高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
はじめまして岡村桂三郎です。
その22−母の愛は、ありがたい。
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  それぞれ岡村先生のコメントもついています。
 またまた、長い間あけてしまいました、すみません。気が付けば、もう、ゴールデンウィークもとっくに終わってしまいました。そろそろ田植えの準備も始めないと、いけないじゃありませんか。
 いやいや、この間いろいろありまして、ホントに大変でした。僕の、このところの日常は、ほとんど学校の仕事で忙殺されてしまっていて。そして、それもどんどんと状況が悪くなってきて。いざ制作に入っても、もう本当に限られた時間しか残っていない。体力的にもギリギリのところでやっている、というのが現状なのです。その上この冬は、個展以外にも横須賀美術館で開催される、「生きる」というテーマの美術館オープン展のために、大作を描いていたり。それ以外にも「賛美小舍」上田コレクションの展覧会が、練馬区立美術館で開かれたり。と、とんでもないことになっていたのですが…。僕も、ちょっと、体力の限界というものの存在に、負けそうになっていました。
 そして先日、ようやく横須賀美術館の展覧会もオープンしました。僕は、ようやく少しホッとして、真新しい美術館に展示された自分の作品を眺めながら、 「これは、もしかしたら、奇跡かもしれない…。」と、しみじみ思いました。
 それには例えば、コバヤシ画廊の小林さんのように、僕のことを、いつも支えてくれている、たくさんの人たちが、回りに居てくれていることに、やっぱりつくづく感謝しなければなりませんね。それから、あれですよ、やっぱり、いつも僕を支えてくれている「うちのカミさん」にも、ちょっとは、お礼を言っとかないとね。
 さてさて、うちのカミさんといえば、近ごろ特に感じるのは、歳とともに、だんだん「おかあさん」になってきてしまった、ということですねぇ〜。学生のころ、普通の女の子(?)だった彼女が、いつの間に、こんなにも母親らしくなってしまったんだろうか?
 毎朝、必ず4時半には起きて、台所から、トントントンとまな板の音がしている。やがて、6時半ごろになると、子供の部屋の方から、「おきなさ〜い!きょうは、イチゴがあるわよ〜!」と、やさしい声が聞こえてくる。けれども、しだいに、「オイッ!オキロッ!!」と、いうふうに、なんだかドスの利いた声に変わり、最後には、「もう、知らないよ!勝手にしなさい!!」と、怒鳴り声に変わっていくのです。
 続いて、春眠をむさぼり、至福の時を過ごしている、僕の寝床の方に、トコトコとだんだん近づいてくる足音がして、「おとうさん!寝てないで、起きてよ〜!あたし一人で、たいへんなんだから!たのむよ〜!あたしじゃ、起きないよ!!」「お・・っ?ふぇ〜・・・・、 起コスノ〜?・・・」と、僕も、とうとう、朝ネボーの誘惑をあきらめて、幸福なフトンの中の世界と、しかたなくお別れするのです。

「・・メンドクサイナ〜・・」と思いつつ、バク睡中のオロカモノたちを相手に、「おい、いいかげん起きろ、ばか!・・遅刻スンゾ!」などと、アホヅラをゆり起こしたりしているのです。
 お弁当をつくり、なかなか起きない息子たちをたたき起こす。朝ご飯を与え、学校に送り出す。彼女にとって最も大事なことは、我が子たちの健康と幸福のことであり、子供たちの将来のことなのです。
 まだ結婚をする前、つき合っていたころの、あの女の子が、こんなにも「おかあさん」になってしまうとは、当時、想像もしてなかったのに。子供たちがまだ幼かった「子育てママ」だったころだって、こんなんじゃなかった。
 僕の目には、子供たちが育つにしたがって、年々、母親として成長し、今じゃ正真正銘、正しく「おかあさん」なってしまっているんじゃないか。
 子供への愛情だって、今じゃ取り返しがつかない所まで、深まってきてしまっているようで、ちょっと恐ろしくもある。カミさんが、息子たちの姿を眺めるその目をのぞき込むと、なんだか
」という感じで。もと恋人の僕としては、この最強のライバルたちの出現は、由々しき事態であるし、どうにもこうにも勝ち目は無さそうだし、「ねえ〜、僕のことも、ちょっとは、心配してくれよ。」と、言ってはみるものの、最悪の場合、僕の嫉妬心が原因で、夫婦ゲンカにもなったりするのです。
 しかし、「おかあさん」のつらいところは、母親としてだんだん成熟するにつれ、子供の方は、それをよそにどんどんと成長してしまい、だんだんと母親の必要性が薄まってきてしまう、というところにあるような気がしています。小さい頃は、いろいろなことを、あんなにも面倒をみてあげなければならなかったし、なんでも教えてあげなければならなかった。時には、鬱陶しいと、感じることさえあったのに。どんなところへ行く時にも、必ず手をつないで、一緒に出かけて行ったし、不意に現れた危険には、どんなことをしてでも、守ってあげなければならなかったのに…。
 でも最近では、ちっとも必要とされない。大人の男になるためには、何でも自分の力で切り開いて行かなくてはならない。母親の多干渉は、子供たちにとって、「ウザッテ〜」ものでしかないのです。子供たちのことが、どんなに心配でも。子供たちが、どんな苦難を迎えていても、代わってあげることはできないし、教えてあげられることも、もうあまりない。ただ、できることは、ご飯を作り、お弁当を作り、朝、子供たちを起こし、遅刻しないように心配することぐらい。
 でも…、「おなかの中にいたでしょ、その感触が今でも忘れられないんだよね。」「子供たちが離れれば、離れるほど、それに反比例して、その感覚が強くなるんだよね…。」
 う〜む?そうなのか。子供を産んだことのない僕には、想像すらできない、とうてい計り知れない感覚である。
 やっぱり「子宮、オソルベシ!」である。
 実は最近、僕は、母を亡くしました。
そして、うちのカミさんの背中を見ていると、自然と、あのころのオフクロの姿を思い出してしまうのです。例えば、受験生だったころ、予備校に出かける僕に、オフクロはいつも弁当を作ってくれたっけ。大学に入ってからは、僕はスッカリ、ヨイッパリの朝ネボーになってしまい、毎朝、うるさく起こされていた。僕の方は、カンカンに怒っているオフクロに腹を立て、逆に、「そんなに言うんだったら、俺は、永遠に寝ててヤル!!」と、かえってふて寝に励んでいたっけ。
 今となっては、あのころのオフクロの気持ちがよくわかる。
僕のオフクロと、うちのカミさん。あたりまえなことだけど、母の愛は、深ければ深いほど、ありがたい。
   
 
【インフォメーション】
現在開催中の「それでも人は、「境界」を超える。」、「〈生きる〉展−現代作家9人のリアリティ」に岡村先生の作品が出品されています。
お近くにお出かけの際は、ぜひお立ち寄り下さい!


 
展覧会名 初公開!「賛美小舎」上田コレクション
−夫妻(ふたり)であつめた愛しの現代美術−

それでも人は、「境界」を超える。
会場 練馬区立美術館
 東京都練馬区貫井1-36-16
 tel:03-3577-1821
 http://www.city.nerima.tokyo.jp/museum/
会期 2007年4月21日(土)〜2007年6月3日(日)*月曜休館
時間

10:00AM〜6:00PM *入館は5:30PMまで

展覧会名 〈生きる〉展−現代作家9人のリアリティ
会場 横須賀美術館
 神奈川県横須賀市鴨居4-1
 tel:046(845)1211
 http://www.yokosuka-moa.jp/
会期 2007年4月28日(土)〜2007年7月16日(月・祝)
*毎月第1月曜日(5/7・6/4・7/2)休館
時間

10:00AM〜6:00PM(5/8〜5/31)
10:00AM〜7:00PM(6/1〜7/8 *土曜日を除く)
10:00AM〜8:00PM(4/28〜5/6、6〜7月中の土曜日)

  *6月10日(日)2:00PMから岡村先生によるアーティストトークあり

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