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外山滋比古 人間距離の美学
坂崎重盛 粋人粋筆探訪
もぐら庵の一期一印
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛


 
 
 辰野隆、高橋義孝、奥野信太郎らと並ぶ、粋人系の名物教授として思い出されるのは、やはりこの人、慶應大学の池田弥三郎先生。
 国文学者、民俗学者の折口信夫(釈迢空)の愛弟子であり、NHKの「私だけが知っている」のレギュラーとして、一般の人にも顔を知られた人気のタレント教授。
 いかにも東京下町育ちふうの、スッキリした面立ちの、この名物教授、生家がかつての銀座のてんぷら屋「天金」としても知られている。
自著『日本橋私記』の口絵は池田弥三郎近影(といっても昭和40年代中頃か)。いかにも東京の下町っ子という風姿。   宮尾しげを描く戦後の銀座風景。池田弥三郎『銀座十二章』(昭和40年・朝日新聞社刊)の口絵より。
 そうか、銀座「天金」か、となると……と1冊の本を書棚から引き出した。松崎天民『銀座』(平成4年・中公文庫)。
 この本、親本は昭和2年・銀ぶらガイド社から刊行されていて、巻末に、いわゆるPRページ「銀ぶらガイド」が付されている。この広告ページが、文庫版にも再録されているのがありがたい(78ページのボリューム)。
 ひょっとして「天金」も広告を出しているのでは?と手にした次第。やっぱり、ありました!
 コピーに
   東京人は天ぷらを好んで食す。銀座の天金として昔しよりそのうまさは人口に膾
  炙せり。味の銀ぶらガイドとして第一番に推奨する処この天金なりとす(以下略)
 などとある。
 本文中にも登場する。「三六 未来派の絵」の項
   天金の前で、久し振りに生田葵山君に逢った。「永井荷風君が、タイガーにいな
  かったえ」と、十時過ぎの銀ブラである。
 「天金」が当時の銀座で知らぬ人なき有名店であったことがうかがえる。その「天金」の息子(次男坊)というのだから、町っ子として申し分ない出身といえる。粋人としての資格十二分の家柄。

三月書房の函入文庫シリーズの1冊『わたしのいるわたし』(昭和48年刊)。このシリーズには戸板康二、奥野信太郎、安藤鶴夫らの粋筆本も。
 その池田弥三郎の粋筆を見てみよう。ことさら意識もしていなかったはずなのに、本棚をざっとチェックしただけで、著書がゾロゾロと出てくる。
 うーむ、前回取り上げたばかりの奥野信太郎の思い出があるではないですか。「奥野信太郎さんの一面」と題する文。(『わたしのいるわたし』(昭和48年・三月書房刊))
   奥野先生のことで、思い出すことはたくさん
  あるが、おそらくあまりほかの人は書かないだ
  ろうと思うことを書いておきたい。
 とあり、戦後5年とたっていなかったころの話。池田は奥野から横須賀にある「清泉」に国文学担当の講師の声をかけられる。「週に一度、横須賀線に乗っていくのも、気が変って、なかなかいいものですよ」と奥野からいわれたということだ。
   師の折口信夫にも相談、賛成されたのですぐに承諾すると「奥野先生はよろこんで、同じ日だといいな、帰りが楽しいし、などと言われた」のに……
   しかし、そのことについては、その後、何の話もでなかった。(中略)だめでも
  なければ、こうでもない。白紙に戻ったのかどうかさえ、ともかく、一口も先生は
  そのことについては言わなかった。
 という。すごいなぁ、こういう奥野信太郎先生。池田は、このことがあって、奥野のことを「ケロリの男」とひそかに呼ぶことにする。「ケロッ」としているからだろう。そういえば奥野の顔は、目玉がクリッとしていて、ちょっとトボケた蛙のようなカンジもある。
 ま、奥野信太郎のことはこのくらいで切り上げて、池田弥三郎の粋筆系の本をのぞいてみよう。
講談社の新書版、ミリオン・ブックスから刊行の池田弥三郎『はだか源氏』(昭和34年刊)と『はだか風土記』(昭和32年刊)。題字は書家・飯島春敬による。
 よく町の古本屋さんで見かけたのが『はだか源氏』(昭和34年刊)や『はだか風土記』(昭和32年刊)。いずれも新書判のサイズで講談社・ミリオン・ブックスから。タイトルは筆字の書き文字で妙に達筆(と、いっても、ぼくの好みの字ではない)。クレジットを見ると、なるほど仮名文字の第一人者、書家の飯島春敬でした。
 『はだか源氏』の方は、源氏物語の一般向け入門書。源氏物語を「ただ源氏をはだかにしてみようとした」という趣向の1冊。
 ところで、ぼくの手にしているこの1冊、見返しに「英子さんにさしあげます 池田弥三郎」のサインが……。
 (この「英子さん」、生徒や編集者じゃないだろうな。姓をはずして名前だけ。バーかクラブの女性では?)などと、気になったりして。
 そんなことはともかく、もう1冊の『はだか風土記』、こちらの方が内容はぐんと、男と女の民俗学ふう。民謡にかかわる項では、かなりキワドイ春歌もどきも紹介される。

