高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.29「熊本市動物愛護センター」  

 

 この春、日本橋三越本店で開催した個展に際して「光たちの肖像」というタイトルをつけた。「光たち」とは、上記、熊本市動物愛護センターに生きる犬や猫達の事。

 動物愛護センターという施設は、迷い犬猫、遺棄、そして飼育放棄により持ち込まれた犬や猫を引き取り、譲渡先を見つける世話をしたり、場合によっては殺処分を行う場所。しかしながら、一般的にはやはり殺処分場としてのイメージが強く、各自治体にこのセンターはあるものの、その多くは実際、殺処分場そのものと言っても過言ではないだろう。この国では年間30数万頭の犬や猫が殺処分されている、という事実からもそれは明白だ。

 そう、今回の個展の新作は、そこに生きる彼らの姿を取材し、彫刻というフィルターを通して記録したものだった。

 

 約8年前、まだ彫刻家ひとつでは食べられなかった頃、動物専門学校(トリマーや動物看護師の免許をとるための学校)で美術の授業を受け持っていた時期があった。自分は美術のコマだけを任されていたわけで、当然、それ以外の動物の専門知識等はないわけだから、動物の専門家である講師達から時折聴く話はどれも興味深いものだった。と同時に、僕のような門外漢にとっては首をかしげるような動物業界の常識も多々知る事になる。その一つ一つには触れないけれど、ともかく、一見華やかなペット産業の光と影、と言ってしまえば使い古された表現になるだろうか。まぁ、こんな事は美術業界だって何処だって同じなわけで、別にペット産業自体を批判するとかそういう事ではない。ともかく自分の知らなかった事がたくさんあったということだ。その後、その中で感じた事や、なにか引っかかっていた事の一部を、2008年のアートフェア東京において「愚かな装飾」と題した個展で作品化した事もあった。(Vol.13参照)
 そして今回、同じように当時から心の何処かに引っかかったままになっていた動物の殺処分の問題について、改めて掘り下げ、自分の気持ちに落とし前をつけたい、そんな気持ちになったのだ。ちょうど今年は自分30代最後の年。やり残し、思い残しはよいことではない。

 それまで、自分が知識として知っていたのは、動物愛護センターという施設に収容されてしまった犬や猫は、約1週間の間に引き取り手が現れなければ、殺処分されてしまうという事。たったの1週間である。飼育放棄等は論外としても、たとえば飼い主が、自分の飼い犬や猫が迷子になった事に気付き、「次の休みにでも保健所に訊ねてみるか」なんて悠長な事を言っている間にも、次々と殺処分されてしまうのだ。つまり現実にはその檻の中に入ったら最後、二度と広い空の下に出る事はなく、余命は1週間という事になる。
 動物は敏感な生き物だ。きっと自分の置かれた状況を感じとってしまうに違いない。どんな気持ちだろう。それを考えた時、彫刻家を生業とする自分に出来る僅かな行動として、その最後の1週間の姿を彫刻という姿で記録してみたい、と思った。
 それがそもそもの今展の企画主旨だった。

 

 ところが、だ。いざ取材を申し込もうと、ひとまず取材に行きやすいように近場の愛護センターから問い合わせてみるものの……取材NG。その後いくつかあたるも、ことごとくNG。まぁ、考えてみれば当然の事。この事実や状況を取材し、しかも百貨店での展覧会に仕立てようというのだから、無理もない。なにより、センターの職員は彼らに課せられた仕事をまっとうしているに過ぎないのだから。

 
 半ばこの企画に諦めかけていた頃、とある方から「熊本市の愛護センターは全然違う取り組みをしているようだから、問い合わせてみるといいかもしれない」と教えてもらった。
 調べると、熊本市動物愛護センターでは“殺処分ゼロ”を目標に掲げ、他県のセンターでは不可能に近いような取り組みを実践している事で有名らしい。とはいえ、こちらはテレビ局でも新聞社でもなんでもない一個人、門前払い覚悟で恐る恐る電話をすると、なんとあっさり「どうぞ」のご返事。頼んでおきながら、拍子抜けしてしまった。

