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窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ 文・坂崎重盛
もぐら庵の一期一印



 
 
  【前口上】
 ご存知でしょうか、あの一見お固そうな岩波文庫が、挿画・イラストレーションの宝庫であることを。著名挿画家の傑作や著者自身による挿画がたっぷりと、読者にふるまわれていることを。
 このことを、私の周りの本好きに投げかけてみても、たいていは「うーん」とか一瞬考えた末に、せいぜい数冊から十冊前後。それ以上がスラスラと出てくる人は、そんなにはいない。
「絵のある」岩波文庫を手にしているはずなのに、テキストの方に意識が行ってしまうためでしょうか、そこに挿入されている「絵」のことが忘れ去られてしまう。
 
ほら、こう並べて見せられれば「ああ、そういえば、この文庫に挿画が入っていたな」と思い出していただけるでしょう。えっ!?思い出さない? でしたらもう一度手に取ってページをめくって下さい。そこには素晴らしいイラストレーションの世界が・・・・・・。
「ほら、ルナールの『博物誌』、画家のボナールが挿画を描いているじゃないですか」
と、こちらが言うと、
「そうそう、ボナールが描いてたね、ミミズとか」
と、思い出してくれる。でも、同じ岩波文庫のロンゴス『ダフニスとクロエー』もボナールが描いていることまでは、なかなか思い出してくれない。
 クロエーが泉で水浴びをしている美しいシーンがあるのに。
 もちろん外国文学だけではない。尾崎紅葉の『多情多恨』の、明治期の売れっ子挿画家二十人競作という豪勢なラインナップもあれば、谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』の小出楢重は挿画史に残る力作で、谷崎の文章とガップリ四つでわたりあっている。
「絵のある」文庫、当然、岩波文庫だけではない。たとえば河出文庫にはマックス・エルンストの『慈善週間または七大元素』や『百頭女』が文庫に収録されているし、中公文庫では先の谷崎潤一郎の作品で、奇才・水島爾保布による『人魚の嘆き・魔術師』や“板極道”棟方志功による『鍵』また『瘋癲老人日記』が強く印象に残る。
 
もちろん上の3作品にも力のこもった挿画が掲載されている。中でも『レ・ミゼラブル』の表紙の絵は演劇のポスターに使われたりもしているので目にした人も多いのでは。ところで、この作品の作家、ビクトール・ユーゴーは自分でも自著に、絵を描いていて、それが岩波文庫に収録されている。では、その本の書名はご存知ですか?
 というわけで各社の「絵のある」文庫を目につけば、ポツポツと買ってきたのですが、なんといっても、質量ともに岩波文庫。
 文庫編集部に、挿画に対する意識がしっかり確立されているのでしょうか、心嬉しい配慮があるのです。
 文庫総目録に「挿画あり」が記載されているのも、その意識の反映だろう。といっても、それは著者自身や著名な画家によるものがほとんどで、実際は、その文庫、新刊書店か古本屋さんで、現物を手に取って、ページをめくって見なければ絵のあるなしがチェックできない本も多い。超アナログ的行為が必要とされる。これが、“宝さがし”に似て、楽しい。
 インターネットでも、私の知るかぎりでは「絵のある」文庫だけに注目して、これをテーマに一冊一冊当っている情報はない。
 というわけで新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫なのですが、実はすでに三年以上前から、同タイトルで雑誌連載を続けている。雑誌名は「彷書月刊」(発行所 彷徨社)。
 しかし訳あって、雑誌連載を続けながら、この芸術新聞社のWebで並行連載の運びとなった。
 もちろん、取り上げる作品はそれぞれ別である。たとえば「彷書月刊」の4月号は、2月号、3月号で紹介した日本に渡来して小林清親や北沢楽天らに大きな影響を与えた明治のポンチ絵、ワーグマン、ビゴーの源流、イギリスの諷刺雑誌「パンチ」のアンソロジー『パンチ素描集』。(で5月号はその「パンチ」の常連執筆者、サッカレーの「絵のある」文庫だ。)
 対して、この芸術新聞社のサイトで4月からスタートする第1回目に取り上げる本は・・・・・・
 じつは、あれにするか、この本にするか、と迷ったが、まずは、よく知られた本から行こうと、あのオスカー・ワイルド作、オーブリー・ビアズレー描く『サロメ』と決めた。
 
『サロメ』の表紙カバー。サロメがヨカナーンの生首を手にして「ヨカナーン!お前の口に口づけしたよ!口づけしたよ」と語りかける、クライマックスのシーンが描かれている。   ビアズレー描くオスカー・ワイルド。複雑な関係にあったビアズレーとワイルド、ビアズレーの死の2年後の1900年ワイルド死す。
 この『サロメ』も、「絵のある」岩波文庫を代表する一冊である。訳は福田恆存。本文全110頁の薄さながら世紀末文学の傑作といわれる劇に、ビアズレーを世界に知らしめたその全挿画が収録されている。
 あなたは『サロメ』を読んだだろうか。その挿画、ビアズレーの描線を見ただろうか。
 関連の他の画家の作品なども掲げながら改めて『サロメ』をともに楽しもう。
 Web版新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫の幕開けです。
 岩波文庫『サロメ』を手に取る。薄くて、軽い。ユーゴーの『レ・ミゼラブル』やサッカレー『虚栄の市』のようなぶ厚い文庫も充実感があるが(と言いつつ、本心は少なからずたじろぐ)薄い文庫は上品で愛しい感じがする。
 ところで、この『サロメ』カバー、全体が淡い血の色。しかもビアズレー描くイラストレーションは、断ち切られたヨカナーンの血のしたたる首を手に、口づけをする(した)サロメが描かれている。『サロメ』のクライマックスの一場面だ。
 
ビアズレー描く『サロメ』は日本の挿画家たちにも大きな影響を与えている。上は江戸川乱歩作『江川蘭子』。挿画は、あの竹中英太郎(昭和6年)。絵柄は、まさしく『サロメ』だが、盆の上に乗っている生首は美青年の預言者ヨカナーンならぬハゲオヤジ。   これはまさしく『サロメ』。預言者ヨカナーンはいかにも、という美しい顔立ち。しかしサロメの方はあまりにも清純な乙女っぽくありませんか?まあ、これは画家、高畠華宵の好みでしょう。
《この項、次回に続く……》
坂崎重盛(さかざき・しげもり)
■略歴
東京生まれ。千葉大学造園学科で造園学と風景計画を専攻。卒業後、横浜市計画局に勤務。退職後、編集者、随文家に。著書に、『超隠居術』、『蒐集する猿』、『東京本遊覧記』『東京読書』、『「秘めごと」礼賛』、『一葉からはじめる東京町歩き』、『TOKYO老舗・古町・お忍び散歩』、『東京下町おもかげ散歩』、『東京煮込み横丁評判記』、『神保町「二階世界」巡リ及ビ其ノ他』などがあるが、これらすべて、町歩きと本(もちろん古本も)集めの日々の結実である。困ったもんです。

古書と愛書派の『彷書月刊』では雑誌版『新刊・旧刊「絵のある」岩波文庫を楽しむ』の連載が掲載されています。もちろん取りあげている本はそれぞれ別です。並行して読んで下さい。


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