山本タカト 幻色のぞき窓
高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 前回、辰野隆、サトウ・ハチロー、徳川夢声による「天皇陛下大ひに笑ふ」にふれたが、徳川夢声といえば……ということで獅子文六に思い至った。
 獅子文六が「大番」「てんやわんや」「自由学校」「箱根山」「悦ちゃん」などという作品を書いた人気ユーモア作家であることや、獅子文六のペンネームの由来が「四×四=十六」であるとか、いや文豪(五)の上をゆくから文六だとかいうようなことは、いつのまにか耳に入っていたが、新聞連載時や単行本化されたものをリアルタイムで読むことはなかった。
随筆のような小説のような「かれ毎日欲情す」「日の丸問答」などが収められている『太平滑稽譚』(昭和26年・創元社刊)。このシャレた装丁は宮田重雄。   その宮田重雄のエッセー集『竹頭帖』(昭和34年・文藝春秋刊)。挿画家としても名を成した宮田は、パリ・パスツール研究所に留学、医療に従事するという変わり種。
 多分、こちらの世代がひとつ若かったからだろう。「大番」が映画化され、加藤大介が主人公のギューちゃん役で大ヒットしたことも知ってはいたが、この映画を見に行くこともなかった。(今回、チェックしてみると「大番」の上映は1957年、つまりぼくが15歳のときだから関心をもたなかったのも無理はないか)
 とにかく獅子文六という作家、名前だけは親しく知るものの、小説でも映画でも、その作品に接することはなかった。だから、もちろん文六が徳川夢声と無二の親友だった、などということも知るよしもなかった。
 この作家の文章にふれるようになったのは、いわゆる「東京本」を集中的に読みだしてからである。
 図書館に行く習慣がないので、読もうとする本は自分で入手するしかない。また、自分で手に入れた本ではないと、なにか落ちついて読む気がしない癖(へき)がある。
なんとステキな装丁の『随筆 町ッ子』(昭和39年・雪華社刊)。   別丁扉が和紙でこのデザイン。装丁家はもちろん
 文六の本で初めて手にしたのは『町ッ子』(昭和39年・雪華社刊)か、『東京の悪口』(昭和34年・新潮社刊)だったか。いずれにしても「東京関連本」として入手したにちがいない。
 とくに『東京の悪口』というタイトルにはひっかかりを感じた。かつての東京を懐かしみ今日の東京の不満をのべたてるのは、よくあるパターンだからだ。しかも、獅子文六は横浜生まれ。一時横浜に住んだことのあるぼくは、横浜育ちが東京に対して、複雑な心情を抱いてくることを知っている。