 さぁそうなったら善は急げで、一眼レフカメラを鞄に詰め込み、2月中旬いざ熊本へ取材に向かう。考えてみたら熊本は初めて訪れる土地かもしれない。

 
 熊本市動物愛護センターは熊本空港からタクシーで20分くらい。そこの犬や猫達と対峙した時、自分自身、いったいどんな気持ちになるのだろう。道中、経験のない緊張が襲う。けれど、もしそこで自分に何も思うところが無かったならば、この企画自体中止にするつもりだった。ドキュメント的な企画ほど、行き過ぎた思い込みや先入観は単なる自己陶酔に陥りやすく、鑑賞者には押し付けでしかなくなる。情熱と冷静さの両立が難しい。

 ほどなく現地到着。随分と下調べをしておいた事もあり「おー、写真で見た場所!」と当たり前の事で感動。……あ、冷静、冷静……。

 さっそく事務所でご挨拶を。電話対応してくださった職員の後藤さんから、いろいろ説明を伺ったり、質問をさせて頂いたり。その中で特に驚いたのは、保護期間の事。一般的な愛護センターでは約1週間と聞いていたけれども、実際には4日目には所有権が無くなるらしく、つまりそこから先は誰かに譲るにしても、保護飼育するにしても、殺処分するにしても、それは各愛護センターの判断という事だ。実際、他の愛護センターでは収容頭数の都合上、4日目で殺処分される例も少なくないそうだ。
 そんな中、ここ熊本市動物愛護センターでは、なんと長いものでは2年以上も保護飼育されている犬まで居るという。 

 そんな犬や猫達、保護された時には毛も伸びきって真っ黒に汚れていた身体を、トリマーさんの手によってすっかりキレイにしてもらい、ケガは獣医師さんによってきちんと治療してもらう。昼間は外に出してもらい太陽を浴び、その間に犬舎は職員の皆さんによってキチンと掃除され清潔に維持されている。建物は随分と年季が入っていて最新の機器と思えるようなものは何も見当たらないけれど、ここには温かさと丁寧さが満ちあふれ、なにより場の空気がとても明るいことに驚かされる。
 こういった環境作りはこのセンターの所長さんである松さんのお考えやお人柄、そしてその所長さんの下で働く職員の皆さんの健全で気高い心意気によるものである。加えて、予算等の面で熊本市の理解や全国から寄せられる多くの寄付など、バックアップに恵まれているという状況も、大きな手助けとなっているとの事。考えてみればエサ代ひとつとってみたって、大変な事だ。
 事務所で説明を伺ったのち、いよいよ犬や猫達の所へ。

 見慣れない人間が来たからだろうか、一斉にものすごい鳴き声。賑やかだ。
 けれど、そんな中、スッと柵の向こうに隠れてしまい、怯えているのか訝しんでいるのか、体を丸めながらこっちを上目遣いに見る犬がいる。気になる。
 犬舎や検査室を見学させて頂き、最後に一番奥にある部屋へ。ここはドリームボックス(夢の箱)とよばれるガス室の部屋だ。

 一般的に愛護センターでは、次から次に収容されてくる犬や猫達を、いわば効率よく殺処分するためにこのガス室を使用する。映像で見た経験しかないけれど、その様子は残酷そのものだ。何頭もの犬や猫達がドリームボックスに強制的に送り込まれ、重い扉が閉まると同時にスイッチが押される。ドスンドスンとのたうち回る音が響き渡り、やがてその音は静かになる。やりきれない苦い気持ちの残る場面だった。

 そのドリームボックスをまさにいま目の前にして、どうしていいかわからない。

 動揺する僕に、後藤さんはあっけらかんと「動かしましょうか?」とガチャガチャ操作盤らしき機械をいじり始めるので、「いやいや、大丈夫です!」と慌ててお断りした。後藤さんはなお「最近、動かしていないので……どのスイッチだっけなぁ」と迷っている。

