「苦楽」ばなしをもう少しだけ。
この雑誌に関連して、ずうっと捜していた本がある。須貝正義著『大佛次郎と「苦楽」の時代』(紅書房・平成4年刊)。
もともとぼくの雑文は、自前の本や刷り物をネタにして書くのが主義なので(少なくとも、今までは)「苦楽」の編集長であり、肝いり役の大佛次郎の下で雑誌づくりを担った須貝正義による「苦楽」の記録本は、どうしても入手したかった。
しかし、この本に出合わない。古書展でも、目録でも見かけない。最近習いおぼえたインターネットでも「この商品はありません」。
雑誌「苦楽」のことにふれていながら、『大佛次郎と「苦楽」の時代』をチェックしないのは、なんともマズイでしょ。不本意ながら図書館のお世話になる。
創刊2号(昭和21年12月)の名作絵物語は木村荘八描く樋口一葉作「たけくらべ」。たしか似たような作品が「一葉記念館」にも。それにしても胸に来る光景ではないですか。
九段下の千代田図書館に問い合わせしたらナシ。ダメですねぇ、千代田区ともあろうものが。そうか、このテの本は下町かもね、とアタリをつけて台東区立中央図書館に電話をすると、ありました。
この浅草の図書館、浅草ビューホテルの裏にあって、池波正太郎記念館を擁している。しばらく前に一回だけ昼間のぞいたことがあるが、場所がいけない。浅草でしょう。どうしたって、どこかに立ち寄りたくなってしまう。
で、場外馬券売り場(WINS)の近くの居酒屋Kに寄り、昼間からチビチビ。そのあと昼下がりの浅草をプラプラ。伝法院通りの屋台的古時計屋のガラスのショーケースをのぞいたら、金ピカの古腕時計が目にとまってしまった。
どこかの温泉街のタクシーのおやじ運転手の腕で光っているようなシロモノ。いま、私がしているのが、その台東区中央図書館帰りの記念品だ。
まずい……浅草というと、つい文章までフラフラと寄り道したくなってしまう。──「苦楽」に戻る。
須貝正義、「苦楽」の雑誌づくりによほどの思いがあったようで、この『大佛次郎と「苦楽」の時代』と、もう一冊、やはり「苦楽」で出会った安藤鶴夫(もちろん、あの傑作『落語鑑賞』の連載で)に関連して『私説 安藤鶴夫伝』(論創社刊)を書き残している。こちらは比較的入手しやすい。
創刊6号目(昭和22年4月)に木村荘八再登場。またしても樋口一葉の作品。「にごりえ」。ガス燈、室内の影─明治の陰影。
さて雑誌「苦楽」だが、この雑誌の創刊号からの人気企画に「名作絵物語」がある。傑作小説のダイジェストに、人気画家が挿画を添える。
第一回は中川一政描く、夏目漱石作「坊ちゃん」。第二回は、これまたお値打ち、木村荘八画/樋口一葉作「たけくらべ」。第三回は文も画も洋物で、エミール・ゾラ作「女優ナナ」。挿画はシャス・ラボルド、ということだが、ぼくの知らぬ画家(とはいうものの、このタッチ、モーパッサンの『脂肪の塊』の挿画にそっくり、もしや……)。第四回は江崎孝坪描く、高山樗牛作「瀧口入道」。
と、創刊号から一冊一冊手に取ってチェックしているのだが、先の『大佛次郎と「苦楽」の時代』の中で、「名作絵物語」についてふれている。せっかく、浅草まで出かけて借りてきた本、引用する。
呼び物の〈名作絵物語〉は、名作として定評のある作品の文章をピックアップし
て、それに相応しい挿絵を八頁か十頁に収めたものである。画家が一流揃いで、紙
質も印刷も優秀(坂崎注・当時としては)なので、画家たちの間で話題になった。
直接先生に自薦のお手紙を頂いた方もいた。評判になった作品は──。
とあり、第五回以降では
中澤弘光画/高浜虚子作「風流懺法」、木村荘八画/樋口一葉作「にごりえ」、伊東深水画/広津柳浪作「今戸心中」、石井鶴三画/芥川龍之介作「羅生門」、木村荘八画/三遊亭円朝作「牡丹燈籠」、川端龍子画/泉鏡花作「高野聖」、田辺至画/夏目漱石作「三四郎」、鏑木清方画/尾崎紅葉作「金色夜叉」、中村丘陵画/谷崎潤一郎作「お艶殺し」(以下略)といった組み合わせが紹介される。
以上の他に画家としては、山下新太郎、小穴隆一、和田三造、佐藤敬、有島生馬、小磯良平、中村貞以、小杉放庵、吉村忠夫、といった洋画家・日本画家を起用しての、なんとも豪華な企画。
中でも登場回数が一番多いのが、木村荘八で、荘八にぞっこんのぼくなど、これをまとめて木村荘八による「苦楽・名作絵物語」といった小冊子を作りたくなるくらい。
昭和22年6月号の石井鶴三描く芥川龍之介作『羅生門』。石井鶴三はもと彫刻家。吉川英治の『宮本武蔵』で大人気を博した。
昭和22年12月号。鏑木清方は毎号の表紙の他に、ついにこの頁にも登場!(全8ページ)尾崎紅葉作『金色夜叉』。
