山本タカト 幻色のぞき窓
高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回は『ブラリひょうたん』の高田保でした。
弁天様を背に乗せた大ナマズをヒョータンで捕えようとする図(画は那須良輔)。
 じつはぼくはマニア。中国へ何度か行き来しているうちに、彼の地に、さまざまな趣向をこらした瓢箪グッズがあるのに気づき、ちょっと集めてみようかという気になった。
 あの形が、なんとも愛らしい。
 大小さまざまな、材質とデザインの小物。たとえば水晶でできたもの。象牙(?あるいは魚の骨?)を彫刻した瓢箪。瓢箪の形をした硯や墨。急須。盃。盆。皿。茶入れ。虫籠。小袋。印。団扇。瓢箪オカリナ。ステッキ。アメジスト色の大小何百もの瓢箪がビッシリ数珠つながりになっている瓢箪ノレン。
 そして、それら瓢箪小物を置いておく飾り棚がまた、大きな瓢箪形……という始末。
 ハンカチ、手ぬぐい、瓢箪柄で、夏のタオルケットも、アロハも瓢箪模様。
 瓢箪の形をしたイヤリング(ピアス)、これは自分の耳につけるのははばかれるので、短いヒモをつけて、今年になってから持ちはじめたケータイのストラップがわりにしている。
 そんなわけで、当然、瓢箪という言葉にかかわる本も目にとまれば買っておく。
 前回の『ブラリひょうたん』も、そんな気分から入手したはず。
 ところで、今回も、その「瓢箪つながり」の粋人粋筆本を手に取ってみようと思い立った。
 いつのまにか集めていたんですね。菅原通濟とか佐藤垢石の随筆集。
 菅原通濟は晩年の「麻薬・売春・性病」の三悪追放の提唱者にして政財界のフィクサー、また小津安二郎の映画などにも旦那役のチョイ役で登場する、かなり正体不明的なところがある人物として、また、佐藤垢石のほうは、釣り人、釣り随筆の達人であり、井伏鱒二の釣りの師匠として、名前ぐらいは知ってはいた。
 この二人が、ともに瓢箪的な雰囲気がある。瓢箪体質の随筆家なのです。その証拠というか、自著のタイトルに、通濟には『瓢たんなまづ』があり、垢石には『垢石飄談』がある。「飄談」は「ひょうたん」と読め、瓢箪を連想させる。しかも、この本には通濟との交流が語られる一文も収められている。(通濟の本にも垢石の名が出てくる)
 よし、今回は、瓢箪つながりで、このふたりを取り上げようと、それぞれ、いつ買ったのか覚えてもいない手元の本を読みはじめた。
 それにしても……通濟や垢石の随筆を、こんなにまとめて読むことがあるとは思ってもいませんでした。ましてや、ふたりに関わる文章を書くなどとは……。
 読みはじめて、すぐに気持ちが変わった。通濟・垢石セットで1回のつもりが、それぞれ1本で行こう、となった。
 理由は──その文章に接して改めて感じたのは双方、なかなかの人物であり、随筆作品なのだ。とくに通濟、この通人、ただごとではない怪人物なのである。そして、彼の文章、いつ、どこで身につけたのだろう、書かれていることがリアルで文体も実に生きがいい。
 人生が波瀾万丈ならば、随筆も自由闊達。まさに天下御免の物言いぶり。舌を巻きました。脱帽です。
怪人にして快人、通濟の初の随筆集『放談夏座敷』(昭和24年・鏡浦書房刊)。装丁・装画は寺田政明。   自著『瓢たんなまづ』の口絵写真。好男子かつ豪快な人柄を感じさせるポートレイトです。
 実物に当たってみよう。まずは『放談夏座敷』(昭和24年・鏡浦書房刊)。なにか、リラックス感のある、いいタイトルですね。「はしがき」を読んで初めて(そうなのか)と知ったのだが、この本が粋筆家・通濟の処女作(やはり、というか、この通濟に「処女」作は似つかわしくない表現だなぁ)。しかし、通濟大人といえども初の著作、さすがに、初々しい。引用します。
   こんなうれしいことはない。はじめて書いた雑文が本になろうとは夢である。