 というのも、ここ熊本市動物愛護センターでは、かれこれ4年近く、このドリームボックスは使用していない。ガスのボンベも撤去されているという。徹底しているのだ。

 しかしながら殺処分ゼロを目標にするも、どうしても苦渋の選択で年間数頭殺処分の決定を下す場合もある。例えば治らない病気を持っていたり、手に負えない凶暴性を持っている犬等については、譲渡上の問題により、麻酔薬で安楽死させているという。限られた施設内において、他の犬や猫に病気がうつったり、喧嘩をする事もあるだろう。

 救う命のための究極の決断。この愛護センターの取り組み方は、けっして綺麗事や理想主義ではなく、目標を実現するための徹底した現実主義であるという事が、なによりも本気を感じるのだ。
 ひととおり施設を案内して頂き、あとは半日、自由気ままに写真を撮らせて頂く。何十頭も居る中、さっき気になった一頭のもとへ。鎖がつないである根元に一頭ずつ名前が書いてある。ここの職員の皆さんが名付けるという。

 彼は“うみんちゅ”というらしい。“うみんちゅ”は僕が近づくとやっぱり柵の向こうに逃げてしまい、怯えるように上目遣いでじっと見つめる。よく見るとウインクしているようなその片眼は潰れていた。仕方なく少し離れた所から撮影をする。でもこの時、この“うみんちゅ”をモデルの一頭に選び、そして出来上がった作品は個展の案内状に使う事を決めていた。
 他にも気になるコを片っ端からカメラに納めていった。無邪気に甘えてきたり、のんきに日向ぼっこしたり、吠えたり、怯えたり。仕草や反応はそれぞれだけれども、やっぱり近所でみる犬や猫とは確実になにかが違う。これだけは間違いない。見た事もない、その訴えかけるような彼らの瞳に夢中になってシャッターを切った。「自分に何も思うところが無かったならば、この企画自体中止にしよう」なんて考えていた事などすっかり何処かへ消えてしまい、気付けば500枚くらいシャッターを切っていた。

 やがてあの“うみんちゅ”も、どうやらこの金髪の人間が敵では無い事をわかってくれたようで、しだいに逃げなくなり近くから写真を撮らせてくれるようになった。さっきまでは訝しんでいるように見えたその上目遣いも、今は照れているようにも見える。なんだか嬉しい。

 “うみんちゅ”の他にもう1頭、特に気になるコが居た。名前を“ポンザ”という。
 “ポンザ”は他の犬達が外に出て日向ぼっこしている間も、1頭だけ犬舎の中から出ずに居る。そして犬舎の隅っこに小さくなったまま、じっと動かない。“うみんちゅ”同様やはり上目遣いにこっちをじっと見ているのだけれど、恨めしそうに怯えるその仕草は尋常ではなく、自分自身ここに居ては“ポンザ”に気の毒だと思えてしまい、なるべく時間をかけずに撮影をした。聞けば、職員の方ですらその場にいると“ポンザ”は食事も取らないらしい。1日取材させてもらったけれど、驚く事に一日中その姿も居る場所もほとんど変わる事はなかった。誰にも決して心を開かない、こんな悲しいオーラを持った犬を僕はこれまで見た事がない。
 今回の個展では、1頭でも多くの犬や猫を彫りたいと思い、どれも首像にしようと決めていた。とにかくその瞳が彫りたかったからだ。けれど“ポンザ”に会った時、このコは全身を彫ろうと決めた。体全部が彼の表情に見えたのだ。
 思う存分撮影をさせてもらい、彼らが犬舎に戻る頃、今度は「譲渡前講習会」というものに参加させて頂いた。
 ここ熊本市動物愛護センターは日中毎日誰でも犬や猫達を見学する事が可能で、もし気に入ったコがいれば譲渡を申し出る事が出来る。けれど、一時の感情で引き取ってしまって、あとで手に負えなくなったでは、同じ不幸が繰り返されるわけで、それを防ぐためにもその知識や覚悟、心構えを教わる「譲渡前講習会」が定期的に開かれている。せっかくの機会なので、今回の取材はその講習会の日に合わせて伺ったのだ。
 女性の職員の方が講師をしてくださり、この日の受講者は僕の他に4、5人居ただろうか。モニターを見ながら講義を受ける。先に書いた、ドリームボックスでの殺処分の様子もこの講習会で見せてもらったものだ。最後に修了証書を頂いた時には、やはり身が引き締まる思いだった。