特集企画といえば──これを忘れてはいけない。それこそ、戦後の「色ものページ」の先達となるようなページづくりが「苦楽」に登場する。
このことも、もちろん須貝本でふれられる。題して「[ 色頁は機智の花盛り」。
本文から引用させていただく。
編集会議で「色頁」のプランがでた。若い連中の空気も取り入れたいという先生
(坂崎注・もちろん大佛次郎)の気持ちもあった。これは以前、編集長・水谷準の
「新青年」で評判の〈千夜一夜〉〈阿呆宮〉にみられる風刺小咄や「モダン日本」
の舶来艶笑コント、おしゃれページ、芸界ゴシップ等の〈イエロー頁〉から、何か
が出てこないか──ということだった。
という企画なのだが、この企画・執筆陣が、もう恐ろしいほどスゴイ。
とりあえず特集タイトルと構成者の名前を挙げておこう。驚きますよ。
創刊4号(昭和22年2月)の色頁。全体の構成(16ページ)は漫画家・横山隆一。下の絵は清水崑。横山隆一は見開きで「現在鎌倉文人三十三ヶ所お札所」と題して、鎌倉文士分布図を描いている。
昭和22年4月号の色頁「寄席くらく亭」。構成は久保田万太郎。40名近い寄稿者の中に、当時の人気落語家はもちろん、奥野信太郎、辰野隆、吉井勇、そして志賀直哉の名も。
「クラック・ヴァライティ」 構成・水谷準
「苦楽珍聞」 構成・横山隆一
「苦楽亭」 構成・久保田万太郎
「新訳世界文芸体系」 監修・浅井倉夫
「苦楽館ビル」 構成・永井龍男
「懐かしの巴里祭」 構成・辰野隆/鈴木信太郎/渡辺一夫
「すみだ川」 構成・久保田万太郎
「憧れの碧琉璃海岸へ」 構成・猪熊弦一郎/佐藤敬/荻須高徳
「京の春」 構成・吉井勇
「日本古典阿呆文庫」 構成・浅井倉夫
「クラック職業紹介所」 構成・土岐雄三
「食へば愉し」 構成・古川緑波
「幸運の手紙」 構成・高田保
「世界の酒」 構成・獅子文六
といったラインナップ。この中で(?)と思う名前は「浅井倉夫」ではないでしょうか。じつはこの名、当時「アサヒグラフ」の編集長・伴俊彦と副編集長・飯沢匡(伊沢紀)の隠れペンネーム。強力な助っ人が「苦楽」の色ページに馳せ参じたわけだ。浅井倉夫はアサイ・クラフと読める。
その他のライター陣としては、小野佐世保、渡辺紳一郎、福原麟太郎、秦豊吉(丸木砂土)、長谷川伸、岩佐東一郎、近藤日出造、正岡容、宮尾しげを、石黒敬七、宮田重雄、新居格、奥野信太郎、鶯亭金升、渋澤秀雄、徳川夢声、花柳章太郎、東郷青児といった面々。
昭和22年9月号の色頁「苦楽館ビル」。構成が永井龍男というのだからオドロキ。本文に丸木砂土(秦豊吉)、徳川夢声、高田保の名が。
昭和22年11月号の色頁は久保田万太郎構成による「すみだ川」。描くはもちろん木村荘八。本文に石川淳、安藤鶴夫、鏑木清方、高見順のコラムが。
各号の詳細にふれてゆくスペースはないので、その一部を本文から転載、紹介します。文字どおり多士済々、しかも、中に谷崎潤一郎、石川淳、志賀直哉、そして川端康成までの名が……。
これはもちろん、影の編集長・大佛次郎の力もあってのことだろうが、とにかく「苦楽」、戦後すぐに、こんな雑誌があったのでした。
そして、ここに登場する粋人粋筆系の人々は、その後、戦後日本の笑いとユーモア、あるいは機智や諷刺を発信しつづけることとなるのです。
とりあえず「苦楽」に関してはこの辺で。さて次回……は。
(次回は12月15日更新の予定)
●シゲモリ先生の高弟・鶯啼亭捨月によるステッキコレクションの一端を次回から毎回紹介します。題して「ステッキ毎日─The Daily Walking Stick News」。
〈今回はその予告として〉
ボジョレヌーボーはもうお飲みになりました?
ということでヘッド(柄)が葡萄の葉と実がデザインされたステッキ。
オランダの古都・ライデンの駅近くのステッキ店で出合ったものです。
ワイン愛好家向けにピッタリ。
店頭で手にしたときは、ガラスでできたものかと思いましたが、考えてみればガラスでは倒れたりしたら、すぐ割れてしまう。精巧なプラスチックによる作品でした。
光を通すと、葡萄の実の微妙な色が美しい。
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。
全368ページ、挿画満載の
『「絵のある」岩波文庫への招待』
(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
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