高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
2005
2006
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治


'Round About


第47回 森村泰昌 20世紀の男たち

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●独裁者の方では、友人や恋人たちにとってあなたは独裁者になっていませんか、と最後に問いかけていますが、通常の意味とはちがう内容で「独裁者」という言葉を使っていました。
森村:チャップリンの時代ならば、悪の枢軸国としてドイツ・イタリア・日本があって、ヒューマニズムの連合国があるという図式が有効でした。今日ではずいぶん状況がちがう。フセインや金正日を悪と呼んで攻撃するだけでは解決しない。ブッシュの正義も相当に危うい。突き詰めるとあらゆることは天に唾するように自分に戻ってくる。チャップリンの演説は素晴しいが、時代がちがうので独裁者の意味が異なってきた。
●格差社会、ゆとり教育、食の安全性、年金、偽装、地球温暖化、IT産業、バブル崩壊、等みなチャップリンの時代にはなかったことですね。美術はそこまで踏み込んでいかないと、存在理由が探れないのですか。
森村:私は政治家ではありません。あくまで個人的な出発点を大切にしています。個人と社会との兼ね合いは難しく、私人と公人の両面を使い分けてバランスと取らなければならない。私の考えでは芸術はきわめて個人的なものです。一般的にいって仕事というのは公のもで、公務の中にプライベートの価値観を挿入してはいけない。それは公私混同になる。ところが美術は、世の中のすべての人が認めなくても個人的なポジションを大切にしてかまわないし、それが必要な特異な分野です。それでも実際は社会と美術はクロスして繋がっている。たとえば、三島由紀夫は大蔵官僚から小説家に転進したわけですが、作家から政治家になった石原慎太郎とはほとんど正反対の人です。それでもあるところで二人は交差をしてシンパシーを感じていたかも知れない。
 
 
■換骨奪胎
●森村さんは、一方で美術史とか美術の時間という切り口で、美術の全うなものさしを大切にしながら、それを独自に再確認しているようです。世界の共有財産として、美術には普遍的な価値があるわけですが、それでも検証作業は常に必要でしょう。他方で美術には国の存在を素晴しいものとして崇め奉る要素もある。国や社会の安全装置として、軍隊と同じようにソフト面から国民に帰属意識を促して縛り上げる役割もある。森村さんの作品は、その機能をパロディー化しているようにもみえる。
森村:パロディーというよりも換骨奪胎かな。

●ピカソもよくやりましたからね。
森村:教科書でお墨付きを貰うと名画になるのですが、この作品のどこがいいのかあまり自分の頭で考えていないのが実際です。それは無理もない面もあるわけですが、物事に風通しをよくしたいという思いがあります。いろんな考え方、可能性を増やしていく。そのことに意義がある。ミシュランのように権威付けをしようという意図はなくて、私の思考過程と結果を作品によって示したいだけです。頭を柔軟にしていきたい。
 
■変装の舞台
●森村さんは、作品発表ともに、活字の本をたくさん書いています。その点では須田国太郎とか、岡本太郎のように論と作品とが並行してすすんでいく美術家のような気がします。それから森村さんは作品で、基本的には笑いませんね。ヒットラーの帽子には「笑」の字がありましたが、目は笑っていない。それでも瞳が輝いていて「善人」にみえた。
森村:たとえばコメーディアンの笑いの質は、いまかなり低いですね。芸人が笑いながら出てきたりしますが、あれはだめでしょ。人を笑わすのが商売なら、自分が先に笑ってはいけない。
●メイド喫茶とか、コスプレなどが常態化したのは、森村さんの影響とは考えられませんか。
森村:う〜ん、コスプレねえ・・・。ぼくには割と古風なところがあって、「変装」といいますが、いつもとちがう自分になるというのは、「ハレ」と「ケ」の関係だと思います。人類の営みとともにあるのが日常と非日常の関係で、「ハレ」というのは、お祭りとか、そういう特別の祝祭だと思います。それがいま平準化してきた。今の世の中には、何でも格差をなくそうという時代の流れがあって、でもぼくは「時間の格差」というものは残しておいた方がいいんじゃないかと思うんです。「ハレ」と「ケ」の時間の格差をね。演じているときの時間は日常の時間とはちがって密度の高い特殊な時間ですが、いま多くあるのは疑似体験です。本物のとびっきりのパーティーではない。本来は格差が、時間の密度の中にもある。達成感とか、満足度、心をリフレッシュさせる「ハレ」の空間が、メイド風の喫茶になっているだけで、本物のメイドではないのです。それを逆からいうと、本物と偽者とが接近していて、日常と非日常とが限りなく混ざり合っている。昔のような銀幕のスターはいないわけです。セックスだってありふれた日常のヒトコマなってきている。私は芸術という特別のステージを大切にしたい。
 
■上方カルト文化
●森村さんは、「美術家」といいますが、「芸術家」も含めて定義しづらくないですか。
森村:アーティストという言葉があまりにも安売りされてきているので、私は「アート」という言葉を使わないで、美術を語りたいと思っています。通常、芸術家は音楽家や、舞台俳優等も含み、美術家は絵画や彫刻の制作者ですが、その分類を一応踏襲しています。
●チャップリンや三島由紀夫らを森村流の「美術家」の概念に取り込んでいるのではないのですね。
 
 
森村:三島は小説家であり、チャップリンは監督兼俳優。私も映像を作ると、監督のようであり俳優も兼務しますから、似たことをやっているといえばそのとおりです。
●美術はより自由な表現をめざしてきましたが、その結果混乱があり、まちがった理解がなされてきた気がします。自由であるためには自分で新たなルールを作らなければ成立しないということを忘れているようです。その点森村さんはオーソドックスな美術の公式を踏まえている点が美術原理主義者のようですね。
先ほどの「特別な非日常空間」から変な連想をしたのですが、森村さんのご実家はお茶・緑茶の関係とか。お茶で思い出すのは江戸中期の人・売茶翁の煎茶・文人茶です。伊藤若冲とか富岡鉄斎が売茶翁の肖像を描いていますが、大阪の木村蒹葭堂あたりも含めて、利休の「茶の湯」とはちがった文人文化があったようです。そんな日本の美術・文化も俎上にのせて欲しい。

森村:売茶翁はぼくも気になっている存在です。江戸の浮世絵、ポップカルチャーとの対置でいうと、上方はカルト文化です。上方文化固有のマニアックなあり方が、あの売茶翁の週辺にあったと感じています。どんな形になるかわかりませんが、いつか若冲や蒹葭堂など売茶翁をめぐる文化サークルを作品化できればと思っています。
●そうでしたか。森村さんは上方美術の原理主義者だったんですね。ありがとうございました。
 
(協力/シュウゴアーツMEMギャラリー 2008.2.12 取材/篠原 弘・美術評論家)  
森村泰昌(もりむら・やすまさ)
1951年 大阪生まれ。
1975年 京都市立芸術大学美術学部卒業。
1985年 自らが扮装して、ゴッホの自画像になる写真作品を発表、
1985年 以後自らがセットや衣装に入って西洋の名画を再現する
1995年 写真で評価を受けた。
1988年 ヴェネツィア・ビエンナーレの若手グループ展「アペルト」
1988年 部門に選ばれ、一躍世界の注目を集める。
1989年 全米を巡回した日本美術展「アゲインスト・ネーチャー
1989年 −80年代の日本美術」展に参加し鮮烈な国際デビュー
1989年 を飾った。
2003年 織部賞受賞。
2006年 京都府文化賞・功労賞受賞。「美術史シリーズ」、
2006年 「女優シリーズ」、「レクイエムシリーズ」と展開中。
2006年 日本各地や海外での個展・グループ展の他、様々なジャンルの
2006年 人達とのコラボレーションなどにも多数参加している。
2006年 作品集含め、著作物も多数。
2008年 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
■HP:http://www.morimura-ya.com/
中山忠彦  
●information
現在三重県立美術館で開催中(2/14〜4/13)の「液晶絵画 Still/Motion」展にて新作を発表。本展は4月に 国立国際美術館(4/29〜6/15)、8月に東京都写真美術館(8/23〜10/13)へ巡回。4月にパリのタディウスロパックギャラリーで個展、6月にはマドリッドで個展予定。