しかし、それ故に書道界では「若者気質」がプラスに評価されることは少なめだと思う。作品の評価でも、若々しさとか、フレッシュな感じ、というのは「完成度が低い」という意味に使われている。だが未熟であっても若いということはとても大切だとぼくは考えている。心の若さは、精神的に成熟していないと言うことではないはずだ。
人は若いときには、若さの素晴らしさに気づくことはあまりなく、それが過ぎ去ってはじめて、無駄に時間を消費したことを悔やんだりする。いい加減なぼくから見ても、なぜいまここで力をため込んでおかないんだ、と助言したくなる若者を目にすることがある。もちろんぼく自身、きっと先輩からは、いまもそう思われているだろうことは重々承知しているのだが、近年はなにか覇気のない、希望も小さい若者が増えているように思える。どこにいてもお客さん気分で、つらいことがあるとすぐに降参してしまうし、すぐに傷つく。キレることを人のせいにする。
ぼくはいくつかの大学で授業を受け持っているので、新聞や書籍での若者を分析した論調を目にするたびに、ウンウンと頷けるというか、思い当たる節がたくさんある。礼儀正しく我慢強く、家族を大切にして、おごることもなく静かに闘志を燃やす古いタイプの男の子や、清楚でわがままを言うことのない女の子も大勢いるけれど、そうじゃない、理解に苦しむ若者が次第に増えてきている。
ぼくには今の若者を分析する力はない。ゆとり教育が諸悪の根源なのか、携帯電話が人格形成に影響しているのか、インターネットがコミュニケーション崩壊の犯人なのか、やはり、テレビゲームがいけないのか。いずれにせよ、少し変わってきていることは確かだ。近年の経済格差によって、若者は確実に豊かさを失ってきている気がする。生活に直接必要のない美術芸術に携わり、本格的に学ぼうという意欲が、若い人にあったとしても、経済的に無理である場合が多くなってくることも事実。若者なのに心の若さを失っている彼らが少し不憫に思えてくる。
もう、東海林さだおさんも、今の若者に対する論調を見て、ああ俺のことだ、とは思われないのじゃないかと思うのだが、どうだろうか。
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