高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
   静かに林立する竹のひんやりとした空気に頬を刺激され、引き込まれるように目をやると竹林の一角が霞がかったように、ぼんやりと青白く見える。
 もやもやとした濃淡のある半透明の影が蠢いていて、次第に人の形のように見えてくる。

 破れた古い着物に身を包んだ白髪の老婆のような人影が、時々、青白い光の点滅の中で形を成して見える。
 老婆は錆びついた鉈を持っていて、どうやら地面に生えている筍を手に入れたらしく、手の中に抱える仕草をしながら満足そうにして霞の中に溶け込むように消えた。

 地面にはあちらこちらに筍がまるで角のように生えている。
 
       
   鎌倉にはいくつか美しい竹の庭のある寺がある。JR鎌倉駅からバスに乗り金沢街道を走り、浄明寺で降りて、3分程歩くと報国寺がある。報国寺は臨済宗の禅刹で開基は上杉重兼。足利尊氏の祖父である足利家時であるという説もある。仏殿には釈迦如来像が置かれ、境内の奥には竹の庭がある。
 竹林の静寂な空間は殺伐とした日常の感覚を一掃してくれる。天に向かって、まっすぐ伸びる孟宗竹[もうそうちく]の垂直方向を強調した空間は心地良い緊張感があり、心が浄化されていく感じがする。竹林の中には苔むした石塔や石仏が点在し、その周辺の落葉を敷き詰めた地面から角のような筍が突き出ている。

   

   皮を剥いだ筍の形状は角によく似ている。何年か前、鎌倉駅から乗った江ノ電の中で角の生えた老人を見た事がある。鎌倉駅西口の画材店で絵具を買い、江ノ電乗り場から電車に乗り込む。休日の昼間のせいか、車両は混雑していて、背後の乗客の圧力に対して、吊革に掴まって、どうにか体勢を保つ。次第に汗ばんでくる背中に不快を感じながら、ぼんやりと車窓の外の見慣れた風景を眺めていたが、ふと目の前の座席に座っている老夫婦に目を移すと、男性の頭部の疎らな毛髪の間からキラキラと陽光を反射しているものがあるのに気が付く。気になって目を凝らしてみると、長さが3センチ、直径が1センチ程の鳥の爪のような質感の突起物が頭皮から生えている。動物の角とはイメージが少し違うが、その形はまさに角である。その異様な頭部の他は至って平凡な普通の老人である。    
         

   私は子どもの頃、角に対して特別な意識を持っていた時期がある。

 近所の床屋に散髪に行った際、主人が私の頭の両端を触りながら、「角がある」と言うのである。自分で触ってみると、確かに頭の両脇が尖っていて、まるでこれから角が成長してくる兆しのような出っ張りがある。

 妄想猛々しい私は、実際に角が生えた姿を想像し、それを見た人々に笑われたり、怖れられたり、あるいは気に入っている帽子が被れなくなる事を憂い、戦いた。
 様々な嫌な想像を体の内側に充満させ、角を思うごとに下腹部が燃えるように熱くなって、腹痛と貧血をくり返す事に悩まされるようになる。
 その後、頭の形に目立った変化は起こらず、他にも悩み事が増えるにつれて、角への意識は少しずつ、薄らいでいった。
 

     

   角について考えていると、色々なイメージが湧いてくる。
 例えば、一見、似た形の角と牙について思いを回らす。角のある動物は大体が草食であり、牙のある動物は肉食である。草食動物の角の機能や役割については様々な事があるようだが、肉食動物の性質や形態と対比して象徴的に見るのも面白い。角があるにしても、羊と山羊では象徴的な意味は違ってくるし、一部の肉食を主とする民族の神が他の民族の角のある神を悪魔として嫌うのも興味深い。神が魔であり、魔が神であるような、アジア的混沌とした世界では角はどのような意味を持つのだろうか。
 また、角はオスにあって、メスにない(あるいは小さい)というケースも多く、性的な性質と関係しているようであり、オス特有の攻撃的なイメージも付き纏う。ギュスターヴ・モローの「一角獣」や、サルバドール・ダリの「自分自身の純潔に獣姦される若い処女」なども角とペニスとのダブルイメージである。
 

   私としては、角は怒りや他者と闘争し、攻撃するための武器のイメージよりも、むしろ俗悪な外圧に浸蝕されまいとする自己の意志、あるいはプライドの象徴として捉えたい。
 少年の頭頂から生え出る美しい角は、少年の何事にも揺るがない心の強さの現れであり、少年の内側で密かに燃えている高貴な炎と呼応するものである。
   

   現在でも私の頭部の尖った部分の形状は以前のままであるが、最近になって、その部分の毛髪が薄くなってきたのが気掛かりである。 (山本タカト 02.09)  

●山本タカト
1960年秋田県生まれ。1983年東京造形大学絵画科卒業。91〜93年〈浮世絵ポップ〉様式を試み、94年頃より、発展させ洗練させた〈平成耽美主義〉様式を打ち出す。耽美小説、幻想小説、官能小説、時代小説などの挿絵のほか、文芸誌や単行本などの表紙絵を担当。現在は、画集の刊行ほか各ギャラリーにて作品を発表している。
東京イラストレーターズ・ソサイエティ会員、国際浮世絵学会 会員。
http://www.yamamototakato.com/