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第7回 トーナメントプロとレッスンプロ プロフィールをみる
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番外編


 作品制作こそ命である、トーナメントプロに徹するべきであるとおっしゃる先生がおられる。反対にレッスンプロとしてがんばることによって、責任感と自意識が向上して、トーナメント(作品制作)もうまくいく、という考えの先輩もおられる。

 徹するタイプ、作家は思い悩むものであり、苦しい中で生み出していくべきだというトーナメントプロ作家のお作品を拝見すると、殺気ともいえる芸術家魂を見て取ることが出来、感動するものの、やはり苦渋が見え隠れして、素直に賛同できない場合がある。極端な例でいえば、作品に流れる陰鬱な空気で気分が重たくなったりもする。

 対して、レッスンプロとしてがんばっている人(弟子の多い作家)は、人柄がよく、人生に対して肯定的であるために、モチベーションが高く、結果、作品も何か光るものがある。殺気は見えない代わりに、人を引きつける力のようなものが作品の奥に見える。

 2つのタイプ、ざっくりいうと、純文学の芥川賞とエンターテインメントの直木賞の違い、といったニュアンスかもしれない。

 かといって、レッスンプロ作家も高じすぎると、書を「商売」としてとらえることになり、作品にも、どこか俗っぽさが出てしまう。なにかしまりのない、雑な作品に見えてくる場合だってある。やはり、書はその人のその時々の、鏡に映らない自分が写るものである。

 トーナメントプロとレッスンプロの平行線のうえに、各書道団体の事務職をさらに兼務している人も多い。これまた誰かが担当しなくてはならない必要な役目。会議もあるし、出張もあるし、文書を作らなくてはならなかったり、意外に大変。

 トーナメントプロとレッスンプロと事務職の兼務。そんなことまでしなくちゃならないの、というような雑務まで引き受けているのが中堅以上の先生方の実態である。「書家」イコール、長めの白髪、着物や作務衣、物静かに眼光鋭く、孤高の芸術−−といった昔のハリウッド映画に東洋人として出てきそうな人物は、ぼくの知る限り皆無といっていい。

 他はダメだけど書は抜群の人、とにかく人望があって指導者としてはバッチリの人、作品はまあまあながら頭が良くて事務がテキパキな人。口上手なんだけどなぜか人望のない人。そこそこ全部出来るのに人付き合いが悪くて話しかけにくい人。いやぁ、本当に書道のプロにもいろいろおられる。

 ゴルフのプロについて少し調べてみたら、トーナメントプロとレッスンプロに加え、メンタルプロという方々もおられるようである。書道もメンタルなものなので、書作家にメンタルなサポートをする人が今後あらわれてくるかもしれない。でも、この業界、そんなお仕事では到底収入にはならないから、よほど余裕のある人の余技でないと、たぶんむずかしいんじゃないかと思う。


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プロフィール

日比野 実(ひびの・みのる)
書家
1960年京都市生まれ、同志社大学文学部卒業、
幼少より、書を祖父・日比野五鳳に学ぶ。
現在・日展出品委嘱、読売書法会常任理事、日本書芸院常務理事
大学非常勤講師(京都大学ほか)、水穂会副会長




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