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番外編


 芸能分野に関しては、まったく自分でたずさわることはなくても、それなりの一家言を持ち、的を射る眼力をもったマニアともいえる愛好家がいる。クラシック音楽や映画。ジャズに演劇。歌舞伎や文楽など。おそらく、駆け出しの記者レベルなら剣もほろろに論破する人たちは、万単位でいるのではなかろうか。

 良質の愛好家がいる分野は「伸びしろ」がある分野と考えていい。言葉を換えるなら、見極めることの出来る辛口の観客がたくさんいる分野は、どんどんよくなる分野、だともいえよう。

 美術はどうだろうか。芸能に比べては弱いものの、日本画や洋画には作品を保有するほどのマニア的なファンがいるだろう。彫刻も工芸も、技法のツボを心得た愛好家が存在する。作品が売買される環境があると、それなりの愛好家が生まれるのかもしれない。

 ただ、書展では、観客の大半が、誰かの門下にいる人かその家族のようなものなので、何らかのフィルターがかかった見方しか出来ず、作品がわからないのは自分が未熟だからと考えがち。書を正確に判断する力や審美眼に自信をもてる人が少ないので、評論が成立しにくく、「伸びしろ」がない。愛好家が育ちにくい分野ともいえるかもしれない。

 確かにわかりにくい作品、良さを見つけることの出来ない作品が多いのも事実。この世界にいるぼくからみても、周りの人や見る人に対する配慮がほとんどない作品が目立つが、ぼくは鑑賞してくださる方々に対する心くばりのない、独りよがりな作品は展覧会には向かないと考えている。

 先日、NHKが長島茂雄さんと王貞治さんの特集を組んでいて、大変面白く拝見した。その中で、長島さんは、初めての監督時代に、「お客様の満足度」を、試合の勝ち負けや選手の技術と同じぐらい大切にしていたということが述べられていた。

 祖父五鳳も、お正月の二十人展の出品作を、「これは素人さん向き、これは玄人さん向きの作品」といって区別していた。もちろん素人さん向きの作品が、雑な手を抜いたものというのでは決してなく、逆に、そちらにはさらなる神経を使っていたと思うのだが、専門家の視点とともにお客様の視点を大切にしていたことは間違いなかった。

 人々の前に出すものという意味では、芸術作品も野球も同じ。作家は、人々が野球に熱狂するように、芸術作品に対峙したときに稲妻に打たれたような感動を味わってもらいたい、という思いを忘れるべきではないと思う。

 熱狂や感動を味わった人でなければ「愛好家」にはならない。だから、真の愛好家を増やすために、われわれ作家はその思いを伝える努力をしなくてはならない。そして、一つの作品に納得してもらったなら、次の作品を心待ちにしてもらわなくてはならない。長島さんのお客様の満足度を大事にするスタンスは、われわれに対する叱咤激励なのだと、ぼくには聞こえた。

 2009年霜月


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プロフィール

日比野 実(ひびの・みのる)
書家
1960年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、
幼少より、書を祖父・日比野五鳳に学ぶ。
現在・日展出品委嘱、読売書法会常任理事、日本書芸院常務理事
大学非常勤講師(京都大学ほか)、水穂会副会長




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