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●独裁者の方では、友人や恋人たちにとってあなたは独裁者になっていませんか、と最後に問いかけていますが、通常の意味とはちがう内容で「独裁者」という言葉を使っていました。
森村:チャップリンの時代ならば、悪の枢軸国としてドイツ・イタリア・日本があって、ヒューマニズムの連合国があるという図式が有効でした。今日ではずいぶん状況がちがう。フセインや金正日を悪と呼んで攻撃するだけでは解決しない。ブッシュの正義も相当に危うい。突き詰めるとあらゆることは天に唾するように自分に戻ってくる。チャップリンの演説は素晴しいが、時代がちがうので独裁者の意味が異なってきた。
●格差社会、ゆとり教育、食の安全性、年金、偽装、地球温暖化、IT産業、バブル崩壊、等みなチャップリンの時代にはなかったことですね。美術はそこまで踏み込んでいかないと、存在理由が探れないのですか。
森村:私は政治家ではありません。あくまで個人的な出発点を大切にしています。個人と社会との兼ね合いは難しく、私人と公人の両面を使い分けてバランスと取らなければならない。私の考えでは芸術はきわめて個人的なものです。一般的にいって仕事というのは公のもで、公務の中にプライベートの価値観を挿入してはいけない。それは公私混同になる。ところが美術は、世の中のすべての人が認めなくても個人的なポジションを大切にしてかまわないし、それが必要な特異な分野です。それでも実際は社会と美術はクロスして繋がっている。たとえば、三島由紀夫は大蔵官僚から小説家に転進したわけですが、作家から政治家になった石原慎太郎とはほとんど正反対の人です。それでもあるところで二人は交差をしてシンパシーを感じていたかも知れない。 |
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