その講演で西川先生は、日展に「書」という部門が加わることになったとき、新設の第5科を、何という呼称にするべきか問題になったときの裏話を披露されている。当時の権威・豊道春海先生は「書道」という語がお好きだったという。書家というのは聞こえが低い存在なので、書道家という言葉の方がよいという独自のお考えだったようで、日展第五科も「書道」にすべきと主張されたらしい。書道芸術の略語でもある「書芸」にしようという意見もあったが、日本画芸術とか洋画芸術などとは呼ばないので、「書芸」はよろしくないだろうということになったとも記されている。
西川先生は、「書」という単純な言葉を主張されたという。ショ、というのは発音しにくいし、本当なら漢字二文字の方がいいのだが、どう考えても適当な言葉がなく、一文字ではあるが「書」しかないということを述べられて、結果的に新部門は「書」という呼称で落ち着いたのだそうだ。今では、ごく当然に思われている「日展第五科・書」という名称も、そんな経緯があったことを知って感動した。
さらに西川先生は、筆で文字を書くことを、「習字」「書道」「書」の三つに分けて考えてはどうか、ともおっしゃっている。「書」はほかの二つよりも上位であり、芸術的な優位性を持った分野というお考えだったからだろう。
今では西川先生のお考えが一般的になった。おこがましいようではあるがぼくも、例えば招かれた結婚式で司会者に書道家とお呼びしてもよろしいでしょうかと尋ねられたら、できれば書家にしてください、と答えている。また、名刺の肩書きに「書」一文字だけしか記載しておられない先生も多い。もはや、「書道」よりも「書」の方が上位という考えはコンセンサスになっていて、境目は事実上ないのだが、「習字」よりも「書道」が、「書道」よりも「書」が、専門性・芸術性をも含めて立ち位置が上であるということが確定している。
しかし、昭和23年に日展の第五科が生まれたとき、その部門が「書」ではなく、ほかのものになっていたなら、こういうコンセンサスも、きっと事情が変わっていたのだろうとも思う。近年の「調和体」という言葉も、今でこそ定着しているが、「漢字かな交じり文」などと違ったものになっていたら、きっと「調和体」という語は、今、存在していなかったかもしれない。
最近の企業では、昔ながらの呼称だけでなく、なんとなく聞こえのいい英語の肩書きも増えていると聞く。立場を新しい基準で配置し直すのも良いことだと思うが、われわれの肩書きというと、まだ理事や評議員、講師や局長など、漢字ばかりでいかにも古くさい。だが、遠い将来、われわれの職業も、まったく違う横文字の呼び名になって、未来の辞典には「昭和の半ばから平成にかけては、書道家または書家と名乗ることが多かった」などと書かれているかもしれない。かといってCalligraphistというのも、ちょっと違う気がするのだけれど。
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