高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
その12 会議中に、涅槃に入る、達人になりたい。
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 この前はMETA展の話をしていたと思ったのですが、
・・・いや〜、あっという間でした。気が付けば、サクランボの季節も終わり、7月も終わろうとしているではありませんか。(この文章を書いてるうちに、8月になってしまった。)遅くなってしまって、どうもすみません。
 こうやって、「ひとりごと」を書いている時は、なんでまたこんな長い間、書けなかったんだろ?と、いつも反省するんですけど、作家活動と、学校の先生と、大学の入試部長と、農業(?)と、それからそれ以外のいろいろな日常生活を営んでいると、なんだかモノスゴク忙しくて・・・・・。

画像提供「自然王国コスタリカ
 その上さらに、チョットでも時間があったらゴロゴロしていたいという願望で、頭の中を常にいっぱいに膨らませている、一言でいうと「ナマケモノ」というか「ズボラ」というか、まぁ〜、なんというか、僕はそういう種類の人間でして・・・。楽しそうな事だったら、どんどんやれてしまうのに、大事そうなのに、メンドクサソーに感じることは、困った事に、あれよあれよと忘れていってしまうのです。


 僕が最も感じている、メンドクサソーな事は、まずは何と言っても整理整頓。特にアトリエの掃除です。これっていったい、どうしたらよいのでしょうか?いや〜、本当に苦手ですね。
 掃除をやろうとすると、「エーと、まずは絵皿を、あっちにやって、でも、その前に、あの椅子をこっちにやらないといけないんだけど、あれはエーと、ああなってるし、・・・・、でも・・。」という具合に、まだ何も始まらないうちに、どうしたら良いのか考え込んでしまい、どういうわけか、頭の中が ボーッとしてきて、そのうち別の用事を思い出して、気が付くと、別の事をしてしまっている私がいるのです。時には、掃除をしていたはずの自分が、どうしてそんな所に行ってしまったのか、理由はそれなりにちゃんと有るのですけど、車で30分も走った先のホームセンターで、うろうろと工具のコーナーなどを物色している自分に、ハタと気付いて慌てたりするのです。
 普通にしていれば、フランシス・ベーコンのアトリエのぐらいの物を作り上げることくらいは、僕にだって自信があります。しかし、日本画の材料を使用しているから、そういう訳にもいかず、遅々として進まぬ掃除を時にはやらねばならず。作品を描き始めれば速いのに、アトリエの掃除に1月もかかってしまい・・・・、辛い定めを負っているのです。・・・・トホホ。
 




 大学の仕事の中で、大事そうでツライのは、書類の作成ですね。
 大学の仕事をしていると、どうしてなのか?どうしても、これを書かなくてはいけないのです。しかし、僕のような、アーティスト(?)が本来の絵画作品制作の為に空けておいた時間を割いて、一生懸命書いた力作の書類が、どれほどの意味があるのか・・。事務的に目を通されて、「ハイ終わり。」というのでは、あまりにも虚しい。・・・ムナシ過ぎる!!
 一人の作家の表現活動の中で、無い知恵を絞り出し、書類作成という、むくわれぬ表現行為を、人知れず行っているアーティスト達。そんなカワイソウナ芸術家の為に、今後日本社会では、それらを、もっと評価していくべきなのではないだろうか。「日本書類大賞の芸術部門の努力賞」とか、世の中には、そういったものは無いものなのだろうか!!などと虚しく妄想するばかりなのです。
 「ひとりごと」を書こうとする時も、これから作成しなければならない書類が、僕の前に、山のように、いくつも立ちはだかるのです。そしていつも僕は、書類山脈の踏破の途中で力尽き、「ひとりごと」のところまでたどり着けないでいるのです。
 
 更に困ったことに、このところ、学校へ行くと会議や打ち合せが、ほんとに多くなりました。
 まるで、会議をする為に学校へ行っているのでは?と、いうような気にもなってきます。「会議なんかするより、もっと大切なことが、いっぱい有ると思うんだけど。」と言ってみても、誰も本気で相手にしてくれません。大事そうで、苦手で、辛さの極みは、やっぱり会議ですよね〜ッ!
 つい最近、雑誌を読んでいたら、山折哲雄さん(宗教学者)がインタビューに答えて「勤めていた頃、私は退屈な会議の時間を、“涅槃の時間”
 
と呼んでいました。涅槃は仏教における理想の境地。・・・以下省略。」(サライ、2005/8/4号、P.14)なんてことを言っていました。
 な〜んだそ〜なんだ、こんな偉い学者でも、会議中に涅槃に入っちゃうんだ!我と我が身をかえりみると、「オオッ!そうだ!僕なんか、まだ境地には達していないけど、会議中は窓の外の美しい風景を楽しみ、会議の資料のはしっこにスケッチをし、瞑想の世界に遊んでいるんだゾ!!」なんだか、少しずつ自信が回復してきた。僕の進むべき道が見えて来た!
「いつの日か僕も、会議中に、涅槃の境地に達せられるほどの達人になりたい。」そう思う、今日この頃だったのだ。
 
 
  *注:フランシス・ベーコン
1909年イギリスのダブリンに生まれる。 1926-1927年ベルリン、パリですごし、家具デザイン、室内装飾を手がけたが、1929年からロンドンで絵画を始める。写真や複製を参照しながら極度に変形された奇怪な人間像を、動きのある筆触を生かした暗鬱な色彩と重厚なマティエールによって表現する。室内の人物を主題とするトリプティック(triptych(英)、三連画)を手がけることも多く、色彩は次第に明るさを増している。現代のイギリス美術界を代表する画家。(新潮「世界美術辞典」より抜粋)
 
 

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