「姉さん」
その声に振り向くと、そこにいたのは、背中に金の龍の縫い取りのあるガクラン、リーゼントにつっかけサンダルの少年。
「姉さん、不良は描かねえの?」
まっすぐな目がそこにあった。
私はその目に、答える。
「不良とか、そういうことじゃなく、人間には『優しい』とか『寂しい』とか、いろいろあるよね。私はそういう人間の中にあるものを、ひっぱり出して、人間の形にして描いているんだ。」
すると彼は、長い間、壁画を見つめた後、壁画の群像の中の、一人の人間を指さし、言った。
「じゃあ、俺は、アイツだよ。」
私は「十代の人間の内面の世界」を自由の森学園の壁画に、描こうとしていた。
4壁面のうち最初の壁画は、自分自身の十代の時に、深く感じたことを、探りながら描いていった。私自身の14才の頃は、自我の出発の時だった。「自分がこれからどう生きていくのか」を考え始め、自分らしい好きなことを選んで、生きていきたいと願うのに、一つのことに決められず、一日、一日が重たい時間となり、苦しかった。でもそれは、自分の人生にとって、大切な時間だった。
その時の自分の内面を確かめながら、壁面の中心に、「歩み始めようとする人間」を描いた。手も足も、ぎこちないが、必死に歩こうとする姿。その周りには、自分の道が見つからず、悩む姿や、迷う姿をも描いていった。手や足の指、一本一本にも全身の力が入っている人間の形だ。一人一人の内面の違いを、色でも追求しようと、それぞれの人間に違う色を、透明なアクリル絵の具で、何層も塗り重ねる。中心の人間の色が、最も時間がかかった。様々な色を塗っても、どの色も自分が14才の時に感じた気持ちにならない。薄く白を重ねた時、初めて内面が表れた。
その壁画に向かって、ある日、高2の生徒が言ってくれた。
「この白い色の人間、去年の私と同じだよ。この白の中には、いろいろな色が入っているよね。自分の中に、いろんな色の可能性を持っているんだ。でも、どの色になっていいかわからない。不安なんだ。」
半年以上をかけて完成した1作目の壁画の題名を私は、「はじめての自立へ」
(6m×2.6m 1985年)とした。
2作目の壁画は、この学校に希望を求めてやってくる、子どもたちの内面を表したかった。
自由の森学園中学校・高校は、生徒に点数をつけず、一人一人の個性を育て、「自由と自立への教育」という理想をめざしている。
私自身も子どもの頃に「生徒一人一人の個性を育てる」ことをめざした学校で育った。そして「人間一人一人は、他の人とくらべることのできない、可能性をもっている」ということが、私の生きる根幹になっている。
そんな私は、14才の頃に自分らしさを求め、苦しんだ時間の後、15才になった時、未来へ向かって生きていくのに、「好きな絵」を選ぶことができた。
十代の時の私と同じように、この学校で学ぶ子どもたちも、未来に自分の可能性を求めている。その内面を壁画に表そうとした。
壁面中心には、全身で手足を広げ、上の方に向かって、何かを求める人間の姿を描いた。手も足も広げる人間の形は、空間の中に浮かぶ造形になる。その周りにも、空間を泳ぐように身体中を動かし、求める姿を描く。空間に浮かぶと、人間の形は自由になり、勢いを持っていった。下の方には、まだ、手を広げられず、かがんでいたり、座りこんでいる人間も、共に描いた。
ある時、高1の少女が、壁画の中のかがみこんでいる人間を指さし、言った。
「今の私はね、この人と同じ。でも本当は、あの人みたいなエネルギーがほしい」
と、手足を広げる人を指さした。
2作目「未来への広がりを求めて」(6m×2.6m 1986年)は、9ヶ月をかけて、完成した。
2作目を描いている間に、私は壁画の中の人間一人一人が、いとおしくなっていくのを感じていた。1年以上通う学校で、出会い続けた生徒たち。壁画の人物に向かって、自分自身の内面を重ねあわせる十代の人間たちが、私の中に刻まれていた。「これは、あの子のあの時の目だ。この顔は、アイツみたいだ。」
熱い思いが湧きあがり、「今、ここに生きている、十代の子どもたちが、本当に望んでいること」を壁画にしなければと、感じた。
最後に創った壁画は「これからに向かう時」(6m×2.6m 1987年)という題名だ。
人間一人一人が、それぞれ、自分が向かいたいと思う方向を見据えている姿を描いた。目を閉じている人も、心の内で、自分の未来を見つめている。どの人間の手も足も、顔も、はっきりと意志を表している。中央の人は、そんな人間一人一人を抱きとめようとする形となった。そして一人一人が自分のいる場所から、光を浴びているように、少しずつ、少しずつ、光を感じる淡い透明な黄色を、重ねていった。
「全部の中で、この壁画が一番好き」と、生徒たちは言ってくれた。学校で一番の「ワル」といわれた少年も、この壁画の中に、どうしても自分の姿を描いてほしいと懇願してきた。
この壁画にこめた「理想に向かって生きる」ということを、十代の人間たちは、なくてはならないものとして、自分のものにしようとしていた。
自由の森学園での2年半の中で、私は「壁画というのは、そこに生きる人たちが、本当に願っていることを見つけ、それを壁に刻んでいく仕事なのだ」と、つかみとった。その時、私は30才だった。
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(次回に続く)
※自由の森学園壁画の撮影は、当時、自由の森学園・写真部の高校生だった、岡田啓希さん |