ところが岩田専太郎、売れっ子となって、収入が多くなると、遊びぐせも勢いを増す。と、いっても若き日の岩田の女遊びには一つのスタイルがある。自らルールを課している。本人の弁を聞こう。
私だって、人並みに助平だから、惚れる以上は一緒に寝ることを希望しないはず
はないのだが、やたら寝てしまうと、せっかく惚れたのが極めて当たり前の哺乳類
同士のつき合いになり終わるのが惜しかった。(中略)若いときだから夢を大切に
したかったのだろう。
「女人遍歴50年の大粋人(わけしり)がウンチクを傾け哀歓をこめて語る人生の色模様」(『女・おんな・女』のカバーコピーより)
『わが半生の記』の巻頭カラー口絵の作品。岩田の描く女人のモデルは夜の銀座系。
そんな岩田が四十代の頃ともなると、かなりの強者(つわもの)に“成長”する。岩田の女人エッセー、『女・おんな・女』(昭和41年講談社刊)には、
「肌好き」と「女好き」という言葉を、そのとき教えられた。教えたのは、ある
料亭の女中頭をしている中年の女性だった。女の肌を追っている遊びは、年とって
衰える時がくると自然に止むものだが、女好きの遊びは止む時が来ない、というこ
とだった。
で、「僕はどっちだろう?」とたずねるが、彼女から「ご自分で、よく考えてごらんなさい」といなされる。
遊んでいながら、スキャンダル一ツないのは、たしかに、
が、女の姿に寝たい欲望を感じないのは、たしかだった。
『わが半生の記』の中でも
絵かきだから、女の裸体を多く見てきたが、ほんとうにきれいな裸を見たこと
は、ほとんどない。きれいに見えるのは、光線の具合にごまかされているときか、
哺乳類的欲望の作用で眼がくらんでいるときだけだった。
と述懐する。
典型的な岩田専太郎の描線と、白と黒のバランス。たしかに和製ビアズレーと言われる理由も。
エッセー集『女・おんな・女』の本文から。「解ったようで解らない女性の本能を見つめようとしていると、怖くなる」とある章の挿画。
「女の人のために銀座へ店を買ったことが三度もある」(『女・おんな・女』「なしの由来」)という岩田だが、彼の描いた女性像を見ると、どれも文句なしの華麗なる美人は美人ではあるが、どこか冷たく、人形めいている。「昭和の浮世絵師」、「日本のビアズレー」ともいわれ、極めつきの技術を有する岩田の作品なのに……。それは彼の生来の女性への生理感覚なのかもしれない。
付き合っている女性のタイプがすぐ作品に出るといわれた岩田専太郎といえば……思い出した。あれは、ぼくが30になるかならぬかの頃、出版社のお偉いさんに銀座のクラブに連れていってもらったことがある。そのとき「ここのママは岩田専太郎の彼女だよ」と耳打ちされた。
なるほど、彼女は、その体型、顔かたち、あるいはアイシャドウのメイクまで、そのころ見ていた彼の描く女性にそっくり!と納得したことがある。
『挿画の描き方』中の参考図版。描かれた女人は、もちろん岩田専太郎ご本人の好みのタイプ。解説では「この老人はなくても差支ないのではないかと思ひます」とコメントしている。
こちらは『わが半生の記』で紹介される松本清張作『かげろう絵図』の挿画。今様浮世絵の雰囲気。ところで余談だが、作家・松本清張が達者な絵を描くのはご存知でしょうか。下の図版をご覧ください。
これぞ文藝春秋『漫画読本』1964年10月号掲載の松本清張のイラストルポ。切手も自分の顔にしたりして、オチャメな清張さん!信じられない!
川口松太郎『忘れ得ぬ人忘れ得ぬこと』(昭和58年・講談社刊)は川口の文壇・演劇界の人々との交遊録だが(すでに1回目で紹介)、この本の「あとがき」は岩田専太郎への追悼でつづられる。
すぎた日を思い返して胸の痛いのは岩田専太郎の死である。生涯を同じように生
きて来て悲喜こもごも、苦しい事も嬉しいことも分け合って来た相手だけに、先立
たれた淋しさはいいようもない。
○
岩田専太郎、明治34年東京・浅草生まれ、小学校卒業後京都に移住、友禅図案家、版下画家の修業をする。大正8年伊東深水に師事。挿し絵画家となる。吉川英治『鳴門秘帖』、大佛次郎『赤穂浪士』、三上於菟吉『雪之丞変化』、川口松太郎『蛇姫様』『獅子丸一平』などで挿画界の第一人者に。
自著の『わが半生の記』や『女・おんな・女』でつづられる若き日の岩田のイタ・セクスアリスと後の夜の銀座の女人遍歴を今日読めば、すでに失われた遊享世界の一代記として実に興味ぶかい。いわば「好色・銀座一代男」。
○
ところで「岩田専太郎のコレクション金土日館」の存在をご存知でしょうか。2年前の平成21年4月オープンとのこと、ぼくも今回初めて知って行ってきました。場所は千駄木、団子坂を登って、もと森鴎外宅「観潮楼」の少し左を右に曲がってすぐ左、館名どおり金土日のみ開館。
ぼくの行った日は金曜の閉館少し前の時間でしたが、入場者はぼく一人。個人のマンションの豪華な居間のようなおちついた空間で、資料ビデオを見たり、彩色の(画家自身と関わりのあった?)女性像、また戦後の新聞連載、川口松太郎作「獅子丸一平」の挿画原稿などをゆっくり鑑賞することができました。
小ぶりで、ありがたい資料館です。
《この項、次回に続く。次回は12月1日更新です。》
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。
全368ページ、挿画満載の
『「絵のある」岩波文庫への招待』
(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
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