 と、でだしは、まあ、マトモ。しかし次の行からは持ち前の“地”を出す。
   私の生涯通じての嬉しかつたことゝ言えば、七ツ八ツのいたずらざかりにお隣り
  の三井さんのワン公を折れ釘で釣つたとき、十三本とつて柔道に優賞した十八の春
  、リッチモンド公園で手の切れるような札束を拾つた廿六の青年紳士(?)だつた
  とき、空手形濫発時代から大震災のおかげでヤミ成金になつた廿九の秋、愛人を得
  たときのよろこびは一寸遠慮して、五十二才爆弾乱れ落ちる最中孔雀明王図をせし
  めたときの歓喜、それから今度の五十六才の処女出版である。おそらく出来上がれ
  ば、小供のようにこの本を抱つこして寝ることだろう。
 ね、初々しいけど、すでに強かな粋筆ぶりでしょう。ところで、この『放談夏座敷』という本、いくつか気づかされたことがある。
 ひとつは、敗戦直後の昭和24年という時代なのに造本が、かなりのゼイタク。函入れハードカバーは、この時期でも必ずしも珍しくはないとしても本文用紙の質が、とてもいい。
 木蓮(?)の絵と筆書きの題字も洒脱。装丁家を見ると、そうか!寺田政明。例の「池袋モンパルナス」の主要メンバーのひとりで、洋画家。装画や装丁の仕事もしている。
 じつは、この寺田氏にぼくはお会いしている。もう四十年以上も昔になるが、ぼくがある美術雑誌の編集を手伝っているときに、後輩と3人で酒席を共にしたことがある。
 足がちょっと不自由で松葉杖をついていらしたが、お人柄は、芸術家ぶらず、権威ぶらず、自由の風が吹いているような気配をただよわせていました。
 (ああ、この通濟本は寺田さんの装丁だったんだ)と懐かしい思いがした、と同時に、(まてよ……)と「はしがき」の気になる一節を思い出した。「日本出版協同株式会社の社長福林正之君がこれを本にしろと言つてると聞いて驚き」とある。
 日本出版協同株式会社といえば──この「粋人粋筆探訪」の連載の初回、雑誌「粋人酔筆」を紹介、この雑誌の発行元が日本出版協同株式会社で、装丁・装画を寺田政明が担当していた。
 ところで通濟の『放談夏座敷』は、版元はすでに記したように、鏡浦書房。ところが発行者の名を見ると、これが、福林正之。日本出版協同株式会社の社長と同じではないか。
 なるほど、この福林正之なる人物、何かの都合でふたつの出版社を経営していたようだ。いずれにせよ、福林と縁のあった(深い?)画家・寺田政明が、通濟の処女作の装丁に関わったのだろう。福林は、辰野隆、徳川夢声、林髞らの『随筆寄席』の発行人でもあった。
 今や、完全に忘れ去られてしまったと思われる出版人の名と、その周辺の人物が1冊の本によって浮かび上がってくる。
 『放談夏座敷』の本文、ほぼ三分の一は実業家にして原敬の立憲友政会の黒幕的存在の辻嘉六翁のもとに通濟らが出向いての嘉六翁言行録。この中で通濟は辻の話を聞き出すばかりではなく、自らの「道楽懺悔」も行っている。
 そして、この座談の記録は次のように幕を閉じる。それは、通濟の人生の一景でもある。
  それは丁度銀杏の葉が散り始めた頃であつた。十一月十二日にはついに私も拘引さ
  れた。日比谷の落葉が風にもてあそばれて道の片隅にたまつていた。そして寒さが
  身に沁みるる頃、芦田君と小菅の冷たい石廊下で会おうとは夢にも思わない運命で
  あつた。僕は風来坊であり、自分勝手の人生観もあり、身体も丈夫だからこたえぬ
  が、如何に信念に強い芦田君といえども年には勝てず辛かつたことだろう。
   辻老人の死も獄中で知り感慨無量だつた。初七日には漸く間に合つた。年の暮に
  は芦田君も出所した。そんな次第であともう二、三回と予定していた辻老人との放
  談会も一回だけで終つたのは、返すがえす残念なことであり、また限りなく淋しい
  ことである。(廿四年元日記 菅原)
