佐々木:ピカソは、様式なんかくそくらえと言っている。
横尾:そうでしょう。
佐々木:絵肌で留まっていたら、あんなに大きくならなかった。
横尾:青の時代の延長で終わったでしょうね。
佐々木:ところがバルチュスの絵肌は、下塗りから10層ぐらいあるから、ものすごく手間がかかる。ぼくの絵の描き方もそう。ぼくは、絵肌は1品制作に残された最後の砦だと思っている。美術評論家の林紀一郎さんが言っていた。「いい絵とはものがぽんと1つだけある絵だ」と。例えばリンゴがたったひとつとか。でも横尾忠則の絵はりんごひとつで勝負できない。
横尾:ぼくのは記号としてのりんごだね。だけどね、何を描くかということと同時にいかに描くかということは重視するよ。いかに描くかというのは何も絵の具を積み重ねていくことだけじゃない。さらっと平面的に描く。それもいかに描くかということなんだよね。ポップアーティストのウエッェルマンにしても、平面的でぺたっとしているでしょ。そういう単一的な表面もぼくは絵肌と考えている。
佐々木:あなたの作品は、過去の名作などがモチーフになるんだけど、目の前のこのコップがモチーフになることはない。今度の南天子画廊の新作にしても、過去の絵がモチーフになるんだよね。
横尾:今回は、昔のスタイルを表現や技術を変えて描いている。地肌の話も面白いんだけど、特にメディウムで薄く溶いたものを塗り重ねた作品に興味があるんですよ。 |