああせい」と言ったら、そこでそのメディアを見ながら表現していく。
横尾:そうね。でも既成のメディアだったら、対処の方法論がわかるから、あんまり魅力は無いんですよ。だけど未知の、自分の経験したことのない素材を持ってこられると、挑戦してみたくなって、できるかなあと思いながらやってみようと思う。

 
 
天才はすぐ飽きる―
佐々木:ところでこれ見てるとさ―。
横尾:これいったい何なの?
佐々木:ホームページから全部プリントした横尾忠則のバイオグラフィー。普通の絵描きのは10分で読めるけど、これをつぶさに読むのに3日間かかったんだ。で、こんなにメディアと共演してるっていうのは異様なんだよね。これだけやっちゃったら絵を描く時間はないはずなのに。
横尾:描き始めた頃は1日1点ぐらいのスピードで描いてたから。
 
 

佐々木:リクテックス使ってるでしょ、速く乾くから。
横尾:でも、ここんとこずっと、全部油ですよ。
佐々木:えっ、リキテックスじゃないの? またなぜ油に?
横尾:油のほうが扱いにくいから。
佐々木:時間かかるし失敗するし。
横尾:そうそう、手強いんだよ。その、手強さに何とか勝てるか負けるかみたいな、あれがおもしろいよね。
佐々木:でも、もし本気になって油絵を描こうとしたら、時間はかかるし手強いから、1日に下塗りだけをちょっと、明日はまたちょっとという具合で、年間、ほんとに10点ぐらいにしかならない。
横尾:そうでしょうね、そんな調子でやってればね。
佐々木:で、そういう連中しか日本のディーラーは扱わない。値段も設定できるし。わかる?
横尾:ふふふ、わからない世界だね。
佐々木:だから市場価格のある絵描きは取材はひかえて、閉じこもって描きっぱなしにならざるをえない。
横尾:でも、ぼくはメディアを全部引き受けてないから。テレビはここ1年半近く出てないし。雑誌もほとんど断ってる。
佐々木:池田満寿夫は、「残る」っていうことを非常に気にしていた。ぼくらはもうあと10年生きられるかどうか。

 
   
 


横尾:ぼくはね、作品なんて全然残らなくていいって発想だった―。
佐々木:そうでしょ。横尾忠則って消費文化のチャンピオンだもの。
横尾:うーん。
佐々木:だけど今、油を使うようになったと言ったでしょ。消費文化のチャンピオンじゃ虚しいと感じたわけ?
横尾:いや、そういう風に消費文化とかとは考えてない。たった今、自分が手がけた1番良い作品ができるという感覚が常にあるわけね。だから、昨日描いたやつも、1年前、2年前のものも一切興味ない。そういったものも、今から客観的に見ればあれが良かったこれが良かったって言われるけれども、ぼくにとっては常に今だし、あるいは、明日どんなものができるだろうかという期待だけなんだよ。


 
 

佐々木:変身願望によってスタイルがどんどん変わっていく理由がそこにあるんだよね。
横尾:すぐ飽きちゃう。
佐々木:天才の特質の1つは「飽きる」ということだと思う。でも、ぼくの同世代の絵描きを見ると、自分を含めて全部自己模倣してるんだよね。
横尾:そうね。まあ、いい言葉で言えば「反復」だけどさ。
佐々木:ぼくは、今度の南天子画廊に出す新作を見て、安心したんだけど。横尾忠則よおまえもか―。
横尾:いやこれはね、今回はわざと反復をやってみようと思ったシリーズなんだ。