かつて、ぼくが十代から二十代のころ、生家は犬を飼っていた。雑種ではあったが男前、性格もよい犬で、しかもたいそう長生きしてくれた。
ある日の夕方、この犬を散歩をさせていると、当時近所で評判の“女装するお茶人さん”とすれ違った。女装といっても、和洋折衷の不思議な装いだ。近所でお見かけすることもあったが、四条河原町界隈でお見かけすることもよくあった。
その方が、「あ、この犬、習字の犬やろ」とおっしゃった。お習字する犬などはいなのだが、ぼくが「はい、そうですが」と答えると、この先生、犬があまり好きではなかったとみえて、大いに苦情を述べられた。
ごくたまに放し飼いにしていたこともあったので、反論せずにお話をうかがったのだが、ぼくとしては苦情を聞かされたことではなく、わが家の職業を「習字」と呼ばれたことが、随分とこの職業を低く見られた気がして、とてもがっかりしたのだった。
調べてみると、「習字」という言葉はすでに室町時代にあったというし、江戸時代では「手習い」が一般的だったようで、そのほかにも筆道、書学、筆学、習書、学書、手跡などの用語があったらしい。明治になると「書き方」、昭和の戦前は「芸能科習字」というような呼称だったと資料には書いてある。今の小学校では「書写」と呼ぶ。しかし、これらは基本的に、子供たちが文字の形を覚え、そこそこうまくかけるようになることを目的とした、いわば教育的な側面を持ったもののように思う。
教育の側面ではなく、人々が趣味として習うものは、今では「書道」というのが一般的だ。しかし、「書」という言葉は、どういう経緯でこの日本に定着したのだろう。中国では「書法」と呼ぶので、外来ということでもなさそうだ。
先日わが家の一部屋の模様替えをしたときに、あふれ出た本が多かったので、新しい本棚を通販で手に入れた。組み立て式の簡素なものだ。組み立て終わって、本の整理をしながら、その本棚に収めているとき、『書の本 1 書とは何か』(筑摩書房・1980)という一冊が出てきた。一度読んだはずなのだが、内容をすっかり忘れている。パラパラ見るとおもしろそうだ。そこでその日の片付け作業は中断。はじめから読むことにした。編集は青山杉雨先生。そして本の冒頭に、青山先生の師である西川寧先生の日展で講演を収録してあった。
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