高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
坂崎重盛 新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ
橋爪紳也 瀬戸内海モダニズム周遊
外山滋比古 人間距離の美学
もぐら庵の一期一印
その15-「自分を見失わないこと。」そんなことを考えた。
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 11月も下旬になり、秋もだいぶ深まってきました。近頃の通勤(越生から山形まで)の車から観る風景は、山形に近づくにしたがって、秋も深まり、特に峠のあたりで、美しい紅葉が目を楽しませてくれています。秋から冬へと代わるこの季節、心に染み込んでくるような風景が、越生にも山形にもたくさんあります。






 さて、秋になると展覧会がとても多くあります。気になる展覧会、観ておきたい展覧会、観なくてはならない展覧会、僕の先生の展覧会、友達の展覧会、僕の展覧会。でも、平日のほとんどを山形で仕事をして、それ以外の日は、それこそ自分の展覧会の作品制作のために費やさなければならない僕は、なかなか展覧会に行くことができないでいます。自宅の台所には、知り合いから送られてきた個展やグループ展のDMがいっぱいに貼られた壁があるのですが、「〜君、‥さん、行けなくて、ゴメン。」と、DMに向かって、いつも申し訳ない気分になっています。この場を借りて皆さんに謝りたいと思います。
「ほんとうに、ごめんなさい……。」
 
 ところで、今年は僕自身の展覧会も開く回数が、例年に比べて少し多いような気がします。それも美術館サイズの大規模なものが多いような気がしてます。ざっと思い出しても、この秋からの展覧会は、以下の通りです。

9月に入ってから、
1、「BANDED BLUE」展
  鶴岡アートフォーラム(芸工大の学長、
  小沢明先生の設計で、今年の夏にオープン
  した、巨大な会場でした)、芸工大の教員
  達による展覧会

2、「五島記念文化財団、設立15周年記念グループ展」
  渋谷の東急Bunkamuraギャラリー(新作)。
10月は、
3、「目展」
  大作の新作のグループ展、高島屋大阪店(10/19〜25)、高島屋京都店(11/2〜8)、
  高島屋東京店12/7〜13これから始まります。)
4、野桜展
  天童市美術館(最近作)と恵埜〈よしの〉画廊(新作)
  (芸工大日本画の卒業生による展覧会、先生達も参加している)
11月の末から年内イッパイまで、
5、「絵図」と「絵画」との間で〈Galerie Aube exhibition series〉
  京都造形芸術大学内Galerie Aube(11/7〜12/17、最近作、この展覧会のスペースも巨大
  です)。
そして、年明けそうそう、
6、岡村桂三郎展〈挿絵「海女の珠とり伝説」と大作で綴る岡村桂三郎の世界〉
  東京の千駄ヶ谷と信濃町の間にある佐藤美術館1/12〜2/26、絵本の挿絵と最近作、
  個展としてはかなり広い会場だと思う)。
7、岡村桂三郎展
  銀座のコバヤシ画廊で個展(2/20〜3/4、新作の大作。これから、バリバリ仕事しないと、
  またいつもの年と同じになってしまうゾ!)と続くのです。
8、アッ!そうだッ!!それ以外にも、森田画廊とコバヤシ画廊
12/12〜12/24)で小品展
  あるではないか。
 よ〜く考えてみると、なんだか今後のことが恐ろしくなってきた。これでは息つく間も無いではないか。それから、もっとよ〜く考えてみると、大学の仕事も、その間そうとう忙しいし、実はこの時点で稲刈りも終ってないし、脱穀だってやらなくちゃならない。一日は24時間しか無いし、僕の体は一つしか無い!きっと、まわりの人々にも迷惑をかけてしまう……。
 僕は本当に大丈夫なのかだろうか!!
 そんなに目立ちたいと思ってる訳でもないし、作品が売れに売れて大金持ちになるためにやっている訳でもない、なのにどうして、このようなはめに陥ってしまっているのか、わからない。どうしてこんな思いをしながらも、僕は展覧会をやるのだろうか……?そもそも展覧会とは何のために行なうものなのであろうか、疑問だ。ちょっと考えてみたくなった。いや、本当はそんなことを、悠長に考えている場合じゃないのだけど、とりあえず、考えてみよう。
 とは言っても、考えようと考えてみたら、展覧会をやることが当たり前過ぎて、一体どういう風に考えたら良いのかさえも、わからない。そこで、僕のすぐ隣にいた、男子学生に聞いてみた。
 「展覧会を開くのは、女の子にモテるためです。」う〜ん、正直言って、そういうことはあり得ないような気がするよ。少なくとも、僕の経験には無い。


