横尾:ピカソ展があった80年頃は、ぼくはバスキアをまだ知らなかったし、キーファとかあの辺はまだ誰も出てなかったんだよ。画廊を回るとハイパーリアリズムが、もう下火になりかけてる。何も新しいものが出てなかった。81年にパリにいったら、「バロック81」っていう展覧会やってた。そこにはクレメンテとか、いわゆる80年代の新表現主義の作家が出てた。そういう人たちが世界各地にいて、同時多発的に絵画の復権みたいことをやりはじめた。作家の中の本能的なものがたまたまシンクロニシティを起こしたんじゃないかと思うんだ。
佐々木:あの時にニューペインティングが日本に入ってきたんだけど、それが海外から日本に入ってきた最後の波だったんだよね。あとは凪状態っていうか。
横尾:そうだね。世界が狭くなったから、もう日本もそういう意味での海外の影響を受けなくなったし、独自のものを出すようになった。むしろ、日本とか東洋に対して、向こうから距離を縮めてきたんじゃない?
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