 文中「芦田君」とあるのは、戦後(1948年)昭和電工事件によって逮捕された均田均首相。菅原は芦田の有力な支援者であり、この事件の黒幕といわれた。
 『放談夏座敷』にはこの文章の他に「土龍の日光浴」「人生らくかき帖」「通濟閑話」の三章があるが……他の本も紹介せねば。
『瓢たんなまづ』(昭和25年・啓明社刊)。この本の見返しが、冒頭に掲げた那須良輔による、ひょうたんでナマズを捕えようとする瓢鯰図。   『むだばなし』(昭和33年・彌生書房刊)。この随筆集の応援隊がすごい。序文は「善き隣人」と題して里見怐B帯表と序文PART2が大佛次郎。そして帯裏が横山隆一。なるほど鎌倉文化人による友情出演か。
 『瓢たんなまづ』(昭和25年・啓明社刊)。こちらも函入れ上製本。うーむ、見返しに通濟らしき男がもろ肌ぬぎにネジリ鉢巻、手に瓢箪で、弁天さまを乗せた大ナマズを捕えようとしている。描くのは通濟の随筆中にもよく登場する漫画家・那須良輔。
 (この那須良輔がまた釣り人として知られ、随筆集も多く出版している文人なのだが、そこに寄り道はできないが随筆集『むだばなし』の書影のみを紹介しておく)
 扉は、こちらも瓢箪とナマズ。といっても、国宝、伝・如拙(画僧)による「瓢鮎図」(京都・退蔵院蔵)。
 口絵が浴衣姿でニコヤカに笑う初老の通濟旦那。
 「ミス日本」と題する一文がある。通濟先生がミスコンテストの審査員になったときの話。他に吉川英治、吾妻徳穂、宮本三郎、伊東深水らと松竹、東宝の社長らが委員。かなり豪華なメンバーで、このミスコンへの気合いの入り具合がわかる。
 で、その結果だが、ミス日本・京都・山本富士子、準ミス・東京・田村淑子、準ミス・仙台・三村恵子とあり「永くお名前をとどめて記念とする。どうか幸福で、愉しい人生を送られるやうに切に祈る」(二十五年四月二十三日)とコメントが記されている。
 なるほど、山本富士子は通濟が委員のときにミスに選ばれたのか。と、まあ、どうでもいいことまで知ることができる。
 どうでもよくないことも書かれている。通濟が生涯にわたって情熱を注いだもののひとつ美術品収集に関わる件。
   ちかごろは私も美術愛好家を以て自ら任じてゐるが、茶人が蔵の奥深くしまひ込
  み、何年か一度茶友を驚かすといつた種類でなく、進んで学生にも誰にでも見学し
  ていただきたい方だ。(中略)
   帝室博物館の陳列を見ると、説明が不足のように見受ける。殊に伝来、表装、付
  属品に至つては全然無視されてゐる。それに本物と贋物を並べて見せる位の勇気も
  欲しい。但し贋物を本物として陳列するのは困る。
 通濟は収集した国宝を含むコレクションを「常盤山文庫」として昭和22年から一般公開した。自説の実践である。

『通濟放談』(昭和26年・日本出版協同KK刊)。装丁はおなじみ那須良輔だが、装画は岸田劉生。
 通濟の美意識のありようは『通濟放談』(昭和26年・日本出版協同株式会社刊)にも表れている。
 この「あとがき」が面白い。装丁は例のごとく酒友の那須良輔だが「見返しの裸男は通濟居士であるが、那須君は何か俺にウラミがあるとみえ、いつもオツカナイ男に仕立ててしまふ。この頃若い女から便りがめつきり減つたのはこのせいだろうと思ふ」などと書いている。
 しかも、表紙は那須の作品ではなく「岸田劉生の画が気に入つてゐるので用ゐた」と、実にマイペース。
 本文中には、なんと辰野隆、佐藤垢石の名も登場する。
  △佛蘭西文学では辰野先生にかなはぬ。
  △魚ツリでは佐藤先生にかなはぬ。
  △酒のみでは決して両者にヒケをとらぬ。
これが通濟が愚痴を言っている那須良輔による通濟像。たしかに、いくら『通濟放談』というタイトルといってもねぇ。通濟に同情。
 おや、の名も見える。この人もすでにふれたが、先に福林正之の社から川柳本を出している。
   胃癌、胃潰瘍は餅菓子党に多い事は「癌研」に行つて聞いて来給へ。胃潰瘍患者