『東京の悪口』(昭和34年・新潮社刊)の本表紙。谷内六郎の装丁。箔押しの感じがわかるかしら。
 しかし、この本、新書判、ハードカバーで函入れ。じつに洒脱で感じがいい。とくに本表紙、グレーの地に箔押しで、細い枝に白いカタツムリ、それに13Qぐらいの小さい文字で「東京の悪口」とタイトル。
 (ふーむ)と感心しつつ、装丁家は?と見れば谷内六郎。
 ともかく『東京の悪口』を手に入れ、ひろい読みしてゆくと、前後、なんの説明もなく、いきなり徳川夢声の名が出てくる。
 話は「十年ぶりで、東京へ住むめぐり合せとなった」から始まる。文章は、こう続く。
   東京なんか、ちっとも住みたくないのである。
  それだから、十年前も大磯の片隅にネグラを求
  めて、東京を脱出したのである。(中略)
    私は、大磯で余生を送り、大磯の火葬場で骨を焼いて貰うつもりでいたのだが、な
  んという不測の人生であるか、再び、東京都民の名乗りをあげざるを得ざるハメに
  至ったのである。
   その理由を、クドクド書く必要もないが、一言にしていえば、家庭の事情であ
  る。
 と、心ならずも東京に移住しなければならなくなったとのべ、さらに
   東京の第一夜に、風呂に入ったら、エリ首を拭いたタオルが、まっ黒になった。
  たぶん、引越しの塵をかぶったせいだろうと思ったが、翌晩も、翌々晩も、黒くな
  った。大磯にいると、鼻クソまで白いのに、これはえらいことになったと思った。
 この後に、徳川夢声のことがポッと現れる。
   それから、寝についたが、わりあい静かな界隈で、荻窪の徳川夢声の家などに比
  べると、とにかく人間が眠りを営み得る条件を欠いているわけではなし、これだけ
  は有難いと思って、トロトロしかけると、忽ち起るサイレンの音で、跳ね起きてし
  まった。
 と続くのだが、この後、徳川夢声のことは一回も出てこない。ということは、獅子文郎は、自身が徳川夢声と、ごくごく親しいことを読者が知っていることを前提として文書を書いていることになる。
 しかも、その次の「粗妻のすすめ」と題する一文でも、のっけから徳川夢声の名が登場する。
   徳川夢声と私が、対談を頼まれて、こんな話をした。
   ヒジキと油揚げの煮たの、あれはウマイ。ウナギの頭と焼豆腐を煮た大阪の惣菜
  料理、あれは大変結構。エビのテンプラより、インギンやハスの精進揚げの方が、
  味が深くはないか。
 といった、美食家であり大食家でもあった獅子文六らしい話から始まるのだが、これが思わぬ展開となり“女房の品定め”となる。
 獅子文六再評価をうながした評伝、牧村健一郎『獅子文六の二つの昭和』(平成21年・朝日新聞出版刊)には当然、文六と夢声とのことにふれられている。小見出しは『「戦友」と徳川夢声』。
   戦争中、文六ともっとも親しく交際したのは
  徳川夢声だった。活動写真弁士出身の夢声は、
  トーキー出現後は新劇の俳優としても活動、そ
  のころ文六と知り合った。妻を亡くし、男手だ
  けで娘を育てた、という境遇も同じで、親近感
  があった。互いにずけずけと物言うタイプで、
  気が合い、文六の数少ない親友といえた。
  (中略)
   家を訪問しあって酒をくみ交わし、正月には
  秘蔵のブドウ酒をあけて痛飲した。夢声手製の
  密造ウイスキーを楽しんだこともあった。夢声
  は、「フランス仕込みの小言幸兵衛」の牡丹亭
  (文六のこと)が、局方アルコールを使った密
  造酒を、どういうか心配したが、すっかりいい
  気分でご帰還になり、ほっとしたと書いてい
  る。

「昭和の文豪 獅子文六、初の評伝」とされる牧村健一郎『獅子文六の二つの昭和』(平成21年・朝日新聞出版刊)。力作です。
   そうだった。獅子文六という作家のプロフィールを書くのを忘れていた。そう、文六は「フランス仕込み」なのです。
 獅子文六(本名・岩田豊雄)──1893年(明治26年)横浜生まれ。いわば山の手の子。しかも相当のヤンチャだったらしい。慶應義塾幼稚舎から普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進学するが、中退、1922年(大正11年)に渡仏、父の遺産を手にパリで演劇を学ぶ。
 この間、小学校長の娘フランス人のマリー・ショウミーと結婚、帰国後に長女誕生。その後、マリーは病死、次の妻も病死し、結局、三回妻を迎えることになる。
 1937年久保田万太郎、岸田國士と共に劇団・文学座を立ち上げ、以後、文学座の主柱となる。(演劇関係では本名の「岩田豊雄」名を用いる)