『はだか源氏』に著者の献辞が。素直で美しい筆跡ですね。
     ゆうべしてみて 今朝まだ痛い。二度とさせまい 腕枕
   いれてくじれば 細目をなさる。ぞろと引出す 耳の垢
   してもしたがる あの後家さんは。又もしました 寺参り
 これらは「途中まで、ハラハラさせながら、連想だけで心配させて、おしまいに、スルリと逃げるスリルである。小歌の技巧の常とう手段である」と解説する。
 それはいいとしても、この文の最後に
   門口で 医者と 親子と 待っている
 が紹介され、この川柳、「甲子夜話にある」とのことだが、この破礼句の意は、ちょっとここでは説明しにくい。浮世絵の中にも、この図柄もあることはあるのですが……これもまた、人前では大ぴらには見られないシロモノですし。
 ま、しかし、世の中、男と女しかいないし(もちろん、その中間的存在もありますが)その男と女が、なすべきことをなさなくては人類の歴史は断えてしまうわけです。
 この行為に、えもいわれぬ甘美な快感を添えたのは、賢くも畏しこき神の采配でしょうか。
 民俗学が性と生のオマツリに深く関わるのは当然のこと。
 春歌や破礼句ほど露骨ではない艶歌、粋歌も紹介される。有名な
   三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい
 に関連して中世・近世の歌謡を集めた『松の葉』に収められている
   長崎のとりは 時知らぬ鳥で 真夜中に歌うて歌うて 君を戻す
 という、時差ボケして鳴いてしまった鳥のために、もうすぐ夜が明けると思って愛しい男が帰ってしまった、という恨みごとの歌。
 また、女性の持ちものの項で
   早乙女のまたぐらを。鳩がにらんだとな。にらんだも道理かや。またに豆をはさ
  んだとな。
 という江戸時代の民謡集『山家鳥虫歌』にある歌を紹介している。「鳩が豆鉄砲を喰ったような」とか「ぽっぽっぽ鳩ぽっぽ 豆がほしいか、そらやるぞ。」とか、鳩と豆とは縁が深いようですが、いにしえの俗謡で歌われている豆には、別の意味もあるようです。
 それはさておき、著者が引用したエロティックな歌が収録されていた『松の葉』そして『山家鳥虫歌』、じつは、いずれも岩波文庫として刊行されていて、ぼくも持っている。一見、お堅そうな岩波文庫でも“古典歌謡”となれば粋歌も、アリということなのでしょう。
 そうだったのか、この2冊、今回は時間がなかったけど、一度きちんとチェックしてみなければ。
 と、かなりお色気度の濃い『はだか風土記』なのだが、ぼくの知るかぎり池田弥三郎の著作の中で、この類の本は珍しいのでは。
『わが町 銀座』(昭和53年・サンケイ出版刊)。カバー、口絵挿画は東京の情景を細密に描いて人気の酒井不二雄。   『銀座十二章』(昭和40年・朝日新聞社刊)。見返しに明治44年の銀座周辺地図と電車案内図。口絵、本文挿画は宮尾しげを。 『日本橋私記』(昭和47年・東京美術刊)。函の絵は広重「日本橋雪晴」。
 彼の本領(?)は、自らの育った東京の、こしかたや忘れ得ぬ人々を語ること。今回、この稿のためにあれこれひっくり返したら『わが町 銀座』(昭和53年・サンケイ出版刊)、『銀座十二章』(昭和40年・朝日新聞社刊)、『日本橋私記』(昭和47年・東京美術刊)といった著作が出てきた。
 中でも『銀座十二章』は文中、宮尾しげをの挿画が添えられているのが、ありがたい。宮尾しげをもまた、民俗学に造詣深い文人漫画家でした。
 そして、これは忘れてはいけない1冊。『私の食物誌』(昭和55年・新潮文庫刊)。これがすごい。1月1日から12月31日までの1日1話で365日、池田弥三郎ならではの食べ物語。

