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それぞれ岡村先生のコメントもついています。
村上華岳「裸婦図」
さて、何かを表現するということは、何らかのコンセプトを基に画面に絵を描き表すという作業そのものである以上に、まぎれもなく精神活動であることを、絵を描く度に僕自身が、いつも思い知らされています。
村上華岳ではないけれど、こんな僕でさえ、祈るような気持ちで絵の具を画面に置いているし、もしくは掻き落としています。しかしそれどころか、僕が「呪術ではないか」と言うのは、どこか別の所に絵を描く発想の発端となるきっかけやコンセプトがあったとしても、そもそも作品の発想そのものが、不思議な興奮や快感とともに、何処からか降りてきて、僕の前に現れてくれるものであるからです。それはまだ現実的な制作に入る前であるにもかかわらず、おそらくその段階で作品のほぼ90%は決まってしまっているのではないかとも思います。そこまで来れば僕はただ、そのビジョンを実現化させる喜びを噛みしめながら、制作に励んで行くだけなのです。
絵を描くという行為は、人間が人間として存在し始めた頃からあったようです。もともとは呪術として、宗教のようなもののすぐ隣で、人間がこの自然界の中で生き抜いていく為に、自然界を把握し関係を持つ為のツールとしても、その自然の胎内に入る為の入り口をポッカリと空けてくれる、本来そういうものであったはずだと思います。
僕らが自然界の中でヒトとして発生したころ、ただの弱々しい裸の動物に過ぎないものであっただろうし、だとすれば、発生したその時に既に、外界から何かを感じ、何かを思い描く能力がなければ、この世に存在すらしなかったのではと思います。
自然の中の空ろの中に宿る、僕たちのイマジネーション。それは、はかない生き物でしかない僕たちに力を与え、いつも救っていてくれていたのではないでしょうか。
最近の僕の作品は、鱗に覆われ、物体感、重量感が強く表れ、極めてシンプルなイメージに支配されているように感じます。それらが何を意味しているかを考えるよりも先に、それは、現代の、この世の日常の中で、僕自身が今まさに経験している、湿潤で生命に満ち溢れたこの土地に暮らし、または移動し、何かに心を動かされたり、様々な環境、経済からさえも、作り替えられ変化してきた末の、今の僕のイマジネーションなのです。
そしてそれは、僕たちが何万年もの間、途方もないほどの数の絵を描き続けてきたことと、無関係ではないはずだと確信を持っています。気の遠くなるような話ですが、僕はその事を、懐かしむのではなく、全く同じように絵を描き続けて行きたいと思うのです。
「人間は、なぜ絵を描くのか」という「象徴の森」の設問があります。僕は未だにハッキリとした答えを見出せないでいます。しかし、僕はやはりその問いを、自らの制作の中で問い続けてみたいとも思っています。出来うるならば、その答えを自らの表現の中で語らせたい、そんなふうに思っているのです。
【インフォメーション】
8月15日から東京国立近代美術館で開催される「モダン・パラダイス展」に作品が出品されます。お近くにお出かけの際は、ぜひお立ち寄り下さい!
■モダン・パラダイス展
展覧会名
モダン・パラダイス展
大原美術館+東京国立近代美術館−東西名画の饗宴
会場
東京国立近代美術館
東京都千代田区北の丸公園3-1
tel:03-3214-2561
http://www.momat.go.jp/
会期
2006年8月15日(火)〜10月15日(日)
*月曜日休館(9月18日、10月9日は開館し翌日休館)
時間
10:00AM〜5:00PM
*金曜日は8:00PMまで
*入館は閉館30分前まで
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