本名の岩田豊雄名による『雑感(劇について)』(昭和18年・道統社刊)の本表紙。装丁は?そうです、棟方志功。
 小説家として、すでに一部ふれたが、戦前の『悦ちゃん』『海軍』、戦後の『てんやわんや』『自由学校』『大番』『娘と私』『箱根山』ほか、随筆、評論の分野でも健筆をふるう。1969年文化勲章受章。この年死去。
 では文六の文章が「粋人粋筆」系か、と問われれば、「まさしく、その通り!」と答えるのは、ちょっとためらわれる。ユーモラスではあるが、その味はどちらかといえば苦(にが)い。町ッ子的な洒脱さはあるが軟派の道楽者というには理知的であり、背すじがシャンとしすぎている。皮肉屋的なところもある。エスプリあふれる小噺は語ることはあっても、きわどいエロ噺に興じるようなタイプではない。
 先の牧村健一郎の『獅子文六の二つの昭和』の中の夢声による文六(岩田豊雄)評を引用する。
     久保田万太郎の生活ぶりは、あぶなっかしい。子どもが電車通りで三輪車に乗っ
  ているのを見ているようだ。岸田國士は高架電車のようだ。岩田豊雄はその点、危
  なげは微塵もなく、地下鉄だ。
   無愛想で傲岸、生活も堅実で隙がなく、地に足が着いた、いやむしろ地中に潜っ
  たような盤石な暮らしぶり。
 ところで文六の随筆集『ちんちん電車』(昭和41年・朝日新聞社刊)が34年ぶりに文庫化された。(平成18年・河出書房新社刊)。 この本の巻頭は「なぜ都電が好きなのか」。引用します。
   私は、東京の乗物の中で、都電が一番好きである。いつ頃から、そんなことにな
  ったか、ハッキリ覚えていない。これ以前に、都電なんて、バカバカしくて、乗れ
  ないと思った時代があったことは、確かである。それが、いつか、逆になったので
  ある。
 次の一文「“ちんちん”の由来」
  (中略)
   とにかく、“チン、チン”の歴史は古く、この音を聞かなければ、電車に乗った
  ような気がしなかった。そこで、“ちんちん電車”という語ができた。童謡や絵本
  の中にも、使われた。
   「坊や、ちんちん電車、乗ろうね」
   と、お母さんがいった。もっとも、ママと呼ばれる時代の母親は、そんな語を知
  らぬかもしれない。
 と、“ちんちん”の由来が語られるのだが、それだけの話ではおさまらず、
   しかし、異説があって、“ちんちん電車”のチンチンは、──
 と話は、ちんちんと続いていく。
おやまあ、著者は別の2冊の『ちんちん電車』。2人ともフランスに縁が深い、というのも面白い。岩佐東一郎については次回で。
 そういえば、全く同じタイトルの本を、これまたフランス関係の人物が書いている(昭和30年・あまとりあ社刊)。この本のソデを平野威馬雄(詩人・フランス文学者・平野レミの父)が書いていて、
   この作者は、書き乍らチンチンしています。すべてがチンチンです。この人のあ
  とについて、行ってごらんなさい。(以下略)
 とある。カバーは満員電車の中、吊り革につかまる人々のマンガ風イラスト。サブタイトルが「風流読物集」。
 著者は、岩佐東一郎。仏文学者・堀口大学の弟子で、戦後の軟派系雑誌によく登場している。
 次回は、この岩佐東一郎他、仏文系の「粋人粋筆」をザッとおさらいして、別のジャンルに歩を進めたい。
(次回の更新は5月1日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●古代ローマの遺跡の町でステッキ店見っけ!●
 たまにはマトモなステッキも。
 これは、たしか、スペインの南西部、ローマ帝国以来の古い都市「メリダ」のステッキ店でみつけたもの。
 「メリット」という言葉がありますね、私たち日本人はなんとなく、「得する」とか「経済的な価値がある」と思っていますが、この「merit」、まずは、(その人の)長所、とりえ、(ほめられるべき)価値を意味するようです。
 古都・メリダはメリットと同意で「徳のあること」と、この町を歩いているときに案内人から聞いた憶えがあります。
 それと驚いたのはローマ時代の高い石橋の遺跡。この上に、ばかでかいコウノトリが巣を作っていて、しばらくずっとコウノトリの姿を見ていました。
 と、まあ、そんなスペインの古い町で入手した、このステッキ。なにやら、ボーンの彫刻されたヘッドも遺跡からの発掘品風デザイン。樹の下に鹿(?)がひそんでいる様子。
 面白味はないかもしれませんが(なにも、いつもステッキで笑いをとる必要もないので)町に持って歩いても恥ずかしくはない。それなりの格調もありますし。
 しかし、そういえば、このステッキで町を歩いた記憶がない。どうしてだろう?
ヘッドの部分はボーン(のようなプラスチック?)の材質。なにやら樹の下に鹿がかくれているような。古代もののレプリカ?


ヘッドの頭には、家紋が彫刻されている。何家かわかる人がいたら教えて下さい。


© Copyright Geijutsu Shinbunsha.All rights reserved.