戸板康二『あの人この人』(平成5年・文藝春秋刊)。装丁はもちろん田村義也。戸板には、この他に『ちょっといい話』のシリーズがあり、文士の、とっておきのエピソードが語られている。
 少しだけ紹介したい。2月10日「ふぐ」の項。
   だれが言ったのか、
    ふぐは食いたし、いのちは惜しし
  などという文句も聞かされていて、自然敬遠して
  いたが、折口信夫先生が、
   あほらし。どうせみんななしくずしに、たべ物
  にあたって死んでいくのさと言われたので、それ
  以来悟りをひらいて、まったく平気になった。
 もう1話だけ。「すし通」の項。
   すしの食べ方や、順序などについて、江戸っ子
  のたべ方はどうかなどと聞かれることがあるが、
  そういう「通」ぶったことは知らないのが江戸っ
  子だろう。江戸っ子の本筋は、「野暮」である。
  たべやすいようにつまみ、たべたいものを食べる
  のが、一番である。たべる順序だって、何も「ひ
  かりもの」から、などといういき方にする
  ことはない。
   いいですねぇ。──江戸っ子の本筋は、「野暮」である──とは。こういう小粋なことは、中途半端な「」には言えることではありません。
(次回の更新は8月1日の予定です。)
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』および弊社より刊行の『「絵のある」岩波文庫への招待』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。

全368ページ、挿画満載の『「絵のある」岩波文庫への招待』(2011年2月刊)は現在四刷となりました。ご愛読ありがとうございます。
ステッキ毎日
●「龍頭蛇尾」でもいいじゃないですか●
 前回もドラゴン・ヘッド。ドラゴン物は、まだまだあるぞ、ゾロゾロ揃えてご紹介しようか、と思っていたのですが、撮影ズミのチェックすべきデータが、なぜか見当たらない。
 イラついて、ちょっとさがしてみたが、ない。いいよ、別にドラゴンじゃなくったって。
 そういえば「龍頭蛇尾」という言葉もあった。そうか、そうか、この際、龍ではなく蛇でいこう。
 これがまあ、見ていただければ、ご納得いただけると思うが、どうにも、大変なデザイン。蛇は蛇でも、コブラですよね。杖にからまる毒蛇。これもまた魔除けの一種なのでしょうね。
 毒をもって毒を制す、蛇をもって蛇を制す。
 これはタイで入手したもの。細工はなかなか精巧です。しかし、軸は太目だし、それにからみつくのがコブラだし。
 もちろん、これを手に街を歩いたことはありません。ちょっと、その勇気はない。と、いうわけで鬼門にカマ首を向けるように、部屋の片隅に安置しているのです。
コブラ・ステッキの全体像。ヘビ嫌いにはムリなステッキ。
 
ヘッドの部分から軸にかけて、蛇腹がからみつく


うおーっ!コブラの頭部に赤目が光る!
蛇尾です
蛇腹の部分。リアルですねぇ。キモ美しい!?

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