  を調べたら酒呑みの方がずつと少なかつたとは吉田機司川柳医学博士の名言すると
  ころだ。

『あけっぱなし』(昭和35年・石崎書房刊)いいタイトルです。通濟の文章力、コピー力を感じさせる。
 もう1冊だけご紹介。『あけっぱなし』(昭和35年・石崎書店刊)この時通濟66歳。序にあたる「六十五停命説」と題して、自身のこれまでの人生を振り返りつつ、結びが
   なんといつても借りのない人生、つまり人に頭
  をさげない生活こそ、即ち、あけっぱなしであれ
  ば健康で、健康だから心も平らかで、マア平心、
  これがいちばんよい。が、いずれにしても、六十
  五は終った。終ったからと云って死ぬわけにもい
  かんから、今年は、麻薬、性病、売春の三悪退治
  でもしようか、と思う。
 と記している。
 口の悪い大宅壮一に、通濟、自分のやりたい道楽をやりつくした結果だろう、と言わしめた「通濟、三悪追放運動」の旗揚げである。
   それにしても、今回、菅原通濟の随筆に接し、改めてその人間力・文章力を知ることができた。現実感覚に優れた粋人学者・辰野隆と双璧!
 この通濟を、財界人あがりの道楽老人と、なんとなく軽視していた不明を恥じる。
(次回の更新は9月15日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●点々と象牙のはめこまれた年代物●
 前回は、ぼくの、多分、一生一代の掘り出しものステッキを自慢気に紹介しましたが、もう1本、これも確実に時代もの、アールデコの雰囲気のただよう逸品を。
全体のバランスがよく美しい
 
 このステッキ、国内で入手した。それも、仕事場からすぐの男性用のブティックで。このお店、主流はイギリス風トラディショナルの、材質も縫製もきちんとした品揃えなのだが、輸入小物も売っていた(残念ながら10年ほど前に店の形態が変わりました)
 アンチックなカフ、眼鏡のフレーム、拡大鏡、銀製のスキットル、ワインオープナー、そしてステッキ。
 その中に、どうしても気になる1本があったのだが、値段が……。海外へ行けば、そこそこ面白そうなものが10本ほど買える金額なんだもの。
 もちろん、こういうものは、買い付けの人のセンスや経費もろもろが含まれるので、高い安いはない。
 しかし、ぼくには手が出なかった。ところが……お店をクローズするというので、閉店バーゲン、このステッキも半値近くになった。2、3回顔を出したが、売れてない。
 バーゲン最終日の前日か前々日、なじみのスタッフ(チーフ)と世間話をしつつ、くだんのステッキを手にし、「いい感じのデザインなのに、やはり売れませんか」と話をもってゆくと、ぼくがステッキ好きであることを知っているチーフ、「もう最後だから○○○円でいいですよ。もしよかったら」ということとなった。
 もちろん、いただきました。めったに見かけないですよ、こんなデザイン。漆黒の軸が螺旋状に彫刻がほどこされている。そして、ヘッドに近い上部は、小さい穴に白い象牙の粒が埋め込まれている!
上部の雰囲気。今日、こんなデザイン、見かけません。
 
軸部分にはゆるい螺旋状の美しいカーブの彫りが。先端の石突きも象牙。


ヘッドの部分。イルカの顔かしら。白い象牙部分と抜け落ちの穴。
 残念ながら、その粒の何個かは抜け落ちてしまっているが、それくらいは年代物、しかたがない。(その穴を埋めようと、浅草橋のスワロフスキーを売る店で、何種かの石を入手した)
 ヘッドは、これはイルカの頭部?にしてもなんともエレガントな雰囲気。ひょっとして女性用?ま、いいじゃないですか。ちょっと気取った場所に出かけるとき、これを手にすることがあります。
 冬場は、これに合う、シンプルな上等の手袋が欲しくなります。

© Copyright Geijutsu Shinbunsha.All rights reserved.