高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
はじめまして岡村桂三郎です。
その21−「どうやって」メシを食うかということより、「何のために」メシを食うかということなのだ
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  それぞれ岡村先生のコメントもついています。
 今年は例年と比べて、なんだか暖かいですね。山形の市内も雪は降ったようですが、根雪になるところまではいきません。先日、斉藤典彦さんが芸工大に来ていたので、一緒にちょっと蔵王の方へ出かけて来たのですが、地蔵岳の山頂では、そろそろ樹氷が出来ていました。今年も冬が、とうとう来たようです。
 大学の授業が10月に始まり、大学院の授業(日本画原論)で松尾鉱山の方へ旅行に行ったり、稲刈りや脱穀、目展への出品(これから京都展が開催されます)、それ以外のいくつかの展覧会の搬入、AO入試や自己推薦入試、なんだかんだと慌ただしく過ごしていました。何しろ大学の仕事がめくるめくように有って、忙しすぎる。そして、そのもともとの原因の一つは、少子化社会と造り過ぎてしまっている大学の数なのだと思うと、今僕はまさに、社会の不自然な歪みに翻弄されているのです。もういい加減!うんざりです。

 でも、この大学の先生をやらしてもらっていることには、正直感謝しています。今のところ辞めたくはないですね。もちろん給料ももらっていて、日々の生活費のためにも感謝ですが、それよりも、若い子たちと触れ合うことができて、ウレシイ。いやいや、それは当然エッチな考えで言ってるのではありませんよ、近頃の若者は素晴らしいのです。いや本当に。
 少なくとも僕の周辺にいる学生たちは本当に素晴らしいなと、いつも感心しています。「どうしてこの子たちはこんなに良い子たちなのだろう?」とつくづく教えられることも多いのです。
 と、こんなことを書いていると、たった今、トントンとドアを叩く音がして、「はーい」と答えると、ドアのところに学生がいて、「センセー、もう、お昼たべました?今日の定食、カキフライでしたよ。」「えっ!じゃ、行ってみる!サンキュー!!」僕の好物が牡蠣であることを知っていた学生が、わざわざ教えに来てくれたのでした。ありがとう。僕が慌てて学食に到着した時には、目指すカキフライ定食はすでに売り切れになっていました。「な〜んだ…。」と、心の中で呟きながら、しょうがないので別の定食を食べてきました。でも…、その定食も、けっこーウマかった。
 このあいだも、僕の研究室のドアをトントンと叩く音がして、「はーい」と、ドアを開けて出てみると、また別の学生が来ていて、「センセー、これ落ちてたんですけど…。」と、はだかの千円札をペラッと見せてくれました。「えっ、どこに?」「あそこのベンツのとこに。私、ぜったい、あの車の持ち主が落としたんだと思います。」「おお…そーか、じゃ、あの先生のかもな…。わかった、聞いてみるよ。…サンキュー。」てな感じで、その千円札は、やっぱりその先生が落としてたものでした。別にどうという話ではありませんが、なんとなくホッとする出来事でした。
 うちの日本画の学生はだいたいこういう感じです。全国から集まってくる、多くは都市部の出身者なのですが、素朴で優しい子が多い。それでいて自分の作品と真剣に向き合っている。と言うことは、自分自身に向き合っている。それによって生み出された作品も、その作品の中に、骨が一本通っているような気がして、なかなか佳いのです。
 先日まで大学院1年のレビューというのが行われていて、論文発表や作品展示、そして、それぞれの論文や作品への質疑応答などが2週間に渡って行われていました。自分の作品について、なぜこのような作品を制作するに至ったのか、作者それぞれの思いを話してくれました。ある体験の中で見つめた風景のこと、食のこと、言葉のこと、夜について、存在することの不安・・・。特に美術系の子の発表では、自分の内側を覗き込むような内容の話が多かったように思いました。学生たちの発表する言葉の端々からは、誠実に自分自身に向き合っていることが感じられ、「なんだ、あいつ、そんなコト考えてたのか・・。」と、僕は、いちいち感心してしまうのでした。
 学生だった頃の僕よりも、こいつらは遥かに大人で絵がうまい。

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