 日も傾き掛けた頃、センターをあとにする。彼らと接したのは僅かな時間なのに、後ろ髪を引かれる思いだ。けれど同時に「早く工房に戻り彼らを彫りたい」という強い衝動に駆られた。こんな気持ちは久しぶりだ。彫刻を生業にして日々それだけで生活出来る事は何よりの幸せであるけれど、反面、生業にするからこそのマンネリや本来の楽しさを忘れてしまう事がある。
 けれど、彼らの表情や瞳がその“創りたい衝動”を思い出させてくれた。



 果たして自分に、彼らの持つあの独特の瞳を創りきる事が出来るだろうか。5月4日から始まる個展まで、取材したこの日の衝動と気持ちが決して薄まらないように、その事だけを大事に考えていた。

 

 出来上がりは、個展を見て下さったお客様に判断して頂きたい。このコラムをご覧頂いている方には、全作品の写真を掲載するので見て頂けたら嬉しい。

 
 個展後およそ1ヶ月経った6月中旬、御礼とご挨拶に再び熊本へ
 “うみんちゅ”はこの日も元気にしていた。犬のくせに相変わらず猫背で上目遣いに哀愁たっぷり。なんと近々、新しい飼い主のもとに引き取られるという。……良かったなぁ。片眼というハンディを負っているにもかかわらず引き取ると言う方は、きっと優しい方に違いない。
 他にもモデルになってもらった犬のうちの一頭“とさに”というコも、先日新しい飼い主のもとに行ったそうだ。“とさに”も手に少し奇形があったので心配していたが、やはり優しい方なのだろう。
 そしてあの“ポンザ”はというと……残念ながら、殺処分されていた。所長の松さんがツラそうな声で「ポンザは人間社会に居る事自体が苦痛だったんです」とその苦渋の決断の理由を教えて下さった。“ポンザ”は会期中一番お客様が目に留めてくれた作品だった。画廊で泣き出してしまう方もいらした。
 思いがけない殺処分という結果はとても悲しい事実であったけれど、誰よりも動物達を愛してやまない職員の方達の下した決断だ。必ずしもハッピーエンドだけじゃないのはドキュメントの宿命。今は“ポンザ”を創っておいて本当に良かったと思っている。

 この日もセンターには新入りが何頭もいた。猛獣のように牙を剥き、こっちに向かって恐い顔で吠える奴、好奇心いっぱいなのにビビりで、僕の顔を見ると後ずさりしながらもまん丸な眼でじっとこっちを見ている子犬。その他にも、何頭も。ここでは新入りが来る事は喜ばしい事ではない。複雑な気持ちになる。

 今日も松所長はじめ職員の皆さんは淡々と日々の仕事をこなしている。
 ちょうど今回の東日本大震災では、被災地に残されたペットや家畜を救うために立ち上がった勇士達の行動をマスコミは感動的に報道していて、それは勿論素晴らしい事だし真似の出来ない事だけれども、ここ熊本市動物愛護センターの皆さんはこういう地道な努力を何年も何年も、黙々と続けているのだ。その真摯な取り組みに心からの敬意を表し、けれどいつの日かこのセンターの仕事が無くなる日が来て欲しいと願うのだ。
 そして自分自身はといえば……今回の個展を企画開催した事で、うん、思い残す事なく30代を終える事が出来そうだ。

 モデルになってくれた彼らに心から感謝したい。
(2011.06.21 おおもり・あきお/彫刻家)