 芸工大日本画でティーチング・アシスタントをしてくれているアッチャン(本名:田中敦子さん)にも聞いてみた。
 「ねぇ、どうして展覧会、やるんだろ。どうして?」
 「アヤシイ人じゃなくなるため。」と、アッチャンはきっぱりと言ってくれた。
 これは、なかなか言い得て妙な意見だ。考えてみたら発表活動をしなければ、僕たちのやっていることは、部屋にこもって、何やらアヤシイ事をしている、今流行のニート?と同じなのかもしれない。

 そばにいた、長沢明君(去年の秋から、芸工大日本画の助教授)も、「不安解消のため。」と、作家としての社会との関わり、人との繋がりのことを話してくれた。「展覧会をやらなかった時期があったけど、正直、その時期少し不安だったよ。」

 別の視点で展覧会を考えている人もいる。
 来年の正月早々から始まる佐藤美術館での個展を企画してくれている学芸員の立島惠さんは、「今まで、見たことのない物を、見たい。感じたことのないことを、感じたい。」 と、話してくれた。それは、僕も日頃から、「今まで、見たことのない物を、作りたい。描きたい。」と思っているので、よ〜く、わかります。同感です。
 日本画で、教務補助をしてくれている中井香奈子さん(院展などに出品)も、「人の絵を観ると、その人の世界に入る。絵は違う世界に入るための入り口なんだ。展覧会は、色々な世界の入口が集まるお祭りのようなものじゃないかな。」と、好奇心いっぱいに話してくれた。


 芸工大日本画のもう一人のティーチング・アシスタントのユーイチロー(本名:佐藤裕一郎)は、「自分の作品を、客観視するためじゃないッスかねェ。」と、マジな顔で答えた。作品を鍛えていくためにも、展覧会をすることは、作家活動にとって必要不可欠なものなのだ。

 我が家に帰った時、我が家のもう一人の作家、「うちのかみさん」にも聞いてみた。そうしたら、やっぱり、 「自分を見つめるためにするじゃないかなぁ。」と言った。
 展覧会は、アヤシイ人が、人と繋がり、社会と繋がるための、一つのツールなのだ。展覧会を開いて、自分の世界を見せていく。そして自分も他人の目になって、自分を見る。
 「うちのかみさん」は、ホロビッツとグレン・グールドの話もしてくれた。

 「ホロビッツは、演奏会の時、観衆の前で、最高のパフォーマンスをした。一方グレン・グールドは、観衆を嫌い、コンサートを嫌い、密室で、独自の世界を造り上げた。」
 どちらも偉大なピアニストであり、そこに優劣は無いと思う。自分の表現のための、自分らしい方法がそこに有ったのだろう。

 しかし、僕らが気を付けなければならない、大事なことがあると思った。
 それは、「自分を見失わないこと。」そんなことを考えた。


   
 
【インフォメーション】
日本橋高島屋で開催されている「第10回 21世紀の目展」の会場にて行われたギャラリートーク(12月10日)も大盛況だった岡村桂三郎先生の小品展が、銀座・コバヤシ画廊で開催されます!お近くにお出かけの際は、ぜひお立ち寄り下さい!

また、岡村先生も執筆されている、東北芸術工科大学で教鞭をとる教員48名のエッセイ集『私の語るアートとデザイン―東北芸術工科大学からの48章』が発売となりました!ぜひお手にとってご覧下さい!


 
   ●MESSAGE2005  
展覧会名 MESSAGE2005
会場 コバヤシ画廊
 東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1
 tel:03-3561-0515
会期 2005年12月12日(月)〜2005年12月24日(土)
*日曜休廊、祝日開廊
時間

11:30AM〜7:00PM

   ●『私の語るアートとデザイン―東北芸術工科大学からの48章』
  (
河北新報出版センター
